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サンダル

作者: 座椅子

 土砂降りだった。


 職場を出たときにはまだ小雨だったのに、駅に着くころには、街が丸ごと濁った水に浸されているみたいだった。折り畳み傘をさしていたけれど、ほとんど役に立たなかった。


 サンダルはすぐにぐしゃぐしゃになった。舗道の落ち葉が流れて足の甲に張りつき、指の間にはぬるい水が溜まって、一歩踏み出すごとに粘つくような音がした。低気圧で頭が痛い。耳の奥で鈍く何かが鳴っている。


 遠くで雷が鳴っていた。頭の奥で低く振動するような音がして、ぞくりと鳥肌が立った。


 雨の日の夕方。人通りは少なくて、私は小走りに駅の階段を駆け上がる。ふくらはぎに跳ねた水が生ぬるい。嫌な水の温度だった。


 改札を抜けるころには、もうどうでもよくなっていた。サンダルを脱いでひっくり返す気力もなく、そのまま電車に滑り込む。


 車内は冷房が効いているはずなのに、湿気が残っていた。曇った窓からは外が見えない。誰かが乗っている気配はあったが、顔を上げる気も起きなかった。

 私は一番端の席に腰を下ろし、濡れた髪を無造作にかきあげて、頭をもたせかける。


 目を閉じると、足先の感覚だけがはっきりする。サンダルの中に溜まった水が、じわじわと体温に馴染んでいく。

 細かい落ち葉の切れ端や、どこでついたのかわからない髪の毛が、指に絡みついて離れない。足の指先でこそげ取ろうとするが、そのたびに、ぬるりと滑って余計にまとわりつく。


 薄目を開けると、窓の外が白くぼやけていた。雨なのか、霧なのか、光なのか。どれでもいい。眠い。




 次に目を開けたとき、私はまだ電車に座っていた。

 けれど何かが変わっていた。


 足元が冷たい。

 ふと視線を落とすと、膝のあたりまで水に浸かっていた。


 座席の布地が水を含んで、座面いっぱいに暗いしみが滲んでいく。膝の上に置いた鞄の端からも、じわりと水が染みている。生乾きの服みたいな、雨水の嫌なにおいが立ち上ってきた。


 頭が働かない。

 夢だ、とどこかで思う。

 だけど、足の甲を撫でる感触は、妙に生々しかった。


 サンダルの中で、何かがふやけて伸びるように絡んでくる。


 それはさっきまであった落ち葉や髪の毛のはずだった。けれど今は、濡れた紐のように指の根元に巻きつき、足首を撫でてくる。


 声を出そうとしても喉が動かない。

 口の中が粘つく。


 夢だ、とまた思う。

 もう一度目を閉じた。




 次に意識が浮かんだとき、水は胸元まで来ていた。


 吊革の隙間から、細い水の糸が垂れている。それが水面に落ちて、波紋が広がる。

 視界はずっと曇っていて、窓の外はわからない。

 でも遠くで雷の音がしていた。

 その音だけが現実だった。


 水の中で、長い髪のようなものが揺れるのが見えた。

 誰かが、そこにいる気がした。

 喉まで水が満ちて、最後に目の奥が白く溶ける。




 ──アナウンスが流れた。


 肩をびくりと震わせて目を開ける。

 最寄り駅だった。数人の乗客が立ち上がっている。

 私はひどく汗をかいていた。

 雨はもう、止んでいた。


 あれは夢だ、と今度こそ思った。

 胸を撫で下ろして、立ち上がろうとした。


 足が動かない。


 視線を下げる。

 サンダルの中にはまだ、水がたっぷり溜まっていた。足の甲には、濡れた落ち葉と、細くて黒い髪の毛がびっしり絡み付いている。


 一滴、ぬるい水が床に落ちる。

 遠くで、雷がまだ鳴っていた。

雨の日にサンダル履いてると楽だけど気持ち悪いよね、というお話でした。

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