ひとつ目のお話「海に招かれる」
夏も近づいたある日、私は友人のK実から都内のカフェに呼び出された。K実は大手の出版社に就職したものの早々に退職し、フリーのジャーナリストになった変わり種であった。しかも、扱ってる分野が特殊で、いわゆる都市伝説とか怪異譚とか、要はオカルトやホラーに分類されるような事柄だったのだ。私が『やめろ』と言ったにも関わらず、名刺には「怪談ジャーナリスト」という極めて怪しい肩書を印刷していた。
『いつか、◯◯先生のようなホラー作家になる!』
というのがK実の口癖であった。ちなみに◯◯とは、K実が最近ハマっているホラー作家だった。1年くらい前は☓☓先生と別の先生の名を挙げていたような気がする。飽きっぽいのはK実の問題点でもあり、同時に魅力でもあった。
その飽きっぽいK実であったが、ライターとしての仕事はそこそこあるようだった。それでも、食べるために仕方なく、あまり好みではないガジェット紹介や紀行文、食べ歩き記事なども書く必要はあるみたいなので、フリーライターというのもなかなかに大変な仕事なのだろうと思う。
『大きなネタを見つけたんだ!』
その日、K実が開口一番私に言ったのはそんな言葉だった。明日から東北のとある県に取材旅行に出るということだった。
こんな感じのK実だが、私とはとても気が合っていた。というのも、私自身も怪異譚とか怪談話が好きだったからだ。私自身は特に怪奇譚蒐集家を標榜しているわけでもないのだが、私のもとには色んな人が怪異の話を持ち込んでくるので、自然とそういう話を多く知ることになる巡り合わせにある。
K実から知らない怪異譚を聞くこともあるし、私が聞いた怪談をK実に『提供』することもある。色々書いたが、要は私たちは互いに怪異好きの変わり者、ということなのだ。
K実が言うには、今度のネタは海に関わることだという。
『その地区に、似たような話がたくさんあってさ。それを取材して記事を一本書こう、ってわけ。今回はスポンサーもがっちり確保しているから、取材費も出るんだ』
今日の支払いも経費で落とすと言ってるからちゃっかりしている。道理であの万年貧乏なK実が『奢るから』等と言ったわけだと得心した。
似たような話って?
私が怪談に話題を戻すと、K実は得意げな顔をして取材ノートを黒バックから取り出す。そのバックはPCを収納するスペースがあり、ガバッと開くとカメラやらボイレコやらを取り出しやすい仕様になっているもので、K実の取材時のお気に入りだった。
「ひとつ目の話はね・・・」
それはK実がネットで見つけたとある体験談だった。
☆☆☆
【某有名掲示板オカルトスレの一節から】
冬も真っ盛り、雪も降ろうという季節だが、俺が体験した昨年の夏の終わりの話を聞いてほしい。
社会人3年目の俺は、珍しく大学の同級生たちと4人で旅行に来ていた。一泊二日、海で遊んで、飲んで食べて、温泉に入ってと、まあ、そんな計画だった。目的地に着いて、まず海でひと泳ぎし、浜辺でゴロゴロしたり、海の家で買ったものを分け合って食ったりと、そこそこ満喫した。
宿はちょっといいめのホテルだった。部屋は確か11階だったと思う。部屋の窓からは海を見下ろすことができた。日が暮れるまで遊んでいたので、宿から見えたのは、真っ暗な海がたゆたう姿だけだった。
夕食時は小さな座敷に案内された。そこに中居さんが料理を運んできてくれるスタイルだった。先付け、お造り、小さな鍋、肉料理、それと茶碗蒸しもあったかもしれない。まあ、こういったホテルにありがちな夕食だったが、それなりに美味かった。
俺たちについてくれた中居さんは明るくて、色々と気さくに話をしてくれたのもあって、仲間4人、ビールを飲みつつ、夕食をつつきながら、大いに盛り上がった。
そのうち、仲間の一人であるAが中居さんに、
「この辺に何か怖い話はないのか?」
と聞き出した。Aは昔から怪談が好きだった。
「怖い話ですか・・・」
中居さんは小首をかしげ、しばらく考えていたが、はたとと思いついた風で、
「そういえば、目の前の海、ちょっと人を呼ぶらしいですよ」
「人を呼ぶって?」
Aが身を乗り出す。俺や他の二人も興味はあった。
「あんまり大きな声じゃ言えないんですけど、この辺の海は海難事故が多いんです。毎年のようにというわけではないんですけど、何年かに一人は亡くなられている。特に、晩夏から秋にかけてが多いですね。多くは、昼間に泳いでいて、流されたりしてということなんです。まあ、それだけだったら普通なんですけど・・・」
中居さんはビールを片付けながら続ける。
「中に、とても変な亡くなり方をする方がいらっしゃるんです。夜中に、海に一人で入って、そのままーという」
「それって自殺ってこと?」
Bが話に入ってきた。中居さんはBに向き直り、首を振る。
「ええ、そう思われていました。でも、遺書も何もない。それに、友人と旅行に来ていたり、家族と来ていたりと、とてもじゃないけど自殺しそうな人ではないんです。自殺する人って、だいたい一人で宿泊されますからね。」
それはそうだ。死にに来るのに、団体旅行で来るというのは想像しにくい。
それに、と更に続ける。
「夜中にフラフラと浴衣のまま海に向かって、ずんずんと海に入っていく人影を見たっていう話も地元じゃちらほら聞きますよ」
「夜の海に呼ばれたってこと?何か船幽霊的なものでもいるのかな?」
ははは、と、中居さんは明るく笑う。
「まあ、そういうものがいるのかもしれませんね。ちなみに船幽霊っていうのは、船に乗っていると遭遇するやつですよね。柄杓を貸してくれーって来る」
中居さんは両手を垂らしてお化けのジェスチャーをしてみせる。明るい人だ。
彼女が教えてくれた怪談話自体はこれで終わりだった。
腹も満ちて、酒も飲み、軽くひと風呂浴びたあと、俺達はまた部屋で酒盛りを始めた。そのうち、Cが「俺寝るわ」と寝てしまい、Bも酔いつぶれて寝入ってしまった。
俺とAは比較的酒が強く、多分1時位までは飲んでいたと思う。さすがにもういいかということで二人して床につくことにした。
だが、その後、ふと俺だけが目を覚ましてしまった。飲みすぎて小便が近くなっていたんだな。そのせいで起きてしまったようだ。
時計を見ていないからわからないが、3時ごろだったんじゃないかと思う。小用をたし、もう一眠りと思って寝床に向かうところで、何気なく窓から外を見た。満月に近い月の光がキラキラと夜の海に照り返されてきれいだった。
そこで、俺は浜辺で動く影を見つけた。その影は、フラフラとふらつきながら波打ち際に向かい歩いているように見えた。格好は浴衣のままなのだろうか、ひらひらとした服装だった。俺は先程聞いた中居さんの話を思い出してゾッとした。もしかしたら『呼ばれている』のかもしれない。
もし本当だったら、いや、そうでなくても自殺をしようとしている人だったら・・・!
俺はいっぺんに酔いが醒めた。手早く着替えると、急いで影を見た場所を目指してエレベーターに飛び乗った。
ホテルの外に飛び出る。晩夏の生ぬるい夜の風が潮の匂いを運んでくる。あたりをざっと見渡すと、左の方、100mくらい離れたところに人影が見えた。確かに海に向かって歩いている。
助けなきゃ!
俺は走り出した。砂浜に足を取られるので思うように走れないが、月明かりを頼りにその影を追った。影は右に左にフラフラしながら、もう、すでにくるぶしくらいまで海に浸かっているのではないかという感じだった。
そして、俺が波打ち際にたどり着いたときには、その影は、もう肩まで海につかっているところだった。やはりだだことじゃない。
「おーい!待て!待て!」
俺は叫んでいた。叫びながら、自分も海に入っていく。もう人影は首から上しか見えない。
やばい!やばい!!
俺は夢中で水をかき分け、影に近づこうとする。影にはなかなか近づけない。逸る気持ちと進まない足取りにじれったさを感じて必死だった。
その時、突然、ぐい!と腕を後ろに引っ張られた。
え?!
振り返ると、Aが俺の腕を引きながらすごい形相でにらみつけていた。
「お前!何してんだ!正気か!!」
え?だって、あそこに人が
俺は振り返る、しかし、そこにはさっきまでいたはずの人の影はなかった。沈んでしまったのだろうか?いや、おかしい。Aには見えていないようだ。
Aは俺を引きずるようにして海岸まで連れて行った。気がつけば俺は、胸のあたりまで水に浸かっていたらしい。
息を切らせて、二人で海岸に腰を下ろした。
「お前、何してんだよ・・・もう少しで死ぬところだったぞ!」
Aは息を切らせながら言った。
Aによると、夜中に突然俺が部屋を飛び出したものだから追いかけてきたらしい。そうしたら、俺がまっすぐ海に突っ込んでいったので、慌てて引き止めた、とそういうわけだった。ちなみにAは浴衣のままだった。
俺が見ていた影のことも言ったが、Aには全く見えていなかったらしい。
とにかく部屋に帰ろう、と俺たち二人はホテルに向かって歩き始めた。
途中、ふと、後ろを振り返ると、海から上半身だけ出しているような人影が手招きしているのが見えた気がした。
しかし、あのあたりはとてもじゃないが、足がつくところではない。
ここで、やっと俺は思い至った。
そうか、『呼ばれていた』のは、
俺だったのだ。
☆☆☆
こわっ!
話自体も怖かったが、K実の語り口がまた怖かった。
カフェの冷房が少し効きすぎていたこともあったが、背筋がゾクリとした。
「ね?怖いっしょ?これ、偶然見つけてさ
それで、あれこれ調べたんだけど、どうやらこれがT県S町らしいってあたりがついたんだ」
いったいどうやって?と聞いてみたが、それは『企業秘密』とはぐらかされてしまった。彼女には彼女なりのネットワークがあるらしかった。
「だからね、明日からこの町に行ってみることにしたんだ」
K実は嬉しそうにパフェを頬張りながら、こう言った。