第103章「公開練習にて②」
公開練習での演技を終えた美乃理は、盛大な拍手に見送られ舞台を後にした。
「今日はお集まりいただきありがとうございました。本日の公開練習はこれで終了に……」
練習場では、高梨部長の終わりの挨拶が行われている。
早くも体育館を後にする足音やガヤガヤというざわめきが聞こえる。「ええ、これで終わりなの?」と、もっとみたいという不満を漏らす声も聞こえた。
「お疲れさまでした!」
更衣室まで戻ると部員たちが待っており、そこでも拍手で美乃理は、迎えられた。
「ありがとう、みんな――」
美乃理からも、準備や声援お礼をいいつつ、ジャージを着る。
敦子がいなくなっていたことに気づいた。
(一体何をやっているのかな……)
稔の時には気づかなかったが、今、女子として美乃理として、新体操部員に身を置き、その状況をより把握できるようになってから、敦子は、不思議な行動をしている時があることに気づいていた。
けれどもそのことを詳しく追求することはしていなかった。
今に至っても、美乃理は敦子に対して負い目を感じる部分があった。
新体操としての注目も力量も上の評価を今は得ている。
だが本当は敦子がこの学年で一番であるはずだった。
そんなことを知ってか知らずか、自由に振る舞っていた。
稔の時に散々いじられたせいでもあるが――。
知らなかった一年生もここ最近、その実力をかんじ、また一目置いている様子を見てとってか、敬う。
その時。
「美乃理ちゃん!」
振り返ると、セーラー服に身を包んだ生徒たちが7、8人いた。
爽やかな濃青色に白いラインの襟、胸には赤いスカーフ、そして長すぎず短すぎないプリーツスカートの少女たち。
忍と共新中学の生徒たちだった。
手を振りながら、美乃理のところにやってきた。
「ありがとう、今日は見学させてくれて」
駆け寄ってきた忍が美乃理の手を握る。
「ううん、むしろ来てくれて嬉しいよ」
美乃理もその手を握り返す。
「みんな演技、凄く良かったっていってるよぉ」
何故今日、忍が来ているかというと、好子の一件のあと、忍から美乃理の演技を共新の部員に一度その目でみさせてほしいと申し出があった。
もちろん、美乃理は快諾した。
そして今日の正愛学院訪問と、公開練習の見学が実現したのだった。
「御手洗さん、初めてお目にかかれて嬉しいです」
「演技、とても素晴らしくて感動しました」
たちまち共新の生徒たちに、囲まれる。握手までした。
共新生徒から、質問も次々にでる。
「どうしたら、上手くなれますか?」
「毎日の柔軟を欠かさないことかな」
「つま先立ちが上手くできないんです」
「力を入れすぎないこと、肩から背中を意識して調節する。あとバーレッスンでバランス感覚をつけると上達が早いよ」
「ありがとうございます!」
練習の悩みは同じであった。美乃理も気さくに答える。自分の得たものを独り占めにする気はないのだった。
「好きな人はいるんですか?」
女の子同士の会話だと必ずと言っていいほどでる類の質問であった。
むしろ正愛の部員では聞きにくいダイレクトな質問でもあった。
多分周囲の正愛の部員たちも聞き耳をたてていた。
美乃理は考え込んだ。
「え……と……、今は新体操だけでいいかな――」
一年生はほっと胸をなで下ろす仕草までした。
女子が男子に恋をすることは、決して変なことではない。
けれども美乃理にとっては――。
(自分は恋などすることがあるのだろうか?)
正解がないのはわかっていた。
ともかく、まだ考えられないことであった。
「シノちゃん、行こう――」
「うん」
この後、校舎に移動し、撮影したビデオを見て、改善点を探すなど、反省会を教室で行う、
あるいは、夏休みの合宿の打ち合わせなど――。
忍たち共新中学の子も同席する。
「美乃理ちゃん」
呼び主は、声でわかった。
龍崎宏美の声だ。
振り返ると、果たして、そこには龍崎さんが立っていた。
部員であるので、それ自体は別段、なんのこともないが、その傍らにいる少女たちに目が合った。
胸元に、月見坂とロゴがかかれたジャージを来ている。
肩には校章の月見草のマークが入っていた。
月見坂女子学園の生徒だ。
「うわあ、御手洗さん」
「この人が?」
手を口で押さえたり、胸の前で、両手をぎゅっと握りしめて見つめる。
皆一様に感動した仕草を見せる。
「彼女たちは……?」
「この子たち、月見坂の新体操部の一年生ですって。今日の公開練習を見に来てくれたのよ」
宏美の話によると、少女たちは、校門の入り口で、うろうろしていたとのことだった。
「だめだよ、絶対見せてくれないよ、スパイだと思われるって」
「で、でも……一度この目で見てみようっていったの、あなたでしょう?」
「だって……あたしの正愛の知り合いが、今日なら、御手洗美乃理の演技を見られるって言うんだもん」
そんなやりとりをしているうちに、龍崎に声をかけられたのだ。「あら、あなたたち、月見坂女子学園の子たち?」
月見坂の少女たちは、そして腰を抜かしそうになった。
全員が、一目でその人物が誰かわかった。
噂には聞いていたが、実物は、もっと威厳と美しさを備えていた。
貫かれそうなぐらいに美しく綺麗な瞳――。
綺麗な黒髪、そしてアスリートとしても女性としても完璧な体。
本当に新体操の女神が降臨したような威厳があった。
龍崎は、彼女たちの正体と目的に気づいた。
「いらっしゃい、ほら、公開練習もうすぐ始まるわよ?」
なんでもない、当たり前のように手招きをした。
「あ、あの……」
ひきつった声で龍崎に尋ねる。
「なあに?」
「いいんですか? 見学しても」
「もちろんよ」
女神に微笑まれて彼女たちはまた腰を抜かしそうになった。
「すてきな人……」
皆ため息をつく。
どうして月見坂のコーチも先輩たちも正愛の龍崎について騒ぐのか、その理由を知った。
公開練習の時も、彼女たち月見坂の生徒たちは、見やすい特別な場所に案内されて見学していたとのことだった。
「ほら、せっかくだから、お話聞いたら?」
龍崎は、その肩を押した。
「あ、あの……あたし、あたし……」
一人は言葉に詰まってしまった。
龍崎に出会った上にさらに、もう一人の正愛の看板とされる御手洗美乃理にあいまみえる機会を得たことに、胸がいっぱいだった。
「さ、さっきの演技、と、とて、とてもすばらしかったです……」
質問にならなかった。
こんなことなら、もっと質問をあらかじめ用意すれば良かったと後悔していた。
「ありがとう、麻里ちゃんは元気?」
「あ、はい……厳しい先輩だけど、凄く真面目に練習をします」
「うん、一番新体操に真摯で自分にも厳しい子だからね、わたしも一緒にいて、たくさんのことを学んだんだ」
美乃理が麻里に対して敬意を払う様に、少女たちは顔を見合わせた。
御手洗と朝比奈麻里が、旧知の間かつ競い合う仲という噂は本当だった。
気むずかしく近寄りにくいとの評が支配的だった彼女たち月見坂新体操部一年生の麻里への見方が改まったのは確かだった。
後に美乃理は何気なく体育館の周辺に残る人影を見た。
だいぶ減ったものの、名残惜しそうにぱらぱら残っている。
(あれは……)
その時、美乃理は気付いた。
観衆の中に、一人、見覚えのある男子生徒がいることに――。
(裕太、来てたんだ)
日曜日であっても学校へ来るときは、制服が原則だ。
やはり、制服に身を包みつつ、ポケットに手を突っ込んで、校庭をぶらぶらしている。
(裕太は新体操に興味があったっけ)
あまりそういうイメージがなく、心の中で笑った。
稔に、いかに自分は反抗的で、規則などに縛られない自由人であることを自慢する。
そういうのが裕太だ。
視線を送ると、裕太も気づき、目を逸らした。
(懐かしいな……)
昔を思い出して美乃理は、声をかけたくなったが、裕太は背を向けて去っていった。
「そっか……今は別々のクラスだっけ……」
少し寂しい気がした。
特進コースの稔の頃の数少ない――友人関係にあった相手だ。
今の美乃理には、何もしてなくても周囲から人が寄ってくる。
だが、今が満ち足りていればいるほど、稔のことが思い浮かんでくるのだ。
自分が稔のままだったら、どんな未来になっていただろうか。
美香の幼い顔が思い浮かんだ。そこには新しい命がいない。
さらに忍、健一、さやかなどの顔が思い浮かんだ。
そして――。
自分を想ってくれた、大事な人にも想いを馳せた。
今の自分を生み出した存在を思い浮かべた。
そして正愛学院に進学すれば当然、その人と再会すると思っていたにも関わらず、まだそれは果たせていなかった。
白い白衣――。今考えるととても不思議な人だった。
一見すると若く見えるが、それでいて、醸し出す雰囲気は年数を感じさせた。
薄れてゆく記憶に、その面影を求める。
「三日月先生……あなたは今どこに……」
活動報告に、現在の状況や今後について書きましたので、お時間があればよろしくお願いします。




