第107章「噂」
裕太に生徒手帳を届けた翌日。
教室に入った瞬間から雰囲気がいつもと違うものを感じた。
こちらに視線を送った後、ひそひそ話をする生徒がそこかしこ。
「どうした……の?」
きょとん、としながら美乃利は鞄を置いた。
すると、早速クラスで親しくしているクラスメイトが前の机に腰掛けて美乃理に話しかけてくる。
「ねえ、みのりん、特進コースに行ったって、本当?」
「そうだけど……それが?」
「やっぱり、相手はどんな男子!?」
ようやく美乃理は気づいた。皆に広まっている。
「というか、なんで知ってるの?」
目の色が違う、からかっている様子ではなかった。
本気でインタビューしてきている。
そもそもいつの間に知ったのか――。
確かに、特進コースには、普通コースの生徒は、よほどのことが無い限り行くことはないし、授業や行事などでも接触はしない。
三年間、あるいは六年間、まったく会話も接触もしなかったという生徒はざらである。
ただひたすら受験勉強に没頭する正愛の異次元の世界。
受験少年院の異名は伊達ではなかった。
「ああ、あれ。別になんでもないよ。落とし物を届けただけだから」
なんてことはない、とばかりに気軽に答えた。
だが、ふうん……という疑り深い様子だった。
皆聞き耳を立てている。
「まさかあ、ただ落とし物を届けるだけで、わざわざ男子の、それも違うコースの子に届けたりしないでしょう」
「それは……そんなことないでしょう」
以降も、繰り返しだった。
「で、本当に相手の男子は会ってないの?」
「もう、しつこいなあ――」
美乃理はあくまでも、くだらない勘ぐりと否定した。
だが――。
放課後になり、部の練習準備を始める時もそうだった。
「皆、今日もいつもどおりのメニューをやっておいて……」
大会を控えた美乃理は他の出場メンバーと共に別の練習――。
「み、御手洗先輩!」
後輩部員の一人が、今にも張り裂けそうな表情で 食らいついてきた。
「ど、どうしたの? 何か問題でもあったの?」
特に部に関しては深刻な事案はなく、思い当たる節がない。その真剣な表情に驚いた。
「先輩、今仲良くしている男の人がいるって本当ですか?」
「は?」
「噂がもちきりで……」
「特進コースの人だって聞きましたっ」
「ちょっと、なんでそんなことを」
「先輩の噂を聞いて、泣いちゃった子もいるんです――」
「えっ?」
たしかに、ハンカチで目を拭っている子や顔を手で覆ってる子が何人か目にする。
美乃理は、はぁっとため息を一つついた。
「だから、なんでもないって。もう、みんな、いい加減にしなさい」
強く否定するために怒っている素振りを見せた。
そろそろ冗談で済ませられなくなってきた。
「ほら、なんでもないって。美乃理先輩を盗られたんじゃないって」
美乃理に詰め寄ったその部員は泣いている同じ一年生部員の肩を叩いて励ます。
「うう……」
今にも崩れ落ちそうな泣き顔がようやく落ち着きを見せる。
「ほら、くだらないことに惑わされないで、練習練習」
あえてきつめの声でせき立てる。
美乃理は心の中で呟く。
まったく女子というのはこれだから。
なんでもかんでも噂にする。色恋沙汰と結びつける。
笑い話にもならない。
自分の方がこの状態だと、川村裕太の方はどうであろうか、と心配になった。
他校の新体操部では、恋愛交際を禁止しているところもあると聞く。
あるいは公ではなく暗黙の了解で、できない雰囲気であることがほとんど。
正愛学院は、そういった空気ではないが、日々の練習で、そこまで至る生徒はそう多くはなかった。
たまに噂が流れることもあったが。
それらをただ冷静に聞き流していた。
今回は、美乃理自身が、その対象になっただけの話だ。




