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第105章「夏の始まり」

 期末テストが終わり、残る主な行事は終業式だけ。その後に控える夏休みを目前にして正愛学院の校舎内は、どこも活気に満ちていた。 

 文化系の部活も運動系の部活も、それぞれ大会やイベントの準備が始まっており、活動にも一層気合いが入るようになっており、放課後にはせわしなくゆきかう生徒たちの姿が見られた。


「次、縄跳びが終わったら、柔軟メニューの三番をやるよ」


 体力トレーニングが終わったらすぐに、次の練習に入る。

 入部した頃には悲鳴をあげた一年生は、今は文句を言わずについてくる。

 顔つきも変わっていた。


「大久保さん、かけ声とリードをお願い」

「はい」


 部長の声にも気合いが入っていた。


「ワン、ツー、スリー」


 今や正愛学院の中で、最大の部員を抱えるようになった新体操部も、例外ではなく、夏休み中に行われる合宿とその後に控える大会に向けて、練習もより厳しく行われていた。

 正愛学院の設備は全般に充実しており、体育館にもエアコンが入っていて、朝からフル稼働していた。

 だが、それでも完全に熱気を取り払うことができず、激しい練習では汗が滲んだ。

 全員共通の練習が終わり、グループに分かれて行われる練習が始まる。


「ちょっと、あんたたち!」

「待ちなさい!」 


 練習に各自励む中、突如として一年生部員と二年生部員達の怒りの入り交じった声が辺りに響いた。

 楽園を犯されたかのごとく、怒った表情で複数名の女子が外に向かって叫んでいた。

 その喧噪を、美乃理が聞いたのは、ちょうど取り組んでいたフープを使って回転からジャンプの連続技を終えて一息ついたところだった。

 練習着の姿のままで出て行くことはできないので、傍らに置いていたジャージを羽織り、ハーフシューズを脱いで上履きを裸足のままで履いて外へ出た。

 目の良い美乃理には散るように走りさっていく学生服が小さくいくつか見えた。

 逃げ足の速いそれらは校舎の影に消えていった。


「どうしたの?」


 戻ってきてた一年生に聞いてみた。

 表情は未だ憤懣やるかたない、といった感じだ。


「誰だかわかりませんが、男子が覗いてたみたいです」


「もう、この間もいたんですよぉ。逃げ足早いんだから……」

 

 窓の隙間、風の取り入れ口、あるいはドアの隙間に顔を押し当ててのぞきこんでいるというのだ。 


「そこまでしなくてもいいのに……」


 独り言のように呟いたが、部員の中にはややそういうことに潔癖症気味の子がいたりするのも確かだった。


「もう、安心して練習できないよ」

 

 確かに、先日の公開練習を除いて普段は練習を見せたりはしない。

 校内でも名を馳せる新体操部は、公開練習の度にファンも増やしていたが、それ以外には、見学する機会はほとんどなく、満足できない者も現れつつあった。

 

「あいつら、美乃理先輩や龍崎先輩目当てなんですよ」


「ああ、先輩があんな目線で見られていると思うとぞっとする!」


「今度見かけたら職員室に突きだそうよ!」


 坩堝のごとくぐつぐつと煮えたぎってしまう。


「まあまあ、男子ってそういうものだから」


 みのるだった美乃理にとって、心当たりがないわけではない。気持ちは分かりすぎるほどわかる。

 何度も気持ちの奥底に押しとどめた。

 苦笑しながら後輩部員たちを宥めようとした。だが、かえって火に油を注いでしまうことになった。


「先輩!あんな汚い生き物の肩を持たないでください!」


「こればっかりは、譲れません!」


「今度見つけたら、どすけべなんだから、先生にいいつけてあげましょう」


 しだいにエスカレートする怒りは美乃理といえども手が着けられなかった。

 収まるのを待つしかなかった。


「さあさあ、練習を再開するよ」


 不穏になりそうな空気を察して清水さんが取り留めもなく始まりそうなおしゃべりのピリオド打った。

 練習場に戻っていく一年生部員たち。


「心当たりある、と思ったのかい。美乃理」


「!?」


 敦子の思いがけない問いかけだった。


「いや、なんでもない」


「男の性、ねえ……あはは」


「……」


 しばし残って辺りを伺ってみた。


「はは、こんなとこから」


 換気用だろうか床ぎりぎりにに付けられている小さな窓があった。

 靴の跡があるから、

 多分、草の生えている辺りを突っ切って走って逃げたのだろう。

 

「うん?」


 草むらの中に何かが落ちている。


「これは……生徒手帳……?」


 校則がかかれているその薄目の手帳は写真と氏名などがかかれており、学生証も兼ねている。

 とても大事なもので、無くしたら反省文を書かされた上で再発行の申請をとらないといけない。

 正愛学院の入学式の日に配られ、絶対に無くさないように念を押されたことを思い出した。

 美乃理は、膝を突いて腰を下ろし、手に取った。

 そして、その中をぱらぱらとめくる。

「川村裕太」

 手帳に書かれた氏名に美乃理の目が止まった。

 反抗的な目つきで精一杯の自己主張をする少年の顔。

 記憶にあるよりは幼いが、確かにみのるがかつて共に過ごした生徒だった。


「裕太が?」


 振り返ったが、もちろんそこには誰もおらず、ただ校舎と校庭が広がるだけだった。

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