17 フレイムドラゴンにご対面
『迷い込んで来ただけなら去れ。』
結構距離があるのに聞こえてきた低めの声に顔を上げる。
ちらっと、夜の平原のずっと向こうに赤く光る何かが見えた。
ハルのときは竜と話ができて嬉しかったことしか頭になかったけど、やっぱり頭に直接語りかけるような喋り方は少しだけ違和感がある。
まあそれもハルで慣れたから驚かないけど、この距離で話しかけてきたことに対しては驚いた。
まだ500mはあるみたいだから。
『ふっ、驚いたか。我は火炎を従えし炎竜。人間の子供よ、命が惜しくば早々に立ち去るがいい。』
すううぅっと息を吸う。
「もしもーし!こっちの声って聞こえますかー!」
なるべくお腹の底から出した大声もこの距離では届かない気がした。
近づいて、徐々に見えたその姿は背中側が朱色に近い赤でお腹側は淡いベージュ。背中のたてがみと揺れるしっぽの先では炎が生きているように燃え上がっていた。
さっき赤く光ってるように見えたのはきっとあれだったんだ。
しかし100mあたりまで近づいたとき、挨拶もしないうちに交渉は決裂した。
ハルより小さいけど、それなりにでかいフレイムドラゴンの一方的な先制攻撃によって。
なんて喧嘩っ早い竜だ・・・
『ふっ、我の魔法を跳ね返すとはなかなか見所のある人間のようだ。が・・・それは一度しか効果がなかったのではないか?』
しっぽをびたん!と振り下ろして構え直したフレイムドラゴンの胸の前に、再び一本の燃え盛る槍が現れる。
その口元がニヤッと笑うと真っ直ぐ炎の槍が飛んできて、当然、跳ね返った。
炎でダメージは受けないのかフレイムドラゴンは避けもせずに、眉を顰め目を見開くという至難の業をやってのけ、ふと何かに思い当たったような顔をした。
『そうか、あの球状の魔法道具のせいだな?いくつ持っているかは知らんが・・・笑止!』
そう言って一吼えしたフレイムドラゴンの体の前に、狙いを定めた二十本くらいの炎の槍が現れる。
『この数には耐えられまい!残念だったな小娘!』
言い終わってから連続で放たれた炎の槍が、やっぱり全部跳ね返った。
『なっ!?何をした!』
「私は特に・・・」
ハルがすごいだけです。
そう思ってぼそっと告げると、フレイムドラゴンが激昂した。
『ここまで虚仮にされて黙っておれぬわっ!!』
「黙ってなかったって。」
な、なんだろうこの感覚・・・
この竜おもしろいかも。
ニヤニヤしていると、ぶるぶるしていたフレイムドラゴンがぐわっと目を見開いた。
『これで仕舞いだっ!小娘ぇ!!』
天を衝くような咆哮を上げ、長めの首を振りかぶるように曲げると向こうを向いた口のあたりが白く輝いているように見える。
風の唸りをまといながら戻された首と頭。
その口の中には高温らしき炎の塊が渦巻いていた。
まあ、こうなるよね。
疲弊して寝そべった大きなフレイムドラゴンをつんつんしながら声をかけた。
「少しでいいから話聞いてくれない?」
『・・・なんだ。』
もう起き上がる気力もないのか、目だけを向けてくる。
「あっちの草原ちょっと焦がしちゃったの、あなたのせいになってるの。ごめんね?」
『・・・あれはお前だったのか・・・あんなもの、見過ごせるわけもなく様子を見に行ったのだが・・・』
「あー、そのときに勘違いされちゃったんだね。かわいそ。」
『かわいそって、お前・・・』
呆れたーって感じで前に視線を戻したフレイムドラゴンをさらにつんつんする。
「でさ、謝るついでにちょっとお願いがあるんだよねー。」
今度は瞬き一つしてから無言で見てくる。
たぶん、なんだって言ってると思う。
「あなたの血がちょっと欲しいんだよね。どう?ちょっとでいいの。献血すると思ってこの小瓶にちょっとだけわけてくれない?」
ポケットから取り出した親指ほどの小瓶を視線の先で軽く振る。
『それを、どうする気だ。』
訝しげに見るフレイムドラゴンを見て、ハルを見た。
「さあ?知り合いが欲しいって言ってるだけだから・・・」
『・・・ふん、まあいい。その程度ならくれてやる。』
どっこいしょ、という感じに赤い腕を持ち上げて鱗だらけの指先が近づく。
指先からつうっと垂れた黒っぽい血が、鋭い爪を伝って小瓶に注がれた。
「ありがとう。」
ハルを腕に抱きこんで、小瓶の栓をすると布に包んでポケットに戻した。
赤い腕を下ろしてまだ寝そべっているフレイムドラゴンを見つめる。
「あと何日かしたらあなたの討伐に人間がたくさんやってくるよ。もし用がないなら早くここを去った方がいいと思う。」
静かに視線だけで見上げてくるフレイムドラゴンをじっと見つめ返す。
『ああ、そうさせてもらおう。ここに執着があるわけではないしな。』
はふーっとため息を吐きまた視線を前に戻すと、しばらくしてちらっとだけこっちを向いた。
『・・・小娘、我に名をつけるといい。』
なんというこ
『だめ!!だめだよミチル!竜に名前をつけちゃだめ!』
突然ぎゅうっとワンピースの胸元を握り締めて叫んだハルを撫でて、どうしたの?と見下ろす。
ハルは必死な様子でぶんぶんと首を振って、泣きそうな瞳でふるふる震えながら見上げてきた。
『名前をつけると縛られちゃう!ミチルはぼくのなのに!!』
っ!!
慌てて押さえたけど漏れたものは取り返せない。
今回もハルに被害はなかったけどフレイムドラゴンには被害があった。
突然大量に鼻血を噴いた私をぎょっとしたように見てから自分の肩にかかった鼻血を見てる。
ごめん。ちゃんと拭くからちょっと待ってて。
ぎゅうっと抱きついているハルの背を撫でながらハンカチを探していると、フレイムドラゴンがゆっくりとその重い体を地面から起こした。
『・・・血の契約か、面白い。』
何か格好良いことを言って、ばさりと赤い翼を広げたフレイムドラゴンが地面から浮き立つ。
もうちょっと待ってよ、まだ拭いてないんだから。それとも自分の体が赤いから鼻血なんて目立たないと思ってる?はっはっは、残念でしたー、時間が経つと変色するの知らないの?
ハンカチを持った右手で追いかけたフレイムドラゴンが、すぐに手の届かないところまで飛翔した。
『その期待には応えよう。だが今は休ませてくれ・・・』
疲れた声でそう言って、フレイムドラゴンは夜空の向こうへ消えていった。
溶けた大地と私たちを残して。
願わくはフレイムドラゴンがお風呂に入りますように・・・