マッスルくんの恩返し
昔、昔あるところに貧しいおじいさんとおばあさんが住んでいました。
もう弥生になるのに冬の明ける気配はありません。
ある寒い雪の日、おじいさんは町へ薪を売りに出かけた帰り、雪の中に何かが動いているの見つけました。
「あれは何だろう」
おじいさんは悴む手を摩りながら一歩一歩と近づいていくと、罠にかかっている一羽の鶴をみつけました。
「おやおや、かわいそうに。さあさあ、はなしてあげる。これから気をつけるんだよ」
そうして鶴を助けてやると、鶴は山の方に飛んでいきました。
家に帰ると、おじいさんはおばあさんに言いました。
「さっき罠にかかった鶴を助けてやった。今日はよいことをした」
言い終わった時、入口の戸をたたく音がしました。
「だれでしょう」とおばあさんが扉を開けます。
そこには不動明王をも想起させる、筋肉の塊が立っていました。
辺りは一面雪景色でしたが、筋肉ダルマが通ったであろう道は、露出した土に野花が咲き乱れ、来る春をも思わせてくれました。
「雪で道に迷っていた娘さんがいた。どうか一晩ここに泊めてやってはもらえないか」
おばあさんが筋肉地蔵の後ろを見ると、美しい娘がそこに立っていました。
「今夜は特に冷える。さあ入んなさい。ほら、マッスルくんもどうぞ」
娘さんとマッスルくんはこの言葉に喜び、そこに泊まることにしました。
その日から、娘とマッスルくんはおじいさんの家でくらすようになりました。
ある日、娘はこう言いました。
「私に機をおらせてください。機をおっている間は、決して部屋を覗かないでください」
「わかりましたよ。決してのぞきませんよ。素晴らしい布をおってください」
続けてマッスルくんは言いました。
「私にトレーニングをさせてください。トレーニングの間は決して部屋を覗かないでください」
「わかりましたよ。おばあさんのトレーニングルームがありますので、そちらをお使いください」
「トントンカラリ、トンカラリ、トントンカラリ、トンカラリ」
「ふんふんふんふん!!ふんふんふん!!!!ふんふんふんふん!!ふんふんふん!!!!」
娘は部屋に閉じこもると一日じゅう機をおり始め、夜になっても出て来ません。
マッスルくんも一日じゅうトレーニングルームから出てきません。
ただ、マッスルくんのトレーニングによる筋肉熱のお陰で、家の中は暖房いらずとなりました。
次の日も次の日もおじいさんの家で機をおり続け、トレーニングを続けました。
三日目の夜、機をおる音が止むと一巻きの布を持って娘は出てきました。
それは実に美しい、いままで見たことのない織物でした。
「これは鶴の織物と言うものです。これを町に持って行って売ってください。きっとたくさんお金がもえますよ」
おじいさんは次の日に織物を売りに行こうと考えていると、マッスルくんがトレーニングルームから出てきました。
ふくらはぎを思わせる、一本のつくしを親指と人差し指で摘んでいました。
「これはムキムキつくしです。これを野山に植えてください。きっと寒波も逃げ出すはずですよ」
次の日。
おじいさんは道中でムキムキつくしを植えると辺り一帯の雪は溶け、町では鶴の織物がとても高く売れました。
嬉しい気持ちで帰っていると、溶けた雪から覗き込んだ土から色彩豊かな草花が芽吹いていました。
次の日、娘はまた織物をおりはじめ、マッスルくんはトレーニングルームに籠りました。
「トントンカラリ、トンカラリ、トントンカラリ、トンカラリ」
「ふんふんふんふん!!ふんふんふん!!!!ふんふんふんふん!!ふんふんふん!!!!」
再び三日が過ぎたとき、おばあさんは疑問に思いました。
「どうして、三日もトレーニングを出来るのだろう。トレーニング方法が気になるから覗いてみよう」
マッスルくんが決して部屋を覗かないでくださいと言ったのを忘れて、二人は見てしまいました。
「仕上がってるよ!!仕上がってるよ!!1!2!3!4!ふんふんふんふん!!!!おぉ……胸がケツのようだ……次はデッドリフトで攻めるか。デッドリフトは下背部、臀部、脚部を鍛えるウェイトトレーニングだが、バーベルが必要だ。おばあさんのトレーニングルームにはバーベルが無いのでどうしたものか。この機織り機じゃあ重さが足りないからバーベルの代わりにはならないな。諦めよう。ふんふんふんふん!!!!意外と機織り機でもダンベルの代わりにはなるな。ふんふんふんふん!!!!…………春が近いムキ」
その時、二人の脳裏に浮かんだのは幼少期の記憶。
野山を駆けてアブラナを摘み、親に和え物や炒め物を食べさせてもらった過去の淡い思い出が蘇りました。
「おじいさん、春ですよ」
ささやくおばあさんの声は、初めて出会った頃の若いおばあさんを思い出させました。
不思議とおばあさんの姿も昔の面影を帯びていました。
「トントンカラリ、トンカラリ、トントンカラリ、トンカラリ」
機をおる音も、ぺんぺんぐさが踊って鳴る音のように聞こえてきました。
娘さんの方も気になった二人は娘の部屋も覗いてみました。
すると、なんということでしょう。
一羽の鶴が自分の羽を抜いて機をおっているではありませんか。
「おじいさん、鶴ですよ」
その夜、娘は織物を持って部屋から出てきました。
「私は罠にかかっているところを助けられた鶴です。恩返しに来たのですが、姿を見られたので、もうここにはいられません。ありがとうございました」
娘はそう言って手を広げると、鶴になり、山の方へと飛んでいきました。
マッスルくんもトレーニングルームから出てきました。
「私は春の妖精です。冬から季節を越える筋肉をつけるため、トレーニングルームを貸していただきありがとうございました」
「春の妖精……?」
マッスルくんは深く頷くと頭の後ろに両手を添えて、スクワットを始めると、無数の蝶々となってどこかへ消えてしまいました。