第八幕・夏の空は赤く揺れ
『一場・出校日』
「だからっ、その事案はあの業者に頼んだっつってんだろうが!」
「菖蒲、一々そんな大声で怒鳴らないでください。品性を疑われますよ?」
「テメェが小姑みてぇにぐちぐち重箱の隅を突くからだろうがっ、百合!」
「もー、ふたりとも落ち着きなよ。急がば回れって言うし、菖蒲も百合も1回深呼吸して…」
「ざけんなよっ、紫陽花!!」
「紫陽花…残り1時間だとわかって言ってるんですか?」
「ちょっ、時間がないからって俺に八つ当たりしないでよー…」
生徒会の年長組3人は本当に仲良しだ。
学校での催し物の際に使用されるイベントホール内は、色々な業者や生徒会をはじめとする各委員達が世話しなく行き交っている。
そんな中、最も忙しいであろう主催者の生徒会年長組は仲良く戯れていた。
いや、俺の目から見て戯れているように思うだけで、実際のところ殺気混じりの舌戦を繰り広げているんだろう。
しかしながら、お互いを名前呼びし合うなんて萌えだよね!!
この年頃の男子は名字呼びが多いけど、幼等部からの幼馴染みである彼らは当たり前のように下の名前を呼んでいる。
そしてあの敬語キャラである香坂副会長も、呼び捨てで2人を呼んでるってところがまた萌える!
そんな年長組を気にすることもなく、年少組であり書記コンビでもある相川君と鈴枝君はマイペースに作業をしている。
ワンコ2匹が時折戯れながら作業する姿は、これはこれで萌える。
あぁ、やっぱり学園はいい…!
夏休み真っ直中の今日はたった1日しかない出校日なんだけど、この学園が普通の学校みたいに道徳講義とかで済むはずがない。
大会などがある部活の激励や骨休めも兼ねて、毎年生徒会主催の催し物が行われていたりする。
ちなみに彼らの名誉のために言っておくけど、今期の生徒会が無能だからこんなにも切羽詰まっているってわけじゃない。
ぶっちゃけ、それどころじゃなかったんだ。
澤村委員長の不在。
たった1人がいないだけで、学園はてんてこ舞いなのだ。
特に皺寄せを食っているのは、澤村兄弟と風紀委員だろう。
全く仕事をしていないように見えた澤村委員長だけど、家の名代として出席するはずだったパーティーや査察も兄と弟で分担しなくちゃいけなくなったらしいし、絶大な委員長の威光を失ってしまった風紀はその穴を埋めるべく生徒指導である岡野先生と連繋して組織の維持に奔走している。
いつも飄々としていて掴み所のない生徒だったけど、彼1人がいないだけでこんなにも学園の雰囲気が変わるのか…
失ってはじめて気付くとはまさにこのことだ。
「おいおい、随分とのんびりしてるじゃないか。お前さんの周りだけ時間の流れが違うみたいだな」
不意に後ろからかけられた声に振り返れば、いつものコック服を身に纏い段ボールを抱えている桂さんの姿があった。
「うるせぇよ。桂さんこそ、相変わらずの無精髭じゃないか。むさ苦しいぜ、おっさん」
よくもこんな風体で金持ち学園の厨房を任せられたもんだ。
親衛隊とかに所属してる生徒達なんか、髭は不潔だと思ってそうなのに。
イケメンだからか?
イケメンだから、無精髭のだらしないおっさんでも逆に渋いってなるのか?
くそっ、イケメン滅べ!
ウソウソ、滅ばないでください!
俺に萌えをください!
「おーおー、不機嫌なこって。んな可愛く剥れてねぇで、手が空いてんなら付き合えよ」
「……俺を顎で使うからには、それ相応の見返りを要求するぜ?」
「望むところだ。何なら5段重ねのウェディングケーキでも作ってやるよ」
「独身の俺に対する嫌みかよ、それは」
ま、何もしていなかったら香坂副会長にブリザードぶちかまされるから、手伝うことには文句ないんだけど。
「…はぁ、相変わらずの鈍さだな。そこも可愛いって思っちまう辺り、俺も重症だ…」
『二場・冷たい目』
何だかんだと桂さんの手伝いに奔走していたら、いつの間にか開始間近になっていたらしい。
生徒会メンバーも教師陣も、桂さんや俺も例外なく控え室へと向かい…
………
……
…
ギャ――――――ッッ!!!!!!!!
萌え狂うっ!!
マジでどっかから鼻血が出そう!!!!
今俺の目の前に広がっているのは、浴衣、浴衣、浴衣姿のイケメン達だ!!
うぉおおおっ!
洋装もいいけど、和装だと艶っぽさが当社比4割増しですよね!
露になった項!
チラリと覗く鎖骨!
着物の合わせ目から見える脚!
浴衣サイコ―――ッ!!!!
あー…ヤバイヤバイヤバイ。
アンチな王道君張りにエクスクラメーションマークが付きまくってしまう…!
だけどこの俺の興奮は、エクスクラメーションマークなしではお伝えできないのです!!!!
外見は平静を保ってて身悶えることすら許されないんだから、心の中でくらい叫ばせてください!!
俺自身は普段から浴衣を愛用しているから何の不自由も感慨もないけど、学園のみんなが着るなら話は別だ。
マズイ、興奮し過ぎて頭痛くなってきた…
「全く、お前は一体何をしているんだ。着替えたのならさっさと開場の手伝いをしてこい。今日は生徒会主催の催しなんだから、生徒会顧問のお前が率先して働くのが道理だろうが。大体お前という奴は盆休み明けから気を抜き過ぎだ。澤村藤のことが気にかかるのはわかるが、教師であるお前が落ち着いて普段通りに振る舞わないと生徒達が不安になるだろう。いつまでも新人気分のままでいられるのは迷惑だ。そんなにアイツのことが心配なら、私が忘れさせてやろうか?」
……振り返りたくない。
この立て板に水がごとき怒濤の説教は、あの人しか有り得ない。
インテリ鬼畜眼鏡は萌えるキャラだけど、実際に同僚にいたらストレスが半端ないのです。
しかも、新人が俺しかいないからって集中砲火なんだから余計に苦手意識が…
「おい、聞いているのか?」
出来れば聞こえていない振りを突き通したかったけど、肩に手をかけられたら反応しない訳にはいかないじゃないか。
渋々身体ごと振り返ったら、そこには艶を帯びた上質な漆黒の浴衣を完璧に着こなしている鬼畜眼鏡様がいらっしゃいました。
くっ、悔しいけどメチャクチャ似合ってる…!
元々涼しげな眦をしているし、空手で鍛え上げられたしなやかな身体は和装がよく似合う。
ぶっちゃけ髪が赤い俺よりも余程しっくりきていてる。
「……るせぇな。教師だからこそ忘れられないんじゃないか。あの場には俺もいたのに、しかも三宅の危険性を十分理解していたのに俺は止められなかった。防げなかったんだ」
萌え萌えしてこの陰鬱な気分を吹き飛ばそうとしたけど、やっぱり無理みたいだ。
本当なら岡野先生の貴重な浴衣姿を思う存分堪能したい。
そしてこの込み上げるリビドーをアオイ君に余すことなく伝えたい。
だけどどうしても、澤村委員長のことが頭から離れないんだ。
あの日、意識を取り戻した澤村委員長は、もう俺の知っている彼じゃなかった。
いつも飄々としながらも柔らかな色を帯びた瞳は影も形もなく、俺を見上げる眼差しは何処までも冷めきっていた。
そう、澤村委員長は記憶を失っていたのだ。
正確には中学二年生の頃まで後退してしまっているらしい。
だからもちろん俺のことなんか覚えているはずもなく、あの後すぐに病室を追い出されてしまった。
『知らない男と2人きりなんてキモイよ。さっさと出てってくれる?』
澤村委員長のあんな冷たい目は見たことがない。
心の底から凍り付くような、そんな目だった。
『三場・夏祭り』
暗闇を照らす提灯の列。
活気溢れる露店商の声。
雰囲気を盛り上げる太鼓とお囃子。
まさに夏祭りだ。
行き交う生徒達も今日は浴衣に身を包み、生徒会主催のイベントを楽しんでいる。
まぁ、中には女性用の艶やかな浴衣を違和感なく着こなしている生徒もいるけど、それはそれで目の保養だ。
ただ、やっぱり金持ち学園は普通じゃ済まない。
俺が生徒会メンバーに一般的な祭りのあり方をレクチャーしてやったのに、雰囲気しか反映されていないんだから泣けてくる。
現在の時刻はお昼の12時。
そう、真っ昼間だ。
なのに暗いのは、ここが巨大なイベントホールだからに他ならない。
空調もバッチリ効いている屋内での夏祭りなんて、ちょっと反則だろ…
露店だって、佇まいだけは良く見かけるチープなヤツだけど、商品はアホみたいに金がかかってるし。
もちろん飲食は無料なんだけど、一部有料の射的や金魚すくいなんかはメチャクチャ豪華な景品が揃っているらしい。
普通の祭りなら一番良くてゲーム機とかなのに、ここじゃ宝石だの土地だの株だの正直凄過ぎて扱いに困るものばかりだ。
しかも全部、父兄達からの寄付だって言うんだからスケールが違う。
そんな祭りの中でも一際賑わっているのが、ここ。
レトロコーナーだ。
手動で作るかき氷やら焼きとうもろこし、ヨーヨー釣りにりんご飴、綿菓子と俺がよく知る普通の露店。
別にお坊ちゃん達は、珍しがって群がっている訳じゃない。
このレトロコーナーは生徒会メンバーが直々に作り、販売しているから賑わっているんだ。
「……最悪だ」
「愚痴ってないで、手を動かしてください」
生徒会顧問の俺まで駆り出されて、満足に食べ歩きもできやしない…!
サボろうにもさっきから香坂副会長の目が光ってるし、俺が担当してるりんご飴は冷やす時間もいるから手を休めることもできない。
しかも、生徒会が忙しく働いてるってことは、桜君とも絡めないってことだ!
一匹狼とスポーツ特待生が侍っているとはいえ、折角のイベントなのに生徒会が王道転校生と絡まないなんて許されるのか!?
いや、この俺が断じて許さない!
「俺がわざわざ焼いてんだから、有り難く食えよ」
とうもろこし片手に俺様台詞を口にする澤村会長。
「紙縒りが切れないように、そっと持ち上げてください」
ヨーヨー釣りをレクチャーしながら俺を見張る香坂副会長。
「きみには特別甘ーい綿菓子、作ってあげるね」
器用にハート型の綿菓子を作る関君。
「………」
黙々とハンドルを回して氷を削る相川君。
「はーい! いちごみるくお待たせ☆」
楽しそうに氷にシロップをかける鈴枝君。
素晴らしい。
実に素晴らしいシチュエーションなのに、何故ここに主人公がいないんだ!
瞳をキラキラ輝かせている親衛隊の子達も可愛くて萌えるけど、やっぱり俺は王道総受けが見たいのです!!!!
「ねぇ、」
「飴なら勝手に持ってけ」
嗚呼、桜君来てくれないかな。
「あんたさ、」
「飲食は無料だから安心しろ」
大量の砂糖と水が入った鍋を時折揺らし、飴の具合を見ながらりんごを串に刺していく。
「せめてこっち向いてくれる?」
「今手が離せねぇんだよ」
いっそ桜君が「俺が手伝ってやるよ!」とか王道節全開で乱入して、俺の代わりにりんご飴作ってくれないかなぁ。
「……いい加減にしないと、関節全部外しちゃーうよ?」
「テメェ、そりゃ犯罪…、っ!」
俺の思考を邪魔する生徒に俺様微鬼畜ホスト教師らしく凄んで見せようかと顔を上げれば、そこには澤村会長がいた。
あれ、いつの間に?
『四場・黒髪』
ジィ――――――……
いや…でも、澤村会長は確かにとうもろこしを焼いている。
だからといって、今店先に立って俺を見下ろしてきてるのは黒髪イケメンの澤村会長に間違いない。
あれ、若干髪が長いかな?
項が隠れるくらいの艶やかな髪に、藤の花が描かれた高そうな浴衣。
……藤?
「…まさかお前、澤村藤か?」
あんなに綺麗に真っ白くブリーチされた髪は何処に行ったんだ!?
澤村委員長のツンツン頭は何処に行ったんだ!?
いつもの掴み所のない笑顔は何処に行ったんだ!?
澤村委員長の代名詞的なものが全て抜け落ちたその姿に、俺はただただ愕然としてしまった。
だって…
キャラ被りはいかんでしょっ!!
確かにそっくりな双子がユニゾンするのは王道だけど、三つ子の内の2人がそっくりで1人が違うとか変化球過ぎだよ!
そもそも澤村兄弟は顔がそっくりなのに全然似てないのが売りだったじゃないか!
「どうしたんだ、その頭は…」
「あぁ、これ? だってさ、白い髪とか有り得ないでしょ。菖蒲と同じ髪色なのは気に入らないけど、オレとしてはこっちの方が馴染みあるし」
にこりとも笑わない澤村委員長が、黒くした髪の毛を弄りながらつまらなさそうに呟く。
普段から何考えてるかわからない生徒だったけど、今の澤村委員長は半端じゃなく冷めてる。
というか、澤村家の本邸で療養中じゃなかったっけ?
ほらほら、周りの生徒達もとうもろこしを焼いている澤村会長と、リンゴ飴の真ん前に陣取って動かない澤村委員長を交互に見ちゃってるし。
きっとドッペル!とか思っちゃってんだよ。
「ってかさ、アンタ何なんだよ」
「……は?」
「そんな明らかホストみたいなカッコして、まさかの教師? それこそ有り得ないよね。オレ、最初に見た時不審者だって思っちゃったもん」
メ……
メッチャ見下されてるんですけど。
俺がパイプ椅子に座ってるのもあるけど、澤村委員長の目がメッチャ見下してる。
随分とまぁ、ひねくれた中学生だったんだな、澤村委員長って。
「大体なに、その家畜」
おっと、侮蔑の眼差しが俺から俺の足元へと移った。
そう…何を隠そう、本日はネギシオと同伴出勤していたりする。
もちろん理事長の承諾は取ってるから問題ないんだけど、もしかしたら澤村委員長は動物が嫌いなのかも知れない。
「…コイツは、俺の家族だ」
「ぷぎ!」
ぬわぁ―――っ!!
嬉しそうに尻尾を振りながらいい子のお返事するネギシオッ、マジ天使ぃいいいっっ!!!!
ここが自室なら思う存分ぎゅっきゅして、高い高いして、ぐるぐる回って、顔中にちゅっちゅしまくるのに!
しかし、俺様微鬼畜ホスト教師モードの俺じゃ頭を撫でるのが精一杯だ。
部屋に帰ったら一緒にお風呂に入ろうな、ネギシオ。
「……有り得ない。そんな食肉用の家畜が家族なんて、アンタ頭おかしいんじゃないの?」
「食、肉…だと…?」
「それ以前に、食べ物を扱うのに家畜連れ込むなんて常識がなってないよ。豚なんて汚い生き物、さっさと捨ててきな」
「……テッ、メェ!!」
バキィイイッッ!!
凄まじい音と共に、澤村委員長が吹っ飛んでいく。
周りからは小さな悲鳴が上がってるけど、これだけは聞いてほしい。
殴ったのは俺じゃない。
パイプ椅子から立ち上がるどころか、そもそも『…コイツは、俺の家族だ』以降喋ってもいない。
つまり、さっきから澤村委員長の後ろにいたネギシオの本当の飼い主が、話を盗み聞きした挙げ句ブチ切れた勢いで殴り飛ばしたんだ。
「……おい、やり過ぎじゃないか? 猫柳…」
「ネギシオは食肉用なんかじゃねぇ!!」
いやいや、そのネーミングじゃ説得力ないだろ。
『五場・四面楚歌』
深く考えないようにして今までスルーしてきたけど、本当に猫柳君のネーミングセンスは変わってる。
普通可愛がってる子豚にネギシオなんてつけないよな?
しかもそれが変だってことを認識してないのがまた凄い。
青い髪に不良オーラ垂れ流しのくせしてオカン気質で口煩くて細かい、そしてちょっと頭が弱い猫柳君。
そんな彼は紛うことなき俺のクラスの生徒だ。
ここは一丁、先生風吹かせとかなきゃいけないでしょ。
いつになくブチ切れている猫柳君に驚いたのか、おろおろと落ち着きなく見上げてくるネギシオの頭を一撫でしてから、俺はしばらく振りにパイプ椅子から立ち上がった。
吹き飛ばされながらも身体を回転させて体勢を立て直した澤村委員長は、腹黒副会長なんて比較にならないくらいの黒いオーラを放出している。
魔界から悪魔か魔王でも召喚したかのような禍々しいオーラに、澤村委員長の親衛隊でさえ心配しながらも近寄ることができないでいる。
……やっぱり座っちゃダメかな?
流石にこんなバーサク状態の澤村委員長を相手に出来る自信がないんですけど。
俺が召喚師とかで、数字に強い鬼畜眼鏡な空手チャンピオンを召喚できるんなら話は別だけど。
チラッと離れたところにある焼きとうもろこしの露店に目をやれば、澤村会長は触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに黙々ととうもろこしを焼いている。
これだけの騒ぎの中、暢気にとうもろこし買う奴なんていないから!!
わざとらしいんだよっ、また女装させるぞコノヤローッ!
「……今、殴ったよね」
こっ、
怖いよぉおおおおっっ!!
地を這うような声ってこのことなんですね!
こんな超怖い澤村委員長を前にしても、愛豚に暴言吐かれたことで頭が煮え滾ってる猫柳君は全く怯まない。
逃げて―――っ!
逃げて猫柳君!!
じゃないと俺が止めなきゃならなくなるじゃんかぁっ!!
それでもし俺が殴られちゃったりしたら、澤村委員長の罰則が重くなってしまう。
「…っ、猫柳、落ち着け! 今のは全面的にお前が悪い!」
「っざけんなよクソ教師!! ネギシオを食肉扱いされた上に、汚いって言われたんだぞ!? 豚は綺麗好きだし、毎日瀬永が一緒に風呂入ってんだから汚れレベルは瀬永と同じだ! だったらネギシオじゃなくてテメェが捨てられろ!!」
ちょっ、子豚と入浴なんて俺様微鬼畜ホスト教師のイメージに合わないからやめて!!
ってか、ブチ切れ過ぎて話が支離滅裂になってるからぁあっ!!
若干イラッてしながら露店から出て澤村委員長と猫柳君の間に立つけど、痛い痛い痛い。
目から破壊光線が出てるんじゃないかってくらい、俺の後頭部を睨み付けてくるのはもちろん澤村委員長だ。
振り返りたくない。
振り返ったら殺される…!
くそぅっ、ここでボコボコにされたら今まで築き上げてきた俺のイメージが…!
でも、遠巻きに見ている生徒たちの『先生が来てくれたから大丈夫』みたいな期待に満ちた眼差しが俺の退路を断っていく。
これってアレだな。
前門の虎後門の狼、四面楚歌、人身御供…はちょっと違うか?
ともかく、澤村会長でさえ見ない振りしている祟り神に、俺は武器もなく挑まなければならないらしい。
「……澤村、コイツはあの子豚の飼い主なんだ。だからチャラとは言わねぇが、ここで仕返しなんて子供じみた真似だけは勘弁してやれ」
ギギギギギッと首を回して振り返れば、やっぱりそこには目をギラギラさせて睨み付けてくる澤村委員長がいた。
本当ならジャンピング土下座でも何でもして命乞いしたいんだけど、こんな公衆の面前で自分からキャラ崩しなんて俺に出来るわけがない。
「勘弁、すると思う?」
恨むぞ、猫柳君…!!
『六場・獲物』
もう誰でもいい!
この場を穏便に収めてくれ!!
…なんて他力本願なこと思ってたらダメだよな。
ダメなんだけど…
「子供同士の喧嘩に、割って入らないでくれる?」
やっぱり怖いよこの子!
もっともなこと言ってるっぽく聞こえるけど、絶対に子供の喧嘩みたいな可愛いもんで済ます気ない顔してるよ!
大体ここが学園である以上、生徒同士のいざこざに教師が介入するのは当然なんだけど!
むしろここで見て見ぬ振りする方が問題なんですけど!!
PTAとかモンスターなんちゃらとかから文句言われるのは俺なんですけどぉおおっ!!!!
「ふざけんなよ。確かにお前はクソガキだがな、澤村家…しかも直系のご子息様がただの子供で済まされる存在だと思ってんのか? お前の軽はずみな行動が、家に迷惑かけることくらいわからねぇほどガキじゃねぇだろ。ここは学園っつってるけど、実際は縮尺した社会そのものだ。今は友達でも行く行くは取引先やライバルになる人間ばかりがいる。お前が全身の関節を外してやろうと睨み付けてるこの青髪の不良くんはな、こう見えて代議士先生の一人息子なんだよ。代議士の息子と澤村コンツェルンの息子がいざこざ起こして得になることなんか何もねぇだろうが。むしろ俺の監督不行き届きとかでメチャクチャ面倒臭ぇことになんだよ。不良くんがぶん殴ったのは事実だから後で菓子折り持って謝らせっから、今日のところは穏便に済ませろ。いいな?っつーか、お前は俺に何か用があったんじゃねぇのか? わざわざ俺を貶しに来たってんならこの際だ、腹ん中のもん全部ぶち撒けてすっきりしちまえ」
弱い犬ほどよく吠えるとは、まさに俺のことだろう。
前髪を掻き上げ面倒臭そうなポーズをとってはいるものの、澤村委員長に口を挟まれるのが怖くて酸欠気味になるくらい怒濤の勢いで喋り倒してしまった。
当事者の2人はもちろん、周りまで唖然としているけど気にしない。
気にしてる余裕がないくらい、今の俺は追い詰められてるんだ。
どうしよう、逆上した澤村委員長にぶん殴られたら…
俺みたいなインドア腐男子は、紙っぺらの如くいとも簡単に吹き飛ばされて星屑になってしまう。
一応長台詞を口にして時間を稼いだつもりだったけど、他の教師が助けにやって来る気配はまだない。
チクショー!
今こそ生徒指導の出番だろうがっバカ―――ッ!!
「…アンタさぁ、さっきから何なわけ? そんなチャラい格好しときながら、今さら教師っぽいこと言っちゃって」
黒く染め上げた前髪を俺よりも優美に掻き上げてみせる澤村委員長は、身長も相俟って精神的にも現実的にも俺を見下してくる。
でも、なんでだろう?
さっきまでガラス玉みたいだと思っていた澤村委員長の瞳が、今は違っているように見える。
「澤村家の息子に対して態度はデカイし、ホストみたいなのに真面目に仕事してるし、飼ってるペットは子豚だし? アンタ、ブッ飛び過ぎ」
何処となく、…楽しそう?
ギュインッと上がった口角に細められた目は、まるで獲物を見付けた蛇のような…
ん?
獲物??
「病室でも思ったけど、アンタってホント変なオトナ」
「テメェ、腹に抱えたもんってそれ…」
「変過ぎて、逆に気になっちゃうじゃない」
「……は?」
澤村委員長の言葉に、俺だけじゃなくて周囲からも疑問符が飛び交う。
あれ、これ、もしかして…何かしらのフラグ…
「ムカつくからさ、気にならなくなるまでテッテー的にアンタのこと観察し尽くすから」
立っちゃってますね!!!!