第100章「公開練習にて」
『女子新体操部 公開練習のお知らせ。6月15日日曜日朝10時半から、体育館第一練習場にて』
先週から正愛学院の校内に掲示された新体操部の公開練習を告知する張り紙は、そこかしこの生徒たちの話題になっていた。
「今度、新体操部の公開練習だって」
「あたし、行く! 御手洗さんや清水さんも出るんでしょ?」
校内でもそこかしこで、会話が交わされる。
「お前行くか?」
「ああ、その時間部活なんだけど、中抜けするわ」
これらは、あらかじめ生徒会などに申請して、事前に校内の掲示板や看板などに一週間前から貼られ、告知される正式なものだ。
張り紙の隅には生徒会承認番号も書かれている。
先週から部員たちが、手分けして貼る姿がみられていた。
「あたしもでるからよろしくね」
「いっぱい練習したんだよ」
特に初舞台となる一年生たちは、気合いを入れて周囲への宣伝にも余念がなかった。
この新体操部公開練習は、練習と称しているが、ミニ発表会であった。少しでも本番のような臨場感をつかむために、何度か催されるものだった。
以前は新体操に多少興味のある幾人かがやってくるだけで、ひっそりと行われていた公開練習だったが、今ではたくさんのギャラリーが詰めかけるようになっていた。
観る側にとっては普段は非公開で見学も許されない新体操部の演技を間近に観られるチャンスでもあった。
特に禁制となっている男子にとっては――。
そのせいで男子でも話題になっていた。
「来週の日曜日か……」
その張り紙が張り出された掲示板をみつめる一人の特進コースの男子生徒がいた。
当日の朝――。
「うわー、今回もいっぱいきてるねえ」
早くも練習場はがやがやと普段にはない喧噪に包まれている。
舞台裏では一年生が緊張の面もちで順番を待っていた。
「気分がわるくなってきたよ……」
「どうしよう、またトイレ行きたくなってきた――」
「さっきいったばっかりじゃん」
そわそわと落ち着かない一年生をよそに、慣れている上級生たちは、余裕の表情で出番を待つ。
今日は出番は無いが司会を務める部長の高梨も準備にとりかかる。
「どうせ、相変わらずお目当ては美乃理や敦子でしょうけどね」
「そんなことないですよ、部長もしょっちゅう話題になりますよ」
美乃理も更衣室へ向かい、レオタードに着替える。
簡単なメイクもして、頭もシニョンだ。
既にギャラリーがいっぱいだった。一番前でよく見える良いところは熱心なファンの女子の一団が陣取っていた。
「あたしは断然御手洗さんね」
「高梨先輩だってすばらしいわよ」
「今年の一年生には、期待の新人がいるかしら?」
それぞれのファンもかたまって声援をおくる。
やや離れたところで男子も目立たないようにちゃっかりいた。
予定時間の10時半になり、マイクの音声が会場に流れる。
「今日は沢山の皆さんにあつまっていただきまして、ありがとうございます」
まず最初に高梨部長から、挨拶の口上が述べられる。
さらに今日のプログラムである一年生の初演技や、二年生の団体演技について紹介する。
そして、メインイベントともいうべき美乃理の演技もあることが紹介されると、会場は歓声で盛り上がった。
こういった小さな舞台には、強制されているわけではないが、積極的に美乃理は出るようにしていた。
公式大会は全員が出るわけではないので、それ以外の部員にとっては参加する貴重な機会であった。
美乃理の演技が見られるという噂が広まり、ギャラリーも多かった。
そのことでより華やかな舞台で演じることを、それらの部員にも与えられるというという思いがあった。
もちろん、自分自身を鼓舞するためでもある。
やがて、会場では一年生の演技が始まる。
人数の多い一年生はいくつかのグループに分かれて、行われた。
経験者で、手慣れている者もいるが、大多数の正愛学院新体操部に入部して初めて触れた者たちにとっては、初体験の晴れ舞台であった。
皆緊張していた。
演技中、バランスを崩したり、揺らいだりする場面も多く、中には手具を落とす子もいた。まだ拙い演技ではあるが、最後まで。やってのけた。
その中に好子の姿があるのを美乃理はみつけた。
一生懸命に手具のボールを操っていた。
やはり緊張の面もちであるが、今はその顔に影がない。
「いろいろあったけど……なんとかここまで持ってこれたじゃん。一時はどうなるかと思ったけど……」
いつのまにか清水敦子が美乃理の隣にいた。
「あっちゃんのおかげだよ」
実際敦子のおかげで、一度はばらばらになりかけた一年生は再び1つになっていった。
一年生の演技は、拙いものの熱意が伝わってくる。
ようやく一つの形になったのだ。
最初は一年生の演技を余興ぐらいにしか思ってなかったギャラリーも、静かに見守っていた。
その熱意は確実に観客に伝わり、終わった後、大きな拍手が鳴る。
最後に一礼をして舞台を去る。
戻ってくる際、緊張から解き放たれ、中には泣いている子がいた。
「よかったね――」
「うん、もう最高」
抱き合って感動をわかちあう子もいた。
その光景は、美乃理もどこかでみた光景だった。
やがて、美乃理の演技の順番がやってきた。
会場の空気が変わる。
「いよいよね」
「次よ、御手洗さんの出番」
一際ざわめく。
美乃理は舞台脇に進み出た。
演技はもうここから始まっている――。
つま先立ちを維持したまま背筋を延ばし、優雅に演技をする場へ向かう。
「先輩、がんばって!」
「美乃理、がんば!」
観客席からも、その逆の部員たちが控えている方から応援の声が届く。
13メートル四方の舞台を独りで演じる。
この舞台では、自分と手具と音楽だけ。ただ一人の世界がある。観客はいたとしても、それは世界の外のことだった。
美乃理にとってここで新体操を演じることは未だ底もしれない深い深い世界を行くことでもあった。
演技の舞台の中心に立ち、姿勢をとる。
リボンを持ったまま先を垂らして伸ばす。
しばしの静寂の後、音楽が流れ出す
床に寝ていたリボンが大きく羽ばたくようにウネった。同時に体はリズムに合わせてステップを踏んだ後、大きく跳躍する。
おお――と皆静かに息を飲んだ。
花町新体操クラブのキッズコースにいた時代――。
コーチに指示されたとおりに動き、踊れば良かった。
だが、育成コースに進みより高みを目指すようになると、それでは通用しなくなった。
技が高度になるのはもちろんだ。
宙返りや回転をしながら、手具を操作する高度な技もあった。難易度の高い技も美乃理は練習を重ねて身につけていった。
競技としての新体操は点数が細かく決められている。
足の角度、タイミング、ジャンプの高さ等細かく審査されるのでそれらを1つ1つ正確にこなさないといけない。
さらに 形、動き、音楽を一体的に組み合わせ、独自の世界を表現をしなければいけない。
いわば作品だ。
特に個人演技を主体にする美乃理にとっては、自分との戦いであった。
助けてくれるものはない。
フィニッシュを成功させポーズを決めると、割れんばかりの拍手と歓声が体育館に響いた。
「やっぱり御手洗先輩、すてき――」
「綺麗だ……」
魅入られた人々は夢から覚めないように拍手をやめなかった。
三日月先生との約束だから――。
新体操をする動機は、最初はそうだった。そして最初のうちはそれを頭で繰り返していた。
最初は戸惑いばかりだった。
幼いとはいえ、あるいは自分が女の子の肉体であるとはいえ、それに混じって練習をすることは――。
レオタードを着る。リボンやボールで可愛らしい動きをみせる。
稔の意識はそのことに激しい抵抗をした。
とても悩んだ時期があった。
しかし――。
が、自分が美乃理として新体操をすることに意味を見いだした。
変わったお父さん――。そして母、さらに新しい命の誕生――。
自分だからこそ変えられるものがあるのではないか――。
そう思った時、美乃理は自分の足で歩き始めたのだった。
100話に到達しました。
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