第五幕・素晴らしき日々
『一場・イジメ』
桜君が転校してきてから、早いもので1週間経った。
2日目からはじまったイジメは苛烈の一途を辿っている。
靴用のロッカーだけでも生ゴミを詰められたり、ネズミの死骸を入れられたり、ペンキをぶちまけられていたりと実にウィットに富んでいる。
もちろんこれは生徒会や風紀の親衛隊によるものだけど、俺は大して心配なんかはしていなかった。
それは一重に桜君の性格によるものだろう。
「おい、桜。お前図太すぎねぇか?」
第二実験準備室のソファに座る桜君を向かいで見詰めながら、いつものようにお茶をいれていく。
「あんなん可愛いものじゃん。面白いけど別にムカついたりしないし」
いっそ清々しいほどの態度にやっぱり王道転校生は伊達じゃないと痛感する。
この桜君という人は、どんなイジメに遭っても笑い飛ばしてしまう図々しさを持っていて、逆に親衛隊の方がヤキモキさせられているくらいだ。
もちろん桜君の攻め要員達はイジメに関して怒りまくってるけど、いくら自分の親衛隊に手を出すなって言ったところでそれは火に油を注ぐようなものだとまるで気付いていない。
頭が良いのにそういうところはおバカな彼等が王道過ぎて楽しすぎる。
「ほら、飲めよ」
「サンキュ、蓮華先生」
いつの間にか名前呼びが定着しているな。
相変わらずボサボサの髪を揺らして、ただでさえ瓶底の眼鏡をお茶で曇らせた桜君は何故か俺に友好的だ。
呼べば嬉しそうについて来るし、荷物を持っていたらすぐに手伝ってくれる。
そのお陰で俺は完全に攻め要員の皆様に敵視されています。
「桜がんな態度とってっから、親衛隊共が過激になってくんだろうが。お前は良いかも知れねぇけど、お前の周りの奴等が煩くて敵わないっつーの」
たまには教師らしいことを言おうと、ソファに身体を預けながら湯飲みを傾ける。
この前茶飲み友達の相川君に貰った玉露は、本当に香り豊かでほんのりとした甘みがある一級品だ。
知らず知らずのうちに顔がふにゃりと緩んでしまう。
「……蓮華先生ってさ、何か可愛いよな」
「…………は?」
「前から思ってたんだけどさ…いつもは丸っきりホストなんだけど、ふとした瞬間スゲェ可愛くなるんだよ」
お、王道めぇええええっっ!!!!
副会長の嘘笑顔を見破る辺りで感はすこぶる良いってわかってたけど、まさかこの俺の完璧なるホスト教師キャラまでも見破りかけるなんて誤算だ!!
ヤバイマズイヤバイマズイ…
このままじゃ何だかとてつもないフラグが立ってしまいそうだ。
「な、に言ってんだよ。可愛いのは桜、お前だろ?」
「いーや、蓮華先生だ!」
やめろっ、やめてくれ!!
これ以上会話を続けてもどんどん深みに嵌まっていくような気がする。
じんわりと嫌な汗が滲みはじめた瞬間、
―――バタンッ!
「桜っ、無事か!?」
大きな音を立てて開かれた扉から、爽やかクラスメイトの神田牡丹君が飛び込んできた。
短いながらも柔らかそうな茶髪さえ爽やかな神田君は、バスケ部のエースでニコニコと穏やかな生徒だった。
最近じゃ桜君に近付く男達相手に腹黒を発揮していて、その被害を1番受けているのはこの俺だったりする。
いつもは爽やかに笑って嫌みを言うのに、今日は刺さるんじゃないかっていうほど俺を鋭く睨み付けている。
いつにない神田君の様子に、向かいに座っている桜君もぽっかりと口を開く。
「俺が用事でいない時を見計らって、こんなところに桜を引っ張り込むなんて…。貴方は教師として恥ずかしくないのか!?」
メッチャ怒ってるみたいだけど有り難う!!
いつもは阿修羅か般若に見える君が、今に限って菩薩のように見えるよ!!
神田君のお陰でボロが出ずに済んだことは確かなわけで、例え誤解されまくっていたとしても俺には君の後光が見える。
「ちょっ、誤解だってば牡丹! 蓮華先生は俺のこと心配してくれてんだよ!!」
「騙されてるんだよ、桜は。心配する振りをして手込めにしようとしたに決まってる。な、デザート奢るからもう行こう?」
桜君、庇ってくれるのは嬉しいけど神田君の俺を見る目が虫けらを見るような眼差しに変わってるからやめて。
「ざけんなよ、神田。この俺の何処が手込めにしようとしてるっつーんだよ」
「……その首のガーゼ、どうせキスマークなんでしょ。教師のクセに汚らしい」
「えぇえっ!? キキ、キスマークゥウッ!?」
当たらずとも遠からずな神田君の指摘に、桜君が驚くほどのリアクションをしている。
嗚呼、こりゃ長引くな。
何やらわーわーと騒いでいる2人をお茶を飲みながら眺めていると、そのうち不良の猫柳君まで現れて第二実験準備室は有り得ないほど騒がしくなる。
桜君を取り巻くクラスメイト2人に萌え萌えしながら、俺の有意義な時間は今日も過ぎていくのだった。
『二場・寮父』
この学園は変な奴らの巣窟だ。
ホモとかゲイとかバイとか薔薇とか同性愛とかBLとか禁断の花園とかは大歓迎だから横に置いておくとして、小石を投げれば変人に当たるくらいこの学園はカオス極まりない。
生徒会や風紀委員はもちろんのこと、不良だの図書館の主だの教師だのも変人ばかりなのだが、その中で最も恐れられているド変態を俺はたった今発見した。
寮父の森川チコリだ。
可愛らしい名前とは裏腹に、燃えるような赤い髪を獅子のように立たせて常に目をギラつかせている危ない度指数MAX越えの超絶美形。
寮則に違反しようとしまいと目に付いた奴はぶちのめすというデンジャラス振りなのに、何故か誰もコイツを辞めさせることができない学園七不思議のひとつ。
しかもノンケ!!
しかもノンケ!!!!
大切なので二回繰り返しました。
存在そのものはかなり美味しいキャラなのに、本人は誰かがイヤーンでアハーンなことをしているところを発見しようものならドアを打ち破って鉄拳を食らわすというほどのホモ嫌い。
まさに俺の敵!!
獰猛で野性的で毛ほどの理性もない森川さんがキング・オブ・デンジャラスだということはこれでわかって頂けただろう。
そして、ここからが重要になってくる。
彼がデンジャラスを上回るド変態だということについてだ。
現在夜の8時。
寮の食堂で腹を満たしたはずの俺は、今何故か寮父室…つまり森川さん(25歳)の部屋にいる。
モノトーンで綺麗に片付いている落ち着いた部屋のフローリングの上で、息も絶え絶えに四つん這いになっていた。
―――森川さんが。
ラフな黒いジャージを身に纏っているパーフェクトボディーな森川さんが、呆然と立ち尽くす俺の前で身悶えている。
これは、一体どういう状況なんだ?
「れ、蓮華…ッ、さっきの、もう一回言えっ」
「……は?」
「言えッッ!!!!」
「―――ッ! だ、からっ、俺のクラスの生徒に手を出すなって…」
「そっちじゃねぇっ、その後だ!!」
床に這いながらも牙を剥き出しにした野獣のような森川さんの迫力に、ホスト教師のキャラが崩れてしまいそうになるのを辛うじて持ち堪える。
良く良く考えてみれば、確かフラリと食堂に現れた森川さんが生徒会に囲まれていた桜君に目を付けて、それを庇おうとビビりながらも生徒会の連中が桜君を隠したんだ。
腐っても教師な俺が見兼ねて出て行ったら、あれよあれよという間にここに連れて来られたんだったような気がする…
ちょっと、今目の前で起こっていることが衝撃的過ぎて記憶が曖昧になっているけど、確かそんなんだった。
「えーっと、確か……これだから躾のなってない野獣は…だったか?」
俺も俺なりにビビりながらもキャラを守ろうと必死だったんだ。
ちびりそうなくらい怖かったけど必死だったんだ。
思い出しながらさっき言った言葉を口にした瞬間、また森川さんが気持ち悪く悶えはじめた。
「あぁっ! クソッ、メチャクチャ興奮すんじゃねぇか!!」
はい、変態決定。
腐男子の俺をここまでドン引きさせるほど、このワイルド&セクシーな男は超弩級の変態なんだ。
超弩級のマゾなんだ。
「このオレ相手に物怖じしねぇで、それどころか冷めたような目でんなこと言うなんて反則だろうが!! もっと蔑むような目で俺を見ろ! そのエロい声で俺を詰れ!! しなやかな脚で俺を踏めばいいだろ!! 特に股間辺りを重点的にな!! 痛みと快楽に悶える俺を見て嘲笑しろっ、嬲って痛め付けて踏みにじれ!! そして俺にお前の聖水を―――」
「聖水って何だボケェエエッッ!!」
ドカッ!!
「ぐぁっ!」
これ以上聞いたらこっちまで病んでしまうと、反射的に森川さんの顔を蹴り飛ばしてしまった。
そして俺はその後になって己の犯した過ちに気付く。
「あっ、ぁあ…ヤ、ベェ…俺、今のでイッちま…」
「ぎぃやあァア゛ああーーーッッ!!!!!!!!」
人はこれを、後悔という。
『三場・無邪気』
先日はちょっとしたアクシデント…いや、トラウマ決定な出来事はあったものの概ね俺の腐ライフは順調そのものだ。
元々は自炊派だったのが桜君見たさに食堂に移行したくらいで、相変わらず総受け状態の彼に顔面を崩さないよう表情筋を鍛えられる毎日だ。
特別棟の最上階に位置する生徒会専用の空中庭園。
山間に位置する学園の中で最も高いこの場所は、他の誰にも見られることがないからイチャつくのには持ってこいのスポットだろう。
まるで植物園のような鬱蒼と繁る木々に囲まれたベンチで戯れる生徒達を、今日も今日とて影から温かく見守る心優しい先生なのであった。
ベンチに腰掛けた桜君の右側には俺様生徒会長の澤村菖蒲、左側には腹黒副会長の香坂百合、後ろから抱き着いているのはチャラ男会計の関紫陽花。
書記の二人がいないことはちょっと残念だけど、このままいっそキス合戦に雪崩込んじゃえば良いのに!
『おら、こっち向けよ』
『え、何…っ…ん! やめ、菖蒲…!』
『菖蒲ばかり狡いですよ? ほら、桜君…私の方を向いて…』
『百合、ちょ待っ、んぅ…!』
『えーっ、みんなズリィ! 桜、俺が二人なんかよりずーっと気持ちいいのしてあげる』
『ダメッ、紫陽花…ふぅ、ん…っ!』
なんてな!!
うはぁっ、これヤバくない!?
鼻血出てないッ、これぇ!?
やっぱり裏から手を回して生徒会の顧問になった甲斐があった。
生徒会顧問は生徒会と同等の権力があるからこそ、こうやって空中庭園に忍び込めてるわけだし。
「さくちゃんってば、今日もモテモテだね☆」
「あぁ、俺も今あそこに混じるか否か真剣に考えていたところだ」
「レンちゃん、さくちゃんのこと大スキだもんね!」
「もちろんだとも。こんなにも萌える逸材、そう簡単に見付けることはできん」
「萌え?」
―――あれ?
俺ってば確か一人でこっそり覗き見してたはずなんだけど、凄くナチュラルに会話しなかった?
俺の中のもう一人の俺と会話していたのならいいんだけど、ギギギッと声がした方を振り返ればデッカイ目が俺を見上げていた。
これは見覚えが有り過ぎる。
キャピキャピ書記の鈴枝桃だ。
無邪気な笑顔で寄ってきた攻めを食い散らかしているだろうと予想されるこの生徒に見付かってしまえば、弱みに付け込まれるか言い触らされること請け合いだ。
しかも俺は今何と言った?
俺の記憶が確かなら、確実に『萌え』と言った気がする。
「レンちゃんって、……オタク?」
バレてる!!
すぐにでもオタクじゃないと言いたいけど、腐男子は立派なオタクだし俺は隠れてはいるけど腐男子だということに誇りを持っている。
だがここで否定しなければ、俺のウハウハ腐れパラダイスが…!!
「…ち、ちち、違…っ…」
「うわぁっ、レンちゃんカッコイイ! オタクってマニアってことでしょ? 言わばスペシャリストだよね! ボク尊敬するよ!」
………あれ、あれれ。
「鈴枝…お前、偏見ないのか?」
「何で? 海外ではスペシャリストは誇らしいことだよ?」
鈴枝君は無邪気を装った腹黒じゃなかったのか?
だけど、俺をキラキラした目で見る鈴枝君が嘘を付いているなんて到底思えない。
「鈴枝は、いい子だな」
曇りのない眼差しを受けてつい反射的に鈴枝君の頭を撫でたら、嬉しそうに目を細めてはにかむ可愛過ぎる鈴枝君の仕種に、さっきとは違った意味で鼻血が出そうになる。
「ふふっ、ボクね、レンちゃんに撫でてもらうの大スキ☆」
俺の腐男子レーダーも信用ならないな。
きっとこうあってほしいって邪念がレーダーを狂わせているんだ。
だって鈴枝君は無邪気を装っているように見せ掛けた、真実本当に無邪気な仔犬君だったわけだし。
もしかしたら去年絡まれたのも貞操を狙われたんじゃなくて、ただ単純に懐いてくれていただけだったのかも知れない。
嗚呼…誤解しててゴメンね、鈴枝君。
だけどこれだけは言わせて。
「いくらでも撫でてやっから、このことは俺とお前だけの秘密だ。わかったな?」
「うん! ボクとレンちゃんだけの秘密、嬉しいな!」
……今年の生徒会書記は、タイプは違えど二人ともワンコ属性決定だな。
萌えるじゃねぇかっ、コノヤローッ!!
『四場・キャンプ?』
この学園にはドSや鬼畜や変態ばかりだと思っていたのに、相川君といい鈴枝君といい桜君といい犬っぽい癒し要員の存在に俺は毎日癒されている。
もちろん桜君には癒されてるだけじゃないんだけど。
そして今日は2泊3日の交流キャンプ初日だ。
名目は新入生との交流を目的としたキャンプってことになってるけど、そこは流石金持ち学園といった感じでテントなんかはもちろん張らない。
デッカイコテージに5~6人の生徒が寝泊まりするんだけど、これがまた二段ベッドとかじゃなくて個室だから意味がわからない。
更にはバーベキューもするけど、一流シェフが焼いた物をビュッフェ形式で食べる光景には去年物凄く驚いた覚えがある。
もうこれはキャンプというレベルじゃないだろ。
辛うじて学生らしいことといえば、初日の部屋割争奪ゲームと星座を見ながらの夜の集い、2日目のナイトハイキングくらいのものだ。
かく言う俺達教師陣は既にクジ引きで部屋割が決まっていたりする。
絶好の萌えイベントだというのに今回俺のテンションがだだ下がりなのは、偏にその部屋割が原因なのだ。
鬼畜数学教師の岡野セイジ。
無精髭シェフの桂向日葵。
エロ大魔神校医の東紫苑。
ドM寮父の森川チコリ。
俺。
濃い。
濃厚過ぎて胸やけがするわ!!
メチャクチャ神経質な岡野先生の天敵ベスト4が勢揃いなんですけど!!
ちなみに俺はその筆頭…
こんな濃密過ぎるメンバーと2泊もしなきゃならないと考えるだけで、これから待ち受けている桜君争奪戦という萌えイベントへの意気込みさえ直滑降だ。
「オラッ、とっとと指定された席に座りやがれ! 俺の手を煩わせた奴は、今夜俺の部屋でみっちり仕置きすっからな」
しかし、それとホストキャラは別物だ。
超豪華な何故かシャンデリアまで付いているバスで点呼する際にも、微鬼畜俺様ホストキャラは忘れない。
前に座る俺目当てに前方を占領した可愛い系男子からの悲鳴を聞きながら、今日も今日とて爽やか腹黒の神田君とネギシオの飼い主である不良・猫柳君に挟まれている桜君にひっそり萌える。
1番後ろに座ってるから遠くて会話は聞こえないけど、相変わらずモッサリヘアの桜君はモテモテだ。
…あれ?
もしかしてこっち見てる?
モッサリ前髪で見えないけど、それでも痛いほどに桜君の視線が突き刺さってるような気がする。
ん? 何か口元が動いて…る?
『カ・ワ・イ・イ』
………いやいやいや、俺の勘違いだよな、うん。
多分『サ・ワ・ジ・リ』だったんだよきっと!
そっか、桜君ってば小悪魔系の女の子が好きなんだな!!
王道転校生ってのはノーマルって相場が決まってるし、それが徐々に心境が変化していって、
『あれ、何だろうこの気持ち…。アイツはただの友達だ! 友達以外に、何があるってんだよ…。でも、アイツが他の奴といるだけで胸が苦しくなるし…俺、どっかおかしいのかな。気付いたらアイツのことばっかり考えてるんだ…』
みたいな!!
総受けってのは得てして鈍いものなのだよ☆
あー、いいな…あわよくばそれを相談されるようなポジションになりたい!
そんでもって、苦しそうに胸を押さえて俯く桜君に俺がこういうんだ。
『答えを教えてやるのは簡単だ。だけどな、その感情の名前は自分で見付けなきゃならない。自分で見付けて、自覚して、受け入れてやらなきゃ意味がないんだ。でもまぁ俺も教師だからな、ひとつだけヒントをやるよ。常識に捕われるな、答えはすぐ傍らにある』
なんてな!!
うはぁっ、萌えてきた!!!!
ビバ・キャンプ!!
ビバ・桜君!!
今回のことで君は大きく成長することだろう。
何故なら君は生徒会メンバーと同室になることが既に決まっているからだ!
何で俺が知ってるかって?
もちろん申請の書類にサインしたからさ!!
いやぁ、楽しくて仕方ないな!!
……あれ、俺何かのせいでテンション下がってなかったっけ?
ま、忘れたってことは大したことじゃなかったんだろう。
俺の座右の銘はポジティブシンキングだから☆
『五場・パーキングエリア』
バスを走らせること3時間。
予定通りにパーキングエリアで昼食をとることになったのは良いが、やっぱりこの学園にはついていけない。
パーキングエリアの裏手にある牧場で、A5ランクの牛を使った鉄板焼きを食する高校生が何処にいる。
まぁ、ここでシャトーブリアンを頼んでしまう俺も俺なんだけど。
だって、こんな機会でもなければ牛肉なんて食べれない!!
結構な高級取りな俺だけど、その給料はアクセとスーツと趣味に注がれているからはっきり言って貧しい。
肉なんて100g当たり69円の豚こま肉か合挽肉、または100g当たり28円の鳥むね肉くらいしか食べない。
そんな俺は純度100%の牛肉にテンションはうなぎ登りだ。
ちなみにシャトーブリアンとはヒレの中でも最上級で、牛一頭から800gしか取れないという希少部位。
この店での価格は100g当たり一万五千円なり。
有り得ない!!
何時も口にしてる肉と桁が3つも違うんですけど!!
あーヤバイ…
目の前で焼かれていく肉塊に涎れが出てしまいそうになる。
俺の両端に座っている奴らの存在さえ、意識の彼方に吹き飛んでしまうほどの見事なお肉様だ。
表面はカリッと、中はミディアムに仕上がったシャトーブリアンのステーキに、胃がキリキリするほど胃酸出血大サービス中だ。
「レンゲ~、ほらぁ、お肉焼けたよ~。俺があーんってしてあげようかぁ? それとも口移しがいーい?」
「テメェ、たったの300gじゃねぇか! そんなんじゃ俺との夜は持たねぇぜ? それとも今夜は放置プレイか言葉攻めか強制自慰でもさせる気か!? クソッ、テメェ…燃えんじゃねぇか!!」
右側にいる変態校医が、自分のリブロースを一切れ咥えてこっちに顔を突き出してくる。
肉を口移しってどんだけ生々しいんだよ!
左側にいる変態寮父は、自分の妄想に息を荒げながら1kgのサーロインをガツガツと食べている。
いや、なんかツッコミ所はたくさんあったんだけど、取り合えず今摂取してるスタミナは何時使うんだ?
そんな二人を冷たい眼差しで見ている岡野先生は、極度の菜食主義者らしくて野菜ばかりを食べている。
学園の料理長をしている桂さんは、肉を焼いているシェフと料理について話に花を咲かせていた。
嗚呼…カオスなんですけど。
俺は何も聞こえない、誰からも話し掛けられてない。
そうマインドコントロールしながら、焼き上がったシャトーブリアンに塩を付けて頬張る。
信じられないくらい柔らかな肉質に、赤身肉だというのに甘い肉汁が溢れ出す絶品の牛肉に、不覚にも泣いてしまいそうなくらい感動してしまった。
『か~わい~!! こんな肉なんかじゃなくて、俺のテクニックでこんな可愛い顔させてあげたいな~』
『本来なら肉なんぞ見るのも吐き気がするが、コイツがこんな顔するなら今度肉でも食わせてやるか』
『俺が作るもの以外でんな顔するなんて! クソッ、絶対これ以上の料理を作って蓮華を喜ばせてやるっ』
『エロッ!! 長ぇ睫毛の縁が濡れてて震えてるし、まるでイッちまったみてぇな顔しやがって!! こりゃ肉追加しなきゃスタミナが持たねぇ…!』
箸を握り締めながら目を閉じてじっくりとその美味さに浸っている俺を見て、周りの奴らが顔を赤らめていたなど俺が知るはずもない。
side:桂向日葵
蓮華は本当に美味そうに食べる。
特に俺が作った料理は毎回蕩けそうな顔をして食べるもんだから、周りにいる生徒共や食い入るように蓮華を見詰めているウエイターや料理人達は顔を真っ赤にして前屈みになる。
シェフという立場として美味そうに食べてくれるのは嬉しいんだが、はっきり言ってライバルが増えるのは面白くない。
今だって蓮華の両サイドは校医の東と寮父の森川が占領してるし、普段は刺すほど冷たい岡野の眼差しも蓮華を見る時だけ柔らかくなる。
蓮華はアクセサリーをジャラジャラつけててどう見たってホストのような風体だというのに、余りにもライバルが多過ぎる。
しかもそれを自覚していないのが余計に質が悪い。
だが、負ける気はしない。
男を掴むなら胃袋からってな。
俺の料理の虜にして、離れたくても離れられなくしてやる。
だから、俺以外の料理でそんな顔すんじゃねぇよ、蓮華。
『六場・補助椅子』
パーキングエリアでの昼食の際、桜君達のグループに何があったのかはわからない。
きっと生徒会メンバーに囲まれて、ウッハウハの逆ハーレム状態だったに決まってる。
バスに戻って移動中の今、離れていた分を取り戻すかのように神田君と猫柳君が桜君を構い倒している。
だがしかし。
そんなもの視界に入らないほど物凄いオーラを放っている人物が、中央の通路一番奥の補助椅子を引っ張り出して座っている。
いやいやいや、一番奥の席に桜君達がいるからメチャクチャ邪魔なんですけど!!
桜君攻め要員の出現は両手を上げてウェルカムなんだけど、それによって萌え萌えシーンが見れないのはフラストレーション溜まりまくりだっつーの!
「桜ってば、怒った顔もかーわいーね」
視界を遮る高身長に、ツンツンと立たせている白く色を抜かれた髪。
それは紛れも無くあの時の…
「澤村!! ここは2-Aと2-Bのバスだ! テメェは3-Sだろうがっ、とっとと戻れ!!」
風紀委員長であり澤村三兄弟の次男坊、澤村藤だ。
運転手のすぐ後ろの席に座った俺が最後尾の澤村委員長を振り返って怒鳴ると、周りの生徒達もそうだそうだと声を上げる。
滅多に見れない澤村委員長の登場は喜ばしいけど、その憧れてやまない雲の上の人がモッサリヘアな転校生に構いっきりなのが堪えられないんだろう。
だけど、はっきり言って俺の思惑はそこじゃない。
「えー…でも蓮華センセ、バスはもう出発しちゃってるよ-? 流石のオレでも、走るバスから飛び降りるなんて無理だ-よ」
わかってる、何故ならバスが走り出すまで待っていたのだからな。
「…ったく、仕方ねぇな。それならお前、桜の隣に座れ。その補助椅子だと急ブレーキかけられたら転ぶぞ」
そう、この俺がこんな美味しい状況を逃すはずがない。
さも渋々といった表情を作って澤村委員長を睨むように見る。
桜に何かしてみろ、ただじゃおかねぇぞオーラを意識して放出していると、何を思ったのか補助椅子を畳んだ澤村委員長が桜君の隣ではなく俺に向かって真っ直ぐに歩きはじめた。
揺れる車内をものともせず軽い足取りで最前列までやって来た澤村委員長は、断りもなく俺の隣に腰を下ろしたかと思えばゆったりと足まで組みはじめる。
「………お前、人の話し聞いてたか?」
通路を挟んで反対隣に座っている2-Bの担任は、最早触らぬ神に祟りなしとばかりに素知らぬふりを決め込んでいる。
チッ、役立たずのヘタレが!
「だーって、蓮華センセってば桜に近寄るなオーラ出してたでしょ? なら後は此処しか空いてないしー」
なっ、何て空気が読める子なんだ!!
澤村委員長ってヘラヘラフワフワしてて全く空気読めないキャラだったじゃん!
何で今日に限ってしっかりはっきり空気読めちゃってるんだよ!!
…なんて心の葛藤はおくびにも出さず、あくまで俺様微鬼畜ホスト教師の仮面を貼付けたままにやりと口の端を歪ませる。
この腹黒そうな悪そうなワイルドっぽい艶めいた笑みは、日々の練習の賜物だ。
大学時代、勉強の合間に鏡と睨めっこしていた俺は、表情を意識的に作ることに関してだけは俳優にだって負けない自信がある。
「その心掛けは買ってやるけどな、鈴木先生の隣も空いてるだろうが」
油断していたのか2-B担任の鈴木先生が、俺に名前を呼ばれたことでビクッと肩を跳ねさせたのが見えた。
そんなに俺が怖いのか?
いや、澤村委員長の隣に座るのが怖いのかな。
「オレはもう此処がいーの。動くのタルイの」
もうすっかりリラックスモードに入っている澤村委員長に呆れはするけど、大切な大切な攻め要員だから無下にはできない。
「ったく、仕方のねぇ奴だな。じゃあ、今からお前は俺の目覚ましになれ。到着5分前には起こせよ」
隣に澤村委員長がいたら、ただでさえ席が離れまくってるというのに桜君の観察なんかできっこない。
ここは泣く泣く諦めて、夜のために睡眠をとることにした。
side:澤村藤
1分もしない内に隣から微かな寝息が聞こえはじめた。
少し鋭い瞳は今は閉じられ、頬にかかる暗紅色の髪の毛が更に蓮華センセを幼く見せている。
6歳の歳の差なんか感じさせないあどけない寝顔を見て、胸の辺りがキリキリと締め付けられるみたいに痛みだす。
桜なんかどうでもいい。
本当はずっと貴方の傍に居たい。
ゆっくりと傾きオレの肩に蓮華センセの頭が触れた瞬間、叫び出したくなるほどの衝動が込み上げてくる。
意識的じゃないとしても、蓮華センセの方からオレに触れてくるなんて…
嗚呼、どうしよう。
このまま閉じ込めてしまいたい。
貴方の生き生きした姿が大スキなのに、誰にも見られないように閉じ込めてオレだけのものにしたい。
ねぇ、その首のガーゼは何?
こんなにも綺麗な貴方に傷を付けたのは誰?
「オレにも傷、作らせてよ…」
目覚ましにでも何にでもなるから、オレを見て…蓮華センセ…
『七場・部屋割争奪戦』
山間の緑豊かなキャンプ場。
というか、広場と大きな建物を中心に転々とコテージが並んでいる光景はまるで小さな町のようだ。
地面も砂利道とかじゃなくて綺麗に煉瓦が敷き詰められていたり、各コテージにはウッドデッキがあったり、温泉にプールに湖畔にはボートと致せり尽くせりだ。
俺は断じてここをキャンプ場だとは認めん!!
だがしかし、男の子同士でボートとか萌えるじゃないか!!
是非ここは桜君に乗ってもらって、間違って落っこちてもらって、そんでもって鬘が取れて美形なお顔がこんにちはすればいいんだよ!!
素顔バレ希望!!
激しく希望!!
…と、そんな妄想…願望?に胸を躍らせている内に、広場には全校生徒が集合して生徒会による部屋割争奪戦の説明が行われていた。
ま、簡単な話、鬼ごっこのようなものだろう。
同じ部屋になりたい奴の学籍番号が書かれたタスキを奪うだけの簡単ルール。
一部屋4~5人くらいになるまで続けて、終わったら広場に集合。
最後に各部屋ごとに学級委員か保健委員、または風紀委員が一人ずつ加わってそれが2泊3日を共にするグループとなるわけだ。
ちなみに学級委員や保健委員、風紀委員が加わるのは強姦暴行虐めなどを抑止するためだとか。
そんなこんな言ってる間にもスタートの合図が鳴り響き、まるで蜘蛛の子を散らすような勢いで生徒達が思い思い広い敷地内を走って行ってしまった。
この場に残ったのは生徒会を始めとする学級委員、保健委員、風紀委員、教職員に桜君だ。
もちろん桜君は部屋割争奪戦に参加出来ないことを不服に思ってるみたいだし、明らかにこの場では異質な存在だ。
何より生徒会メンバーが桜君に構い倒すおかげで、周りの生徒からは羨望と憎しみの眼差し、風紀と教師からは呆れと溜息の嵐が吹き荒れちょっとしたカオス状態になっている。
そんな雰囲気を物ともしない生徒会…正確に言えば澤村会長と香坂副会長と会計の関君は間違いなく大物だ。
大物のKYだ。
いや、AKYか?
全てわかった上でのあえて空気を読まない感じですか?
「だからお前は俺等のグループだっつってんだろうが」
「桜君はまだ転校してきたばかりなんですから、私達と行動を共にした方が安全ですよ」
「俺、桜と一緒がいいんだもーん! ねぇ、いいでしょ?」
「何で勝手に決めんだよ! 俺だって牡丹や梅みたいに、一緒にゲームに参加したいんだってば!!」
桜君が言うのも一理ある。
部屋割争奪戦なんて萌えるイベントも桜君がいなきゃ意味がないし、生徒会や神田君達がこぞって桜君を追い掛け回す姿も見てみたかった!!
しまった、俺としたことが大切なイベントを自らの手で潰してしまうなんて…
腐男子失格!!
「オレ等風紀がいるからって、この交流キャンプは毎年大変なんだよー。かなりムカつくけど、菖蒲達といれば安全だから我慢してね?」
うわ、澤村委員長まで輪に加わったよ!
流石二大勢力は凄まじいほどの存在感と美貌だ。
普段は全くと言っていいほど接触しない澤村兄弟だが、最近はこうして桜君を介して一緒に見かけることが多くなった。
それに関しては親衛隊の生徒達も喜んではいるものの、やはりその中心にいるのが桜君ということでどうにも嫉妬と憎悪が膨らんでしまうようだ。
「生徒指導の私としても、桜が生徒会と同じグループだと安心だ」
え!?
岡野先生がまさかの参戦!?
未だかつて岡野先生が下の名前を呼ぶだなんてことはなかった。
何せ目茶苦茶ノーマルな人だし、堅物だし、神経質だし、完璧主義だし、ノーマルだし。
そんな岡野先生がいつの間にか桜君を名前呼びしてるわ、なんか心配してるっぽいわで内なる腐れた俺が大変なことになっている。
俺の知らないところできっと、岡野先生の頑なな心を桜君のキラキラオーラが開いたんだな!!
クソゥッ、その現場を見たかったぞ!!
だがしかし、これは中々素晴らしい展開だ。
桜君攻め要員に教師が参入だなんて、益々総受けに拍車がかかるってもんだ。
やっぱりこのキャンプ、桜君の運命を大きく左右させるイベントになることだろう☆
『八場・駐車場』
「ネギシオ―――ッッ!!」
「ぷぎぃ―――っっ!!」
両手を広げて駆け寄ると、今日も今日とて素晴らしい脚力でジャンプした子豚のネギシオが俺の胸に飛び込んできた。
ネギシオがぷぎぷぎ言いながら擦り寄ってくる様子に、朝別れてから今までの数時間の間にどれほどの恐怖を味わったのかと可哀相になってくる。
「意外だったな、お前さんが豚好きだったなんてよ」
ここはすっかり人気のなくなった駐車場。
部屋割争奪戦を終えた生徒達は各自の荷物をコテージに運んでいき、今はそれを整理している頃だろう。
俺の目の前にはジープから飛び出してきたネギシオと、ニヤニヤ笑っている無精髭が素敵な桂さんの姿がある。
実はマイカーでキャンプ場まで行くと言う桂さんに、ネギシオも乗せてくれと頼んでいたのだ。
流石にチャーターした高級バスに乗せるわけにもいかないし、生徒達にイジられるのもホスト教師としては余りよろしくない。
だけど俺は怯え切ったネギシオの様子に、ちょっと…いやかなり後悔していた。
「幌つけろっつっただろうが!! こんなちっこいネギシオ、簡単にぶっ飛ぶだろうがよ!」
そうなのだ。
厳ついジープには幌をつけた痕跡がない。
しかもこのネギシオの怯えっぷりからすると、飛んでしまいそうになるのを懸命にシートにへばり付き堪えていたんだろう。
「何勘違いしてんだよ、蓮華。そのチビなら子豚のクセに、風圧なんて物ともしてなかったぞ?」
「じゃあ何でこんなに怯えてんだよ!?」
「あぁ…そりゃ多分、レシピ考えてたからだろ」
桂さんの言葉に、俺の胸に縋り付いていたネギシオがビクゥッと身体を跳ねさせた。
レシピ…って、まさか…
「安心しろ、俺はドイツでも修業したからな。豚なら簡単に捌ける」
ネギシオのレシピィイイイッッ!?
そんな話を何時間も聞かされたら、いくらネギシオだって怯えまくるに決まっている。
「豚は捨てるところがないし、食えば食うほどデカくなるから育て甲斐があるだろう」
「ネギシオは食料じゃねぇ!!」
「……は? ネギ塩が食べたいんだろ?」
「違うわっ!!」
俺の腕の中でプルプル震えているネギシオをしっかりと抱き締めてやりながら、キョトンと小首を傾げている桂さんにはっきりきっぱり否定してやる。
大体からしてネギシオっていう名前は猫柳君がつけたんだし、俺はどちらかと言えば角煮の方が好きだ。
長崎の有名な卓袱料理のひとつで、和風中華な味わいが堪らない……あ、俺の心を読んだのかネギシオの震えが増した。
「大丈夫だ、ネギシオ。誰もお前を食べようだなんて思ってないから」
「ぶ」
ネギシオに顔を寄せるけど、素っ気なく外方を向かれてしまった。
そんなにショックだったのか、ネギシオよ…
「蓮華…そんな動物を抱き締めるくらいなら、俺にお前さんを抱き締めさせ…」
「機嫌直せって、ネギシオ! ほら、高い高ーい」
「ぷぷぷぎーーっ!」
子供にするように両手でネギシオを掴むと、機嫌をとるように高い高いをしてやる。
こうすると短い手足をバタつかせて、ネギシオは上機嫌に喜ぶんだ。
今回もまた、可愛い声を上げて喜んでいる。
このツンデレめ☆
「………ヤバ、目茶苦茶可愛い…。何つぅ顔してるんだ、蓮華…」
俺が桂さんの存在を完璧に忘れてネギシオを持ち上げたままクルクル回っている時に、まさか桂さんが必死に鼻血を堪えているだなんて思ってもみなかった。
『九場・鬼門』
他の奴等にバレないよう、ひっそりと割り当てられた俺の部屋にネギシオを連れていき、そして今は夕食……なんだけど。
こんなことなら仮病を使って部屋に引きこもるんだった。
いや、仮病なんか使ったら東先生にエロエロ看護されるに決まってるか…
だけどこれは、俺の鬼門だ。
敷地の中央に位置する大きな建物の中、豪奢なメインダイニングには美しいテーブルセットが等間隔に並び、洗練されたカトラリーにグラスにナプキンが俺を手招きしている。
そう、交流キャンプ初日の夕食はフレンチだったのだ。
この前は偶然とはいえ澤村委員長のおかげで回避できたフルコースだったけど、今回は流石に回避不可能だろう。
いくら教職員のテーブルがメインダイニングの隅の方だとはいっても、俺のグループは目立つ奴ばかりだから自然と注目されてしまう。
頭の中で回避コマンドを入力しまくっている間にも、前菜が運ばれてきてしまった。
「本当に岡野は完璧な菜食主義者だよな。乳製品も卵もダメなんて、料理の作り甲斐があるってもんだ」
「本来なら見るのも嫌だが、私が率先して輪を乱すことなど出来ないからな」
「チッ、澄ましやがって。大体男が肉も食えねぇって、軟弱過ぎんだよ!」
「そんなんじゃ、可愛子ちゃんとニャンニャンできないよ~?」
……マズイ、箸を頼めるような雰囲気じゃない。
スパゲッティでさえ箸で食べる俺が、このままだとフォークとナイフを使わなければならなくなる。
料理を零したりするなんて、俺の余り高くないプライドが許さない。
しかし、この状況を回避できるアイテムを残念ながら俺は持っていない。
皿の両サイドに綺麗に並べられたカトラリーを見詰め、意を決したように一番外側に位置するフォークとナイフを手に取った。
「ざけんじゃねぇ! テメェ桜に何してんだ!!」
突然ガシャンッという音を立てて、メインダイニング中に響き渡るような怒声が聞こえた。
驚いて後ろを振り返ると、澤村会長が澤村委員長の胸倉を掴んで激昂しているようだ。
怒声の内容からして澤村委員長が桜君に何かしたんだろうけど、これこそまさに天の助け!!
生徒指導である岡野先生が立ち上がるよりも早く、俺は手に持ったカトラリーをテーブルに置いて素早く騒動の渦中に駆け出した。
「何やってんだテメェ等! また俺の桜にちょっかい出したんじゃねぇだろうな!?」
さりげなく澤村会長の腕を掴み、澤村委員長の服から手を放させる。
それに抵抗することはなかったけど、澤村会長は怒りが治まらないとばかりに澤村委員長を睨み付けている。
何があったかは知らないが、美形が睨む姿はかなりの迫力だ。
ちらりと座ったままの桜君を見下ろせば、驚いたように口元を押さえている。
これはまさか、よもや、ひょっとして…
「なに? こんなキスくらい挨拶みたいなもんでしょ? 菖蒲だって食堂でしてたクセに、オレには非常識だとでも言うつもりー?」
やっぱりかぁあああっ!!
嗚呼、何と言うことだろう!
目の前に迫っていたフォークへの恐怖で頭がいっぱいで、こんな美味し過ぎるイベントを見逃していたなんて!!
写真部っ、しっかり写真は撮ったんだろうな!?
もし撮り逃してたりなんぞしたら、どんな力を使ってでも部費を削りまくってやる!!
「お前等、いい加減にしろ! ディナーの場でこんな騒ぎを起こすなんて、澤村の名前に泥を塗るようなもんだぞっ」
終始落ち着いた様子の澤村委員長はチラッと俺を見ただけだったけど、大声を上げていた澤村会長は俺の言葉に気まずそうに顔を歪める。
どうやらもう騒ぎ立てる気はないらしい二人を眺め、俺は内心感謝しながらも表面上は険しく眉を寄せて意図的に威圧するように振る舞う。
「お前等二人は俺について来い。後の奴等は食事に戻れ」
本来なら生徒指導の出番なんだけど、ここは生徒会顧問として出張らせてもらおう。
俺が出口へと歩き出すと、意外にも二人は大人しく後ろをついて来ているようだ。
生徒達は前代未聞の兄弟喧嘩に騒然としていたが、ゆらりと岡野先生が立ち上がったことで一瞬にして静まり返る。
流石岡野先生と感心しながらも、俺はフォークを使わずに済んだことも相俟って意気揚々とメインダイニングを後にした。
『十場・処罰』
キャンプ場施設内の応接室。
ソファに座っている俺の向かいに、澤村兄弟が並んで座っている。
うわぁあっ、スゲェ萌える!!
髪型とか雰囲気とかキャラとか全然違うのに、こうやって並べてみるとやっぱり顔が全く同じだ。
三つ子は余り似ないって聞くけど、あれは嘘だって今なら胸を張って言える。
ソファにもたれ掛かって完璧にリラックスしている澤村委員長と、苛立たしげに顔を歪めている澤村会長を見て、俺は改めてヤンデレ弟×俺様兄の素晴らしさを痛感していた。
本当はあんまり近親相姦とか好きじゃないんだけど、双子には双子にしかない世界観があるしこんだけキャラが違えば十分俺の萌えに耐え得る存在だ。
あ、三つ子か。
「…で、テメェは桜にキスしたのか?」
生徒指導である岡野先生の仕事を分捕ったからには、俺もその責を全うしなければならない。
ホスト教師として☆
「うん、そーだよー。だけど菖蒲が騒ぐほどのモンじゃなかったよ? 口の端っこにチョンッてしただけだから」
「キスはキスだろうがっ!」
「あーもー、菖蒲はすぐ怒鳴るー…」
「藤!!」
あー…ヤベー…激しく萌えるんですけど、妄想が膨らむんですけど…
俺様に見せかけたツンデレ兄は、弟が他のヤツとチューしてるの見てヤキモチ焼いてるんだよ、これ!!
で、弟も兄に自分を見てもらいたくてわざと桜君にチューを!
どんだけラブラブなんだコノヤロー!!
ケンカップルか!?
いいなっ、それ!
しかし、今の俺は生徒会顧問であり桜君のことを気に入ってるホスト教師。
こんなにムハムハーンなシチュエーションでさえ、自らの言葉でぶった切らなければならないデスティニー。
「……いい加減にしろっつってんだろっ、馬鹿兄弟! 澤村兄、テメェは全校生徒の代表でもある立場のクセに学園の外でこんな騒ぎを起こしやがった。食事もまともに食えないなんて、学園の恥もいいところだ。澤村弟、テメェは学園の風紀を取り締まる立場のクセにテメェでそれを乱した。しかも俺の専属パシリに手を出すたぁ、いい度胸してんじゃねぇか。よってお前達に処分を言い渡す。この後行われる夜の集いで、俺のサポートをすること。拒否権はない、以上」
さっきまで言い争っていた澤村兄弟だったが、俺の息をもつかせぬ怒涛のトークに反論することさえできずにいるようだ。
面食らったように目を丸くして口を半開きにしている二人は、なまじ元が美形なだけにかなりの間抜け面に仕上がっている。
このキャンプ施設の従業員がいれてくれたお茶に手を伸ばし、滅多に見ることはできないだろう澤村兄弟の間抜け面を堪能する俺。
あぁ、このツーショット写真ならかなりの高値で売れるだろうなぁ…
というか俺が欲しい。
「………処罰が、蓮華センセのお手伝い…?」
「………小学生かよ…」
ようやく復活したらしい二人が困惑をあらわにぼやくのを見て、盛大に顔を歪めてやる。
「何だ、テメェ等。俺の手伝いが不満だってのか?」
「いや、そーじゃなくて…そんなことでいーの?」
「普通は謹慎とか反省文とか指導室送りとかそんなんだろうが」
どうやら処罰の内容が不服なわけじゃなくて、ただ軽すぎる罰に面食らってるだけみたいだ。
ふっ、しかし甘いな。
どんなに身長がデカかろうがカリスマがあろうが賢かろうが、所詮は世間知らずのお坊ちゃんだ。
世の中には腐った人種がいて、そんな輩がこんな美味しい状況で簡単な罰を下すわけがない。
上手い話には裏があるものなのだよ、お坊ちゃん。
「まぁ、さっきの口喧嘩は置いといて、お前等がきちんと反省してることくらいわかるっつーの。反省してる奴に反省促してどうすんだよ。なら名目だけでも罰を与えて、お互いに折り合いつけた方が角も立たねぇってことよ」
温くなったお茶を啜りながら口八丁で丸め込もうとするけど、また二人は黙り込んでしまった。
流石にこんな口先だけの言葉には騙されないか…
だってどんな建前を並べようと本心は、ただ二人に手伝ってもらって萌え萌えしたいだけなんだから。
「……テメェ、瀬永っつったか」
うわ、澤村会長がメチャクチャ険しい顔で睨んできてるよ。
殴られる?
もしかしてフルボッコフラグ立っちゃった?
「教師なんてクズばっかだとは思ってたけどよ、テメェなら生徒会顧問って…認めてやっても、いい」
まさかのツンデレェエエッ!?
俺にデレられても激しく困るんだけど!!
隣に座ってる君の弟君もドン引きしてるんだけど!!
「…なら、先生をつけろ、先生を。そして敬え、奉れ」
気を取り直してこの妙な雰囲気を元に戻そうと頑張る俺……誰か褒めてください。
「うっせぇな、テメェなんか瀬永で十分だ。何なら蓮華って呼んでやろうか?」
名前呼びキターーーッ!!
俺にキターーーッ!!
ふざけんなコノヤローッ、俺にんなことしたって毛ほども萌えねぇんだよ!
寧ろ鳥肌が立つんだよ!!
「はいはい、生徒会が仲良しなのはわかったから。ほら、夜の集いの手伝いするんでしょ? 軽く打ち合わせしとかなきゃマズイんじゃなーいの?」
ホスト教師の仮面が剥がれそうになった矢先、呆れたような澤村委員長の声が妙な雰囲気を打ち破ってくれた。
危なかった…
なんか偶然なんだけど、澤村委員長にはホント助けられてばっかりだ…
それからは何事もなく、スムーズに打ち合わせが行われた。
もちろん、一番重要なことは省いて、だけどな。
余裕なのは今だけだぞ、俺の萌え製造機一号、二号!!
『十一場・夜の集い』
夕食が終わり短い自由時間の後、各コテージから生徒達が広場に集まりだした。
その気怠そうな様子といったら、一教師としてプッツンきてもおかしくないような態度で、辛うじて俺のファン的な生徒だけが爛々と瞳を輝かせている。
この夜の集いが岡野先生の担当だったらこんな態度じゃないんだろうけど、残念ながら学園でも比較的緩い態度の俺が担当ならこんなもんだ。
広場にずらりと並べられたベンチにグループごとに並んで座る生徒を眺め、内心苛々しながらもこれからのイベントを思い口の端を歪ませる。
大体、高校生にもなって星の観察なんかつまらないに決まってる。
俺だって教師じゃなかったら参加すらしてなかったと思う。
そして何より、こんな集い全く萌えない!!
ともなれば、己が腕で萌えを作り出すしかあるめぇよ。
誰にも気付かれないよう不適に笑う中、夜の集いが始まった。
「―――……そして、うしかい座のアルクトゥルス、おとめ座のスピカ、しし座のデネボラを結んだ三角形が、あの有名な春の大三角になるわけだ」
少し高くなっているステージの端に立ち、マイクを使って春の星座について講義する。
だがしかし、全校生徒の中で果たしてどれだけの生徒が俺の話を聞いているのかわかったもんじゃない。
星座に興味のない生徒達は雑談をしたり、眠っていたりと思い思いのことをしている。
………わけではない。
生徒達は俺の言葉そっち退けでステージに熱中しているのだ。
まぁ、生徒達の反応も無理はない。
「おいっ、デネボラ! 俺の許しなく動いてんじゃねぇ!! 春の大三角形が崩れるだろうが!!」
マイクを離し俺がステージに向かって怒鳴ると、ビクッと身体を跳ねさせたデネボラ……獅子の格好をした森川さんがハァハァしはじめる。
あ、しまった…また森川さんを喜ばせてしまったようだ…
「腰布に獣耳と尻尾付けただけの殆ど裸同然の恥ずかしい格好にされたかと思えば、こんなクソガキ共が見てるステージに放り出すなんてっ、…公開調教かこのドS野郎!! しかも動くなとかッ、テメェは俺をどうしてぇんだよ! 俺はここでオナればいいのかっ!? それともテメェに跪いて靴を舐めた上で、奉仕の仕方がなってねぇとか詰って殴る蹴るの暴行を働くってのか!? ざけんじゃねぇっ、俺をイかせたきゃ鼻フックも持ってきやがれ!!」
「キモイんだよぉおおおおっ!! 鳥肌立っただろうがッ、黙ってろマジで!! 黙ってそこに立ってろマジで!!」
全校生徒を前に激しく息を乱しながら恐ろしいことを口走る森川さんに、流石のスピカもドン引きしているようだ。
ステージが広いとはいえ怒声を上げる俺と身悶える森川さんに丁度挟まれているスピカ……金髪の長い鬘と布をふんだんに使ったロング丈の白いワンピースを身に纏った澤村会長が、可哀相なくらい顔を青ざめさせている。
スラリと高い身長に男らしい雰囲気の澤村会長だけど、サプライズで強引に乙女座役をさせたらこれが意外と良く似合っていた。
にこにこと笑っているアルクトゥルス……うしかい役の澤村委員長もペーターのような衣装が良く似合っている。
美形は何を着ても美形だということか。
みなさんお気付きでしょうが、俺が澤村兄弟に与えた本当の罰とはこのコスプレのことだったのです。
いやぁ、萌える!!
獅子役は森川さんしか思い浮かばなかったから無理矢理させたけど、澤村兄弟は実に可愛い。
特に恥ずかしそうにしている澤村会長なんて涎れものだ。
女装の美学はまるで女の子のように変身した姿を愛でるものではなく、男なのに女の子の格好をさせられたという恥ずかしそうな反応にあると思う。
そう、全てはリアクションだ!!
スカートめくりはパンツよりも女の子の反応に萌えるように、冬の寒い日に冷たい手を背中に突っ込んだ時の反応に燃えるように、ナイスなリアクションこそが重要なのです!!
澤村委員長みたいに嫌がりもせずコスプレしちゃう人より、嫌だ止めろと喚きながらも騒ぎを起こした罪悪感からか結局は女装を受け入れ、それでも納得できないと目元を赤らめて不機嫌そうに眉を寄せる澤村会長に激しく萌える!!
萌え尽きる!!
それは広場に集まった生徒達も同じようで、今まで澤村会長に見向きもしなかった体育会系の生徒達も口々に『あれなら、いける…』と頬を赤らめている。
桜君の大切な攻め要員でもあるんだけど、やっぱり澤村会長は俺様で男前な受けだよね☆
『十二場・猟犬』
「とにかく森川ッ、テメェ余計なこと言うんじゃねぇぞ!!」
「俺に命令するたぁ、いい度胸じゃねぇか蓮華!! だがな、俺が何でも言うこと聞くと思ったら大間違いだぞゴルァアッ! 俺にだって犬としてのプライドがあんだからな!!」
「人としてのプライドを持てぇえっ!! 大体俺の犬はテメェじゃねぇ! おい、ワン公! 出番だぞ!!」
全く黙ろうとしない森川さんに焦れて、些か強引だけど次の講義に進むことにした。
マイクを離してステージ脇に声をかけると、可愛らしい犬耳と尻尾をつけた生徒会のダブル書記、寡黙な相川君とピュアハートの鈴枝君が俺の傍まで歩いてきた。
「はーい、レンちゃん☆」
「レンは、星座…しないの、か…?」
更なる生徒会メンバーの登場に歓声が上がる。
可愛い鈴枝君はまるで小型犬のようなキュートさだし、凛々しい相川君は犬というより狼のような格好良さだから生徒達の歓声も納得だ。
いや、むしろ俺を崇め奉れ。
こんなつまらんイベントをここまで盛り上げてやったのは、他の誰でもないこの俺なのだからな。
とりあえず、相川君の問い掛けにはニヤリと悪い笑顔だけを返しておいた。
「春の大三角形とくれば、この二人、りょうけん座のコルとカロリを加えた5つの星を結び、ひし形の形にしたのが春のダイヤモンドだ」
俺がマイクで説明を始めると、可愛いワンコ達が打ち合わせ通りに所定の位置につく。
やっぱり犬といったらこの二人以外にいないだろう。
夕食後、澤村兄弟もコスプレするからと頼みに行けば二つ返事で引き受けてくれた鈴枝君と相川君。
なんていい子達なんだろう…後で何か差し入れに行かないとな。
べ、別にお礼を建前にして生徒会メンバーに囲まれている桜君を見に行こうだなんて、これっぽっちも思ってないから!!
………
……
…いや、その、ごめんなさい…
何はともあれこれでステージ上に春のダイヤモンドを再現できたんだけど、犬耳二人の登場に何故か森川さんが盛大に傷付いたみたいだ。
だけどこれで怒鳴らなくても良くなったし、しばらくは放っておくことにしよう。
「おい、腐れ教師テメェ…ッ」
乙女座の澤村会長が呻くように呟いた言葉に、一瞬ドキッとしてしまった。
きっとただの悪態だってわかってるのに、俺の腐れた趣味が露見してしまったのかと冷や汗が背中を伝ったじゃないか。
あー、ビックリした。
何故か会長の言葉に澤村委員長も顔を強張らせてるけど、それはきっと兄の失言で更に罰を追加されることを危惧しているだけだろう。
「覚えてろよ…っ、クソッ…どうせ女装させんなら、桜にしとけよな…!」
ふっ、確かにそれも一瞬脳裏を過ぎったさ。
しかし甘いよ、澤村会長!!
確かに俺は王道が好きで、この学園も桜君も生徒会も親衛隊も全部王道だけど、この場で桜君に王道な女装をさせてどうする。
きっと美形な桜君だから女装はスペシャルに似合うだろうし、全校生徒に素顔をバラすチャンスにもなる。
だけど、だけどそれじゃダメなのです!!
恋愛に必要なもの、それはスパイスとタイミング!!
お膳立てされたバラしなど面白くも何ともないっ、思いも寄らなかったアクシデントでラブハプニング☆
そして秘密を共有することによって芽生える愛…
というわけで、全校生徒にバラすのはもっとずっと後だ。
そうすれば『桜君の素顔』で二回イベントを見られるという、腐男子としては二度美味しい結果が得られる。
「確かに桜に着せりゃ可愛いだろうけどよ、澤村も十分綺麗じゃねぇか」
「な…んだよ、テメェにんなこと言われても嬉しくも何ともねぇんだよ!!」
「うわぁ! あやちゃんってば顔が真っ赤☆」
「…会長、照れ、てる…?」
素直な俺の気持ちに顔を真っ赤にする澤村会長が、恐らく悪気はないのだろうりょうけん座の二人に揶揄われ今度は首まで赤くなってしまった。
「これはっ、違う!! 俺は別に照れてなんかいねぇっ!!」
「菖蒲ってば、自分を褒めてくれれば誰でもいーの? 乙女座は尻軽なんだねー」
「クソガキテメェッ! 俺の蓮華にちょっと褒められたくらいで調子にのってんじゃねぇぞ!? 言っとくけどな、蓮華は冷たい言葉こそが真の愛情表現なんだ!! 俺を罵り詰り足蹴にしながらも、そんな惨めで浅ましい犬畜生な俺を見て蓮華はギンギンにエレクトしてんだよ!!」
「してねぇええええッッ!!!!」
結局星座の講義そっち退けで言い合いに発展したステージ上から見ると、広場に集まる生徒達が写真を撮るために焚くストロボが星のように見えたとか見えなかったとか…
その真偽は、ブチ切れていた俺にはわかるはずもない。
『十三場・説教』
時刻は夜の10時。
場所は教員用コテージ。
………の、リビングの床の上。
ここに正座させられてかれこれ1時間が経とうとしていた。
「……大体お前は、自分が教師だという自覚があるのか? 自ら率先してあんな騒ぎを起こすなんて私には考えられないな。授業に生徒達の関心を引き付けることは重要だが、あれは悪ノリ以外の何物でもない。それ以前に校長や理事長の許可は取ったのか? いや、そんなことは聞かなくてもわかりきっているか。瀬永、お前の短絡的かつ浅はかな行動のせいで一体どれほどの迷惑がかかっていると思っているんだ。その最たる者がこの私だ。いいか、あの混乱を静めるのに生徒指導である私がどれほど面倒を被ったことか。これは生半可な反省と謝罪ではとてもじゃないが償いきれないぞ」
俺の目の前に腕を組んで岡野先生が立っている。
そう、岡野先生の説教はとてつもなく長いのだ。
それはまるで台本があるかのように淀みなく途切れることはない。
反論を許さないその説教には、どんな屈強な不良でもトラウマになること間違いなしだ。
しかも質が悪いことに、岡野先生は学生時代空手の大会を総嘗めしたバリバリの武道家ときたもんだ。
よって実力を行使して逃げることは不可能。
1時間も硬い床の上で正座していると、流石の俺でも足の感覚は遠い日の思い出だ。
足の痺れと精神的な苦痛に歪む俺の顔を見て、更に岡野先生が饒舌になっていく。
これが世に言う無限地獄というヤツだろうか。
「おいおい、岡野。もうそこまでにしてやれよ」
それまで黙ってソファに座っていた桂さんが、苦笑を浮かべて岡野先生に声をかけた。
まさに天の声!!
今なら無精髭の桂さんも羽が生えた天使に見える!!
「まだこれからだ。こんなもので私の怒りが治まるか」
「お前さんの気持ちはわかるがよ、蓮華もいい大人なんだ。それだけ言やぁきちんと反省するだろうよ。な、蓮華?」
「あ、あぁっ、そりゃもちろん! 岡野…先生、もう二度とこんな騒ぎは起こしませんっ、スンマセンでしたぁあああっ!!」
桂さんの援護もあって勢いよく頭を下げ土下座すると、それまで負のオーラを放ちまくっていた岡野先生が息を飲んだような気がした。
よくはわからないけど、多分俺様微鬼畜ホスト教師がまさか土下座するとは思っていなかったのだろう。
だけど俺も、ここまで追い詰められてはなりふり構ってもいられない。
キャラを守るより精神を守らなければ!!
「……あの、瀬永が…私に土下座している…っ」
「…岡野…どうしたんだ、震えてるぞ」
怪訝そうな桂さんの声に怖ず怖ずと頭を上げてみると、俺を食い入るように見ながら口元を片掌で覆い岡野先生が小刻みに震えていた。
もしかしたら余りの醜悪さに吐き気を催しているのかもしれない。
「お、おい…大丈夫か?」
本当なら立ち上がって岡野先生の背中でも撫でてやりたいところだけど、足が今だかつてないほど痺れている俺には床を這い蹲るだけで精一杯だった。
それでも目の前にある岡野先生のスラックスを片手で摘んで、下から伺うように覗き込んでみる。
「……ッ、瀬永!!」
いつもは冷静で滅多なことでは怒鳴らない岡野先生が、耐え切れないとばかりにスラックスを摘んでいた俺の手を振り払った。
「痛っ、ちょ…何すんだよ!」
「四つん這いで裾を摘んだ上に上目使いだと…っ!? どうやら私に虐められたいようだな、瀬永…。よし、寝室に来い。もちろんそのまま床を這い蹲ってな」
「「……はぁっ!?」」
いきなり突拍子のないことを言い出した岡野先生に、俺と桂さんのシンクロ率は今や80%越えだ。
「ほら、ついて来い。お前みたいなじゃじゃ馬、俺がしっかり躾てやらないとな」
「いやっ、何言ってんだ岡野!! 説教のし過ぎで頭が沸いたのか!?」
「……岡野お得意のドSが出たか。こりゃ強敵登場だな…」
足が痺れている俺は鋭いツッコミも、立つことも、逃げることすらままならず、迫り来る岡野先生から尻餅をついた体勢のまま後退することしか出来ない。
それに構うことなく髪を掴んでこようとする岡野先生を、桂さんが羽交い締めにすることで必死に止めていた。
え、何このカオス。
大の大人3人で何やってんの、俺達…
いや、もしかしたらおっさん料理長×ツンデレ女王様数学教師のフラグなのか!?
俺は当て馬なのかっ、間男なのか!?
マニアックだけど、俺的にはバッチ来ーい、だ!!
そのまま寝室に雪崩込んじゃいなよ、you達☆
『十四場・大浴場』
訳のわからないことを宣う岡野先生を桂さんに任せて、俺は逃げるようにコテージを後にした。
本当はネギシオの待つ部屋に引きこもりたかったんだけど、俺にはどうしても行かなければならないところがあった。
なんと、このキャンプ場には温泉があるのだ!
夕食をとったあの大きな施設の中にあるんだけど、去年温泉の存在を知った時には内心では飛び跳ねんばかりに喜んだものだ。
何を隠そう俺は大の温泉好きで、自室のバスルームには各地の温泉を再現した入浴剤が並んでいたりする。
こっそりお風呂の用意をしておいて良かった。
施設に入り浴場まで来たけど、流石に11時にもなれば人気はない。
普段だったら夜更かしする生徒もいるだろうが、長いバス移動に加え部屋割争奪戦や夜の集いで騒ぎ疲れ今頃はすでに夢の中だろう。
ここは内の檜風呂も外の岩風呂も最高だから、それを独り占めできると思うと口元が緩んでしまう。
いそいそと服を脱いでアクセサリーを外し、タオル一枚を手に持って風呂への扉を開く俺は気付かなかった。
棚を挟んで向こう側の脱衣カゴにもう一人分の服があったことを。
湯舟に入る礼儀として軽く身体を洗い、丁寧にかけ湯してまずは檜風呂に入る。
身体をじんわりと包み込むお湯に知らずほぅっと大きな息が出てしまった。
ゾクゾクとするような温泉の温もりと檜の香りを堪能していると、不意に外へと繋がる扉が開き涼しい風が入ってきた。
一人きりだと思い込んでいたから肩が跳ねてしまいそうなくらい驚いたけど、そこは日頃からの訓練によって即座にホスト教師の仮面を被る。
「センセー、超エロい顔~」
おい、何故お前がここにいる。
お前は温泉ってキャラじゃないだろ!
今頃は誰かの部屋でにゃんにゃんしてるか、桜君に夜這いをかけてるのがお前だろうが!!
「………関、か…。お前こんな時間に風呂に入りに来たのか?」
「だって、こんな時間でもなきゃゆっくり入れないっしょ」
意外だ。
コイツのことだからわざわざ人が多いところに乗り込んで、今夜のお供を見繕っていそうなのに。
ひょっとして、桜君一人に絞ったのか?
普段は軽くウェーブがかかってる関君の金髪は濡れているからか少し長く見えるし、青のカラコンも外しているのか薄い茶色の瞳が雰囲気を和らげていてまるで別人のように感じてしまう。
綺麗な目をしているのに、何でわざわざカラコンなんか入れるんだろう。
なぁんてことは変なフラグが立つのを防ぐために絶対に言わない。
「俺もね、たまには一人になりたいんだ~」
「あっそ」
「えー…センセってば冷てぇっ、それでも教師? なまくら教師っ、エロエロ教師!」
何故かザブザブと檜風呂に入って来た関君が、僅かに離れたところに文句を言いながら腰を下ろした。
なまくら教師ってのはまだしも、エロエロ教師というのはどうも納得がいかない。
「俺の何処がエロエロなんだよ。俺は桜以外の生徒にゃ手は出してねぇぞ、チャラ男会計」
「そーじゃないよ、存在がエロいの。目を伏せたら色気増すし、今なんか髪が濡れてて艶っぽいし。ほっぺも赤くなってて、あ、センセってスゲェ華奢~。こんなんじゃ、激しくしたらすぐに折れちゃうよ?」
「何を激しくすんだよっ!」
恐ろしく気持ちの悪いことを並べ立てる関君に鳥肌を立てながら、大人げないとは思いつつもお湯を引っ掛けてやった。
頭からずぶ濡れになった関君は一瞬キョトンと目を丸くしていたが、すぐに妖艶な笑みを浮かべて近付いてくる。
「ちょっ、近ぇ! 離れろ関っ」
「センセ、その首に残ってるの歯形っしょ? ね、俺もつけたい…センセのうっすら赤くなった首とか肩に噛み付いて、鎖骨や胸に吸い付きたい。乳首も弄って下も可愛がってあげる。気持ち良くしてあげるから、今から俺と……ごぼぼぼぼっっ!!」
俺の肩を向かい合わせの体勢で掴んで鼻息を荒くする関君の余りの気持ち悪さに、ついつい頭を掴んでお湯の中に沈めてしまった。
ちょっと見直しかけたのに、やっぱりコイツはただのチャラ男だ。
受けの子や桜君がいない今のコイツには、腐男子的見地からして何の価値もない!!
折角の温泉を台なしにしやがって…今度は関君に恥ずかしいコスプレさせてやる!!
とりあえずは後10秒沈めたままにしておこう。
『十五場・露天風呂』
チャラ男会計の関君はきっと、進化したら雑食エロ校医の東先生みたいになるんだろうな。
さっきの出来事で俺は痛いほど思い知った。
檜風呂に沈めた関君をそのままに、俺は気を取り直して外にある岩風呂を目指した。
「おぉー、絶景絶景」
岩風呂に入るとそこには暗闇にぼんやりと浮かび上がる山間の滝が見えた。
もう日付すら変わろうとしているのに、美しくライトアップされている夜景につい見惚れてしまう。
入浴剤もいいけど、やっぱりこの景色があるから温泉はやめられないんだよな。
春先だから風も少し冷たいし、温かいお湯と相俟ってかなり気持ちがいい。
濡れた髪を掻き上げて、滅多に入れない露天風呂をゆっくりと堪能する。
「……絶景、ですね」
「あぁ、本当にいい景色だ。夜明けか夕暮れも綺麗だろうな」
「そうですね。普段はあんなに居丈高に振る舞っているというのに、貴方をこうして見ると実に体貌閑雅といった風情ですね」
「誰がしとやかで雅やかだ。そんなん女の子に言えや」
「褒めているんでしょ。素直に喜んでおけばいいんですよ」
「へーへー………―――ッ!?」
何でナチュラルに会話しちゃってんだ、俺っ!?
てか、前にもこんなんあったよな……俺学習能力ゼロかよ…
恐る恐る声がした方を見れば、いつの間に現れたのか2人分くらい離れた隣に香坂副会長が湯に浸かっていた。
出た。
コイツは絶対成長したら説教魔人の岡野先生みたいになるはずだ。
身長こそ俺と変わらないものの、王子様と呼ばれるだけあって香坂副会長はかなりの容姿レベルだ。
さっきは意味不明なことを言っていたけど、体貌閑雅とはまさに香坂副会長のことだろう。
柔らかな微笑みを向けられて、俺は所在なげに視線を滝へと移した。
ちょ、何その眼差し。
前まで桜君を庇うように俺を睨みつけてたクセに、何でそんな目で見てんだよ。
「瀬永先生、何故あんなに着飾っているんですか? 貴方は何もない方がいいですよ」
「……余計なお世話だっつーの。香坂こそ何かヘンじゃねぇか?」
いつもなら口を開けば小言や皮肉が飛び出してくる腹黒副会長なのに、何故か俺を持ち上げる言動ばかりするのが薄ら寒い。
「……瀬永先生、貴方は私と同じ匂いがします」
「は……?」
「貴方も自分を偽っているんじゃありませんか?」
げ、何これ、何フラグ?
腐男子バレフラグ!?
ざけんじゃねぇぞぉおおっ!!
俺がこのポジションを手に入れるために、どれだけの努力とコネを費やしたかわかってんのかッッ!!
「私も、この笑みと刺のある言葉は虚勢に過ぎないんです。そうやってやんわり線引きしたり、他人が離れていったりしないか試しているんです。……幻滅しましたか?」
いつもはサラリとした茶髪を頬に張り付けたまま切なげに眉を下げている香坂副会長だけど、はっきり言って俺はそれどころじゃない。
バレるのはマズイ。
あんな趣味を持っていることがバレたら今までのように素知らぬ顔して観察できないし、理事長の耳にでも入った日には下手したらクビになるかもしれない。
ということは、実家に帰らなきゃならなくなる。
嫌だっ、嫌過ぎる!!
あんなところに戻るくらいなら、いっそ一思いにコイツを殺して口を封じてやる!!
「……瀬永先生、貴方にならいつか…本当の私を見せられるかも知れません。だから貴方も、いつか本当の貴方を…蓮華さんを見せてくれませんか?」
精神的に追い詰められて岩の上に置いていたタオルに手を伸ばした瞬間、正面から香坂副会長に抱き締められてしまった。
余りの唐突な行動に俺は全身を硬直させて、最早抹殺どころの騒ぎじゃない。
何をどうしたらこうなるんだ……いや、それ以前に俺は何もしていない。
「思えば初めから目が離せませんでした。本能がわかっていたのでしょうね…私を真に理解できるのは桜君ではなく蓮華さんなのだと…」
綺麗な形の目を潤ませて、片手を俺の頬に添えながらゆっくりと顔を近付けてくる香坂副会長。
触れられているところから鳥肌が立ちまくりの俺が、反射的に拳を振り上げた瞬間。
「あぁーーーっ!! 酷いっ、百合ってば抜け駆けじゃーんッ!!」
復活したらしい関君が走り様に、香坂副会長に向かって手をクロスしてX飛びをかます。
目の前に上がる水柱に、俺は生まれて初めて温泉にきたことを後悔したのだった。
『十六場・就寝』
有り得ない。
なんて濃密過ぎる一日だったんだ…
の割にはあんまり萌えなかったし、受けのいない攻めなんてアンコののっていないおはぎのようなものだ!
ただのもち米だ!!
旅先だからテンション上がってるのはわかるけど、せめて相手くらいは選ぼうよ。
関君も香坂副会長もよりによって俺に迫るなんて、いくら桜君が振り向いてくれないからって飢え過ぎだ。
チャラ男会計×美人副会長なんて美味し過ぎるんだから、俺そっち退けでイチャイチャすればいいんだよ!
不平不満を携帯に向かってぶつけ続けること早30分。
宛がわれたコテージの部屋のベッドに仰向けで寝転がったまま、片手ではネギシオに腕枕してやりながら右の親指を淀みなく連打させていく。
いつもの日課だから、例え行事があったとしてもこれだけは欠かせない。
「自分じゃ、萌え、ねぇっ、つーの…っと。これでよし」
今日も今日とて9852文字まで打ち込んだメールを、我が心の友・腐友のアオイ君に送信する。
送信完了のメッセージウインドウが表示されたのを確認して携帯を閉じると、左脇の窪みにフィットしているネギシオに視線を落として思わず笑みが零れた。
猫柳君にキャンプ前、散々注意された上に遂には『ネギシオのお世話ガイド』まで渡されているから、今回は彼がいなくてもバッチリだ。
ドッグフードを食べて腹をパンパンに膨らませたまま幸せそうに眠っているネギシオに、今日一日のストレスも癒されていく。
嗚呼…きっと後3分もしない内にアオイ君から返信が来ると思うんだけど、疲労困憊だしネギシオが可愛いしで眠くなってきた。
明日も早いし、もう、いい…か…
side:ー
瀬永蓮華が夢の国へと旅立った頃、扉一枚挟んだリビングでは熾烈な牽制合戦が繰り広げられていた。
「何をしている、東」
黒のジャージに黒のTシャツを身につけた岡野が、蓮華の部屋に続くドアへとにじり寄るパールホワイトのパジャマを着た東を冷たい眼差しで睨み付ける。
「え~、だってあんな姿で寝てるんだよ~? 岡野だって見たくない~?」
見咎められたというのに全く悪びれていない東に、岡野の眉間に皺が増えるのを見てソファに腰掛けていた桂が苦笑を浮かべた。
「確かにあんなの着て寝てるなんて知らなかったからな。意外ではあったけどよ、今日は寝かせてやれ」
「つまんな~い。今日こそはレンゲの唇が腫れるくらいキスしまくって甘い唾液舐め啜って、ちっちゃい乳首をいっぱい弄って大きく育ててあげながら、可愛いレンゲジュニアもたくさん愛してあげて、グッチャグチャのドッロドロになるまで舌と指で舐めて掻き交ぜて、もう入れてって泣くまで攻めまくって溶かしまくってから俺のビッグボーイでレンゲの一番気持ちいいところを集中砲火してやろうと思ってたのに~」
「黙れ、変態。全国民に土下座して謝れ」
余りの下劣さに岡野の眼差しが鋭さを増すのも気にせずに、妄想に浸りまくっている東はうっとりと蓮華の部屋を見詰める。
グレーのスウェットを着込んだ最年長の桂でさえ、東の危ない言動に若干引き気味だ。
そんな中で唯一口を開いていないいつもの黒ジャージを着ている森川は、何故か物凄い勢いで腕立て伏せをしている。
「……森川は馬鹿なのか?」
「岡野が蓮華の不可侵条約なんか言い出すから、行き場のなくなったスタミナをあぁやって発散させてるんだとさ」
「馬鹿決定だな」
男達の脳裏に焼き付いて離れないのは、風呂上がりの蓮華の姿だった。
上気した頬、濡れた髪、白い肌、華奢な身体。
そして何より普段では想像も出来ない艶やかな、浴衣姿。
歩く度にチラリと覗く足や項、惜しみ無く曝された鎖骨は男達の煩悩を刺激してやまない。
腕が限界に達すれば腹筋、スクワット、背筋、腕立て伏せと無限ループのように繰り返す森川を眺め、隙あらば夜這いを仕掛けようとする東を監視しながら4人の長い夜が更けていく。
『十七場・二日目』
交流キャンプ二日目こそは、萌え萌えを期待したい!!
朝食の後は班別のレクリエーションがあって、昼食であるバーベキューの後は自由行動らしいし、ここいらで桜君の総受け振りが見られるはずだ。
そして今日のメインイベント!!
ナイトハイキングの後のキャンプファイヤーでは、ひょっとすると桜君のハートを誰かが射止めてしまうかも知れない!!
うわぁ、激しくその場に居合わせたい…
腐男子としては是非とも押さえておきたいイベントだろう。
嗚呼…だけどまだまだ総受け振りを見ていたいかも…
「あーっ、蓮華先生だ!」
突然の声にビクッとなりそうな肩を根性で押さえて振り返ると、かなり見覚えのある生徒が手を振りながらやって来るのが見えた。
あれれ、今は班別レクリエーションの真っ最中じゃなかったっけ?
折角纏わり付いてくる教師陣を撒いて、自由時間にボートを使うだろう桜君を観察するための穴場を捜し求めてきたのに、まさかこんなところでターゲットと遭遇することになろうとは!!
「……どうしたんだ、桜?」
湖が見える全く人気のない小高い丘によもや人が来るとは思ってもいなかったのに、何故か嬉しそうに駆け寄る桜君を見て嫌な汗が背中を伝う。
桜君、山間は風が強いんだよ?
そんなに走ったらほらっ、何か黒モジャな髪からキラキラ光るものが見えちゃってるから!!
そういうのは他に人がいる時にやりなさい!!
「アイツ等がさ、昨日煩くて寝れなかったんだよっ。だから人気のないところで寝ようとしたんだけど、蓮華先生に会えてマジでラッキー!」
「わかった! わかったからちょーっとあそこの日陰に移動しようか。ほら、ここは風が強ぇし折角整えた髪もぐしゃぐしゃに…」
「…あ………」
「………」
「………」
言わんこっちゃないぃいいいーーーっっ!!!!
今バビューンって黒いモジャモジャが飛んでっちゃったよ!?
しかも桜君、勢いよく上空の物体を見上げるから眼鏡まで落ちちゃったよ!?
確かに素顔バレは願った。
そりゃもう切実に願ったさ。
だけどそれは俺にじゃねぇええええっ!!
何コレ、マジコレ、何フラグコレ!!
僅かにきょとんとした桜君が俺を振り返ると、その顔はまさに美形中の美形だった。
陶器のような白い肌に薄い唇は見えてたから知ってるけど、サラサラのかろうじて結べるくらいに長い金髪に涼しげな碧い瞳はまさに芸術と呼んでもいいだろう。
天使のような愛らしさはないけど神聖な美しさを感じるほどの美形っぷりに、流石俺が見込んだ王道転校生なだけあるなと感心してしまった。
しかし、ここで重大な問題が浮上する。
俺が取るべきこの場で最も相応しい選択肢はどれなんだ!?
そりゃ王道の微鬼畜俺様ホスト教師でいけば、惚れ直したとか言ってキスや処女のひとつでも奪うところなんだろうけど、俺相手じゃ全っっったく萌えねぇ!!
それ以前に、萌えのためだけに初チューや初ピーは捧げられない…俺は30歳まで守り抜いて神になると誓ったんだ!
「……あれ? 蓮華先生、反応薄くない?」
全ての武装を解除した桜君は王道らしく慌てたり自棄になったりせずに、何を思ったのかどんどんと俺に向かって歩いてきた。
2mくらいあった距離が一気に縮まる。
最早俺の頭は迫ってくる綺麗過ぎる桜君の顔と、様々な選択肢が書かれたライフカードで混沌を極めていた。
「さ、桜…っ、その顔……」
「あぁ…俺さ、父親がイギリスと日本のハーフで母親がロシア人なんだ。だからこれは天然物。そんなことよりさ、蓮華先生喜ばねぇの?」
ダメだっ、新しい情報が入ったことで更に回線がパンクして完全に頭が回らない。
え、何で?
何で俺が喜ぶんだ?
否、ホスト教師的には喜ばしいんだろうけど、腐男子ホスト教師的には全然全く欠片も嬉しくねぇよ!!
攻めのいない受けなんて、パンのないサンドイッチみたいなもんだからね!!
ただの具だから!
「だって蓮華先生、俺が不細工だったらイヤだろ? 美形が変装してるのがいいんだろ?」
冷たい印象を与える碧い瞳がスッと細められたと思えば、次の瞬間には俺の頬を包み込むように桜君の両手が添えられていた。
「なぁ、嬉しかった?『王道転校生』が現れて。アンタを喜ばせるためにキャラ作りして、めぼしい奴等全員と接点持ったんだけど。蓮華先生、俺で萌えてくれた?」
ジーザス・クライスト。
誰かこの状況を説明してください!!
『十八場・山吹桜』
目の前で壮絶な笑みを浮かべているのは誰だ?
此処は何処?
俺は誰?
あははー、こんなの夢に決まってるよね☆
そうじゃなかったら、かなりヤバイんですけどぉおおおっっ!!!!
逃げたくても頬っぺたを挟み込まれてるから動けないし、それよりも絶対に逃がさないと碧い瞳が凄んできている。
朝の爽やかな草原、涼しい風が吹く丘の上だというのに、俺は未だかつてないほど大量の冷や汗をかいていた。
何故だか知らないけど、はっきりくっきりバレている。
鈴枝君の時のように墓穴を掘ったわけでも、香坂副会長の時のように匂い?とかでバレたわけでもない。
さっきの口振りからして、この学校にやって来る前から俺が腐男子だと知っていたんだ。
「……な、んのことだ? もえるって意味わかんねぇんだけど」
「あー、そう来るんだ? だけど誤魔化しても無駄だから。俺は理事長の甥だよ? つまりは山吹財閥会長の孫ってわけ。蓮華先生がどんなコネ使ったかも知ってるし、アンタの部屋に盗聴器しかけるのも簡単なんだよ」
盗聴は犯罪です!!!!!!!!
ダメ、絶対!!
桜君の言葉にどんどん顔が青くなっていくのを感じながら、これはもう逃げられないのだと悟った。
この際コネの話はどうでもいい。
それよりも盗聴だよ!!
部屋は完全防音だけど、俺はドラマCDもアニメもアハーンなDVDも全部ヘッドフォンで聞くから問題はない。
ただ…ただ、メールを打つ時はついつい文脈を言葉に出しちゃうんだよぉおおおうっ!!
俺がどんだけ腐れたメール打ってるかわかってんのかコノヤロー!!
あんなん聞いたら腐男子だって一発でバレるわ!!!!
「さ、ささ、桜くーん。先生からとーっても大切なお願いがあるんだけどぉー」
「ん、何?」
バックに花びらが飛び散っているのが見えるほど完璧な笑顔を浮かべる桜君が小さく首を傾げるのを見て、やっぱり理想の総受けだと鼻血が出そうになる。
ヤバイ、マズイ、カワイイ。
今にも萌えぇってなりそうなのを懸命に堪えると、頬に添えてあった桜君の手に手を重ねて真剣な眼差しで見詰める。
頼み事をする時には自分の誠実さを表さなきゃいけないから、鼻の下なんか伸ばしたら大変だ。
顔を引き締めて桜君を見詰めると、何故かほんのりと桜君の頬に赤みが増した気がする。
いや、あくまで気がするだけなんだけど。
「……誰にも言わないで、頼むから…」
俺の持っている全ての誠実さを眼差しに乗せて懇願に近いお願いをすると、桜君がゴクリと喉を鳴らしたのが聞こえた。
「蓮華先生。言わないでいたら、俺の願い…叶えてくれる?」
「うーん……まぁ、俺に出来ることなら…」
「大丈夫、アンタにしか出来ないことだから」
頬から手を離した桜君が、今度はしっかりと俺の手を両手で包み込んだ。
飄々と掴み所のない表情とは打って変わって、その手がしっとりと湿っているのを感じる。
もしかして桜君、緊張してる…?
「本当の蓮華を、俺に見せて。俺の前でだけは、有りのままのアンタでいて。俺の願いはそれだけだから………今の所は」
最後の言葉は風の音で聞き取れなかったけど、つまりは桜君の前ではホスト教師ではなく腐男子でいろってことか。
なんだ、そんなのメチャクチャ簡単じゃん!!
「いいよ、桜君! そんなのお安いご用だ!!」
包み込まれた手をブンブン上下に振りながら、満面の笑顔付きで快諾した。
こんな簡単なことで俺の生活が守られるなら、笑顔くらい零れるってもんだ。
「あ、でも…もう王道転校生、してくれないのか?」
それは嫌だ、激しく嫌だ。
俺の楽しみはこれしかないんだし、王道転校生を間近で見るためにこの10年間虎視眈々と下積みをしてきたのだ。
今更それを失うなんて悔やんでも悔やみ切れないってものだし。
「蓮華が約束守ってくれるってんなら、今まで通りでいてやるよ? 後はキスでもさせ…」
「マジでか!? ありがとうっ、桜君! 俺、桜君のことメッチャ好きになったよ!!」
腐男子的にな!
そうと決まれば早く変装させねばと、遠く離れたところに落ちている黒いモジャ目掛けて俺は駆け出した。
side:山吹桜
「あーあ、キスしそびれちゃった。ま、これからいくらでもチャンスはあるか。……にしても蓮華、マジで可愛いな。早くアンアン言わせてぇ…」
『十九場・バーベキュー』
中央広場は特設バーベキュー会場と化していた。
コの字型に並べられた大量の調理台に、立食形式のため各所に置かれたテーブルの群れ。
一流のシェフ達が炭火で焼いているのは、ブランド肉にブランド野菜に高級海鮮。
もちろん桂さんもこのために呼ばれているから、今はシェフ達に混じってフォアグラを焼いている。
去年も見たけど、これをバーベキューと呼んでもいいのかと庶民の俺が頭を抱えたくなるのは仕方がないだろう。
唯一の救いは箸で食べてもいいということくらいか。
椅子に座っての食事じゃない分バーベキューは毎回小さな諍いが絶えないらしく、俺達教員はバラけて巡回しながらの食事になるわけだが。
あぁ、やっぱり一人はいい。
あの煩い岡野先生や気持ち悪い森川さん、天敵の東先生と四六時中行動を共にしなければならないのははっきり言って地獄だ。
本来静かな生活が好きな俺にとって萌えがなければわざわざ人前に立つことも遠慮願いたいところなのに、俺の班ときたらやたら目立つし煩いし訳わからんことばっかり言うしでストレスレベルが半端じゃない。
例え人込みの中だろうと、俺はこうやって単独行動がとれるつかの間の喜びに浸っていた。
思う存分生BLを観察できるしね☆
そこここでイチャつく生徒達や、遠く離れたところにいるらしい生徒会にキャーキャー言ってる生徒達を眺めながら、まさに眼福だとニヤけそうになる顔を押さえて見回りを続ける。
これでこそホスト教師になった甲斐があったってもんだ。
美味しい海鮮に舌鼓を打ちながら時折頬を染めて近寄ってくる生徒達をいなしていると、不意にトンッと何かが背中に当たった。
不思議に思って振り返ると、そこには空のグラスを持った爽やか腹黒スポーツマンの神田牡丹君が立っていた。
素晴らしく爽やかな笑顔で見詰めてくる神田君に首を傾げる間もなく、背中がじんわりと冷たくなっていくのを感じようやく合点がいく。
なるほど、さっきの衝撃は背中に飲み物をかけられたんだな。
ジャケットを羽織っていたからすぐにはわからなかったけど、どんどんと染み込んでくる水分に神田君の爽やかな笑顔の理由が窺い知れた。
「何だ、神田。お前、俺に妬いてんのか?」
ここでキレたら俺様生徒会長とキャラが被るから、俺はあくまで大人の余裕をかますために口の端を持ち上げてあくどい笑みを作ってやる。
例えこのジャケットがアルマーニのオーダーメイドだとしても、かなり寒くなってきているのだとしても、ここは桂さん張りに大人の余裕を見せ付けねば!
「さっき俺と桜が二人で広場に来たのが、気になって気になって仕方ねぇんだろ? 気になって気に入らなくてムカついて、ヒステリックな女みたいにこんなダセェことしたんだろ?」
周りの生徒が僅かに距離を取りながらも、好奇の眼差しを向けていることには気付いている。
その上で近くのテーブルに皿を置き、これ見よがしに濡れたジャケットを脱いでいく。
俺の言葉と行動と周りの様子に苛立ったのか、神田君は笑顔のままグラスを持つ手を震わせている。
ピシリとグラスが悲鳴を上げた音を聞いて、俺は内心笑っていた。
男の嫉妬、萌えぇええ―――ッ!!
攻めが嫉妬したり泣いてたり弱ってたりするのってかなり萌えじゃねぇっ!?
特にクールな奴とか、大人な奴とかが初めての感情に振り回されてるのとかメチャクチャ燃えるんだけど!!
こうやってホスト教師という当て馬ポジションにいたおかげで、こんなご馳走にあやかれるなんてエクセレント!!
「何だ? 言い返さねぇなんて、いつものお前らしくないんじゃねぇの?」
「瀬永先生、あんまり調子に乗らない方が身のためですよ」
いつもは穏やかな眼差しを桜君に向けているというのに、俺を見る神田君の目は笑っていないどころか突き刺さるほどに冷たい。
あれだけ煽ったのだから当然といえば当然か。
「これまではフェア精神で穏便に済ませてきましたが、瀬永先生がこれ以上桜に手出しするというのなら」
………
……
…
神田君が立ち去ったことで、それまで張り詰めていた空気が途端に和らいでいく。
濡れたジャケットを心配してくれる生徒に笑顔をサービスしながらも、俺はさっき擦れ違い様に言われた言葉を反芻していた。
『俺はアンタを家ごと潰す』
なりふり構わなくなってきた神田君に、心が滾るのを感じる。
黒神田キタ―――ッ!!
俺の家はこの際気にしないとして、黒神田君は激しく萌える!!
こうなったらもっと桜君にベタベタして、最近様子がおかしい生徒会の連中も嫉妬させまくってやる!
腐男子の底力、舐めるなよ!!
『第五幕二十場・自由行動』
そこはかとなく不穏だったバーベキューの後には自由行動の時間が設けられている。
とはいえ自由なのは生徒だけで、教員は敷地内を警邏しなければならない。
もちろん俺も例外はない…はずだったんだけど。
「瀬永先生、どういうことなんですか?」
俺が担当しているエリアは今朝行ったあの丘も含まれる、比較的自然に溢れた人気のない場所だった。
そのおかげで思う存分湖を観察できると内心ほくそ笑んでいたのに、まさかそれが仇になるとは思っても見なかった。
丘に続く山道の中腹。
木を背にしている俺を取り囲むように、7人の可愛らしい生徒がその顔を疑念に歪ませて迫ってくる。
俺の真正面、生徒達の中心に立っているのは確か各親衛隊を統べる親衛隊総隊長だったはず。
「昨日、露天風呂で一騒動あったそうですね? 僕はその詳細を尋ねているだけですよ」
まさか香坂副会長や関君と一緒の所を見られていたとは、あそこの露天風呂は覗きたい放題ということだろうか。
「あのなぁ、たまたま一緒になっただけだろうが。んなことくらいで一々目くじら立ててたら、全人類を処分するかアイツ等を隔離するしかなくなっちまうぜ?」
教師陣の中でも決して人気がない訳ではないこの俺に対しても詰め寄ってくる親衛隊に、もしこれで俺がただの生徒だったらと思うと肝が冷える思いだ。
ちらりと目を走らせれば、他の6人も生徒会役員と風紀委員長の親衛隊長達だ。
俺の正論などで納得するような輩ではないとわかっていたけど、それとなく肯定してしまったことにより雰囲気が格段に悪くなってしまった気がする。
もしかしたら、もしかしなくてもピンチなのかも知れない。
俺がホスト教師になった要因は、偏に制裁対策だったわけだ。
にも関わらず、今ここにきて何故か制裁フラグがビンビンに立ってしまっている。
神田君には家を潰す宣言をされ、親衛隊には囲まれて……これこそまさに弱り目に祟り目というヤツではなかろうか。
「……どうして社会人2年目の新米教師が、生徒会顧問という責任ある役職に就任できたんですか? それ以前に、何故生徒会顧問に就任したんですか? そこに下心はないと瀬永先生は言い切れますか?」
総隊長の的を射た言葉に一瞬硬直してしまった。
最初の質問に答えるならば、コネクションをフル活用したと言うことになる。
そしてその全ては俺の下心に起因している訳だから、総隊長に反論する言葉がないのだ。
もっとも俺のいう下心とは、萌えを近くで堪能したいという彼等が想像だにしていないものなのだが。
「その沈黙は、肯定として受け取りますよ」
あらら、総隊長が香坂副会長並にブリザードを巻き起こしてますよ。
マズイ。
この流れは『お前達、やっちゃって』とか言って体育会系な生徒達が物影から現れる、ベタなアレじゃありませんか?
はっきり言っちゃうけど、元がり勉な俺は喧嘩をしたことがない。
つまり自分の強さがいまいちわかってはいないのだ……と言えば強いのかって勘違いさせちゃうかもしれないけど、端的に言えば激弱だ。
今ノリノリ肉体派生徒が出てきたら、抵抗らしい抵抗すら出来ずにフルボッコにされる自信が俺にはある!!
「……あのさ、ひとつ言っておくけど、俺はバリバリのノンケだからな? ノーマルだしヘテロだし異性愛者なんだよ。いくら生徒会の連中が見目麗しくても、男ってだけで論外だ」
俺には浮いた噂のひとつもないし、ここまできっちり断言すれば彼等もわかってくれるだろう。
「最近山吹桜を口説いているそうですが、あれは一体何なんですか?」
しまったぁああああっっ!!!!
キャラを守り攻め要員達を煽るためにやってきた行為が、巡り巡って俺の首を絞めることになろうとは!
あー…どうやったら制裁フラグをぶった切ることが出来るのだろう。
いっそ腐男子だと暴露すれば簡単かも知れないけど、そんなことをすれば10年間の俺の努力は泡となって消えてしまう。
ここは、甘受するしかないのか。
「瀬永先生、僕達は貴方のこともとても慕っていました。だけど、生徒会の皆様や風紀委員長に手を出されて、黙って見ている訳にはいかないんです。みんな、出て来て」
あの10年を思えば、これから起こることなんて一瞬の瞬きだ。
俺は総隊長の言葉を聞いてゆっくりと目を閉じた。
『二十一場・制裁』
………
……
…
「………」
「………」
「………お、おい…」
「………」
「誰も出て来ねぇんだけど…」
総隊長が合図を送って早10分。
待てど暮らせど体育会系男子も、屈強な男達も現れる気配がない。
これは俺の度胸を見定めるためのフェイクかとも思ったけど、動揺を隠せない親衛隊長達の様子からそれも違うようだ。
どうやら俺の与り知らぬところで不測の事態が起こったらしい。
俺としては痛いことされなくて万々歳だけど、総隊長はキメ台詞をスカかしたわけだからある意味痛いことになっている。
そして何よりこの沈黙が痛い!
「………何もないなら、俺は見回りに戻るぞ」
「………はい」
いいのかよ!
苦虫を噛み潰したような顔をする総隊長に内心ビビりながらも、俺は取り囲む生徒の間を擦り抜けて定められた警邏ルートに戻った。
追い掛けてくる気配がないことに安心するけど、俺は重要なことに今更気が付いた。
もう湖観察する時間がねぇえええっっ!!
萌えを返せ!!
俺は涙を飲んで残った時間を普通に見回りをして過ごすのだった。
side:澤村藤
―――時間を遡ること45分。
蓮華センセが親衛隊の隊長達に囲まれるのを見て、いつもの制裁パターンだってすぐに気付いた。
殴る蹴るの暴行は証拠になるから親衛隊は余りそういったことはしない。
その代わりに言えないようなことをする。
多数でメチャクチャに凌辱して暴行して、その撮影データで脅すのだ。
風紀委員という立場上、オレはそんな被害者達をたくさん見てきた。
コイツ等は蓮華センセにアレと同じことをしようとしている。
許せないよーね。
「あれ? 君達はこんなところで何やってんの?」
親衛隊に囲まれてる蓮華センセとは少し離れた場所。
少しくらい声が上がっても気付かれないような、凌辱するのに持ってこいの場所。
総隊長の親衛隊でもある、見たことがある屈強な生徒が1、2、3…8人くらいいる。
この人数で蓮華センセを輪姦しようとしてるんだ。
嗚呼、イライラする。
イライラするよね。
柔道部、レスリング部、ボクシング部…こんな奴等相手じゃ蓮華センセは抵抗すらできない。
きっとあの人のことだから、すぐに諦めちゃうんだ。
そんな彼を、こんな奴等が好き勝手にする……そう考えただけで腹の中がグラグラと焼けるように熱くなる。
焦げ付きそうな思考に眩暈を感じながらも、オレはふらりと男達の前に歩み出た。
「さっ、澤村藤!!」
「何で風紀委員長が此処に!?」
「聞いてねぇよ!!」
オレの顔を見た途端、顔を青ざめさせる男達に口の端を持ち上げる。
青ざめたって許さない。
「でもよ、澤村藤だけなら…何とかなるんじゃねぇか?」
「こっちは8人だぜ?」
風紀委員が俺だけだと気付いた奴等が、一気に殺気に燃える目で睨みつけてきた。
挑もうとしても、無駄。
何をしても許されないよね、未遂どころか蓮華センセを脳内で犯すことさえ許さないよ。
「君達さ、ギルティーだーね」
オレがにっこりと笑ったのを合図に、手前にいたボクシング部が殴り掛かってくる。
バキィッ!
頬に感じる熱さとぶれる視界に殴られたんだと感じる。
痛くはない。
無抵抗のまま殴られたオレを見て男達の間に一瞬喜びが駆け抜ける。
だけどそれは、あくまで一瞬。
殴られた衝撃のまま身体を捻ってボクシング部の顎に回し蹴りをかます。
遠心力が加わったそれは顎を砕き、身体を斜面へと吹っ飛ばす。
人が飛ぶという非現実的な光景に硬直した男達を、近くにいる奴から手加減無しに殴り倒していく。
「アハハッ、弱いねぇ君達~」
顔面に拳を叩き付ければ歯が飛び散り、胴体を蹴り飛ばせばボキボキと骨が折れる感触がする。
「こんなんで蓮華センセをヤろうとしてたんだ? お笑いだーね」
逃げようとした奴を引き擦り倒し、顔も胴体も関係なく踏み付ける。
悲鳴さえも上げさせない。
殴る。
殴る。
殴る。
蹴る。
蹴る。
蹴る。
もう呻くことさえできない地面に転がる男達を笑いながら蹴りまくる。
靴底から伝わってくる肉の感触にゲラゲラ笑っていたら、不意に肩に手を置かれた。
「……藤、やり過ぎ」
あぁそうだよね、殺生なんてしたら蓮華センセが悲しむもんね。
「止めてくれて、アリガト」
つかず離れず、オレはあの人を守る。
「ねぇ…オレが暴走したら、殺してでも止めてね…芙蓉」
蓮華センセを守りたい。
親衛隊からも、下劣な男達からも、―――オレの狂気からも。
『二十二場・ナイトハイキング』
茜色の夕日に照らされた湖畔を、滑るように進む一隻のボート。
交わしていた会話は唐突に途絶え、無言で見詰める顔は次第に近付いてくる。
そしてそっと、まるで何かの誓いのようにふたつの影がひとつに…
なるところが見たかったんだよコンチクショ―――ッッ!!!!
おのれっ、親衛隊め!!
俺に制裁なんてどうでもいいけど、俺の萌えを奪った罪は万死に値するッ!!
見回りだけで自由時間は終わるし、桜君達の様子からは別にこれといって何もなかったみたいだし。
何で物事は俺が望む通りにならないんだ!
唯一の救いは、今日の夕食が和食だったことだな。
高級懐石料理は尋常じゃない手間隙がかかってることが見て取れて、まさにひとつの芸術品のような神々しさを醸し出してたけど、金持ち坊ちゃん達は特に何の感慨もなく普通に食べていた。
食べ慣れてるのかも知れないけど、もう少し感受性豊かに育てよ!!
あれか、ゆとり教育の弊害か!?
それとも金持ち特有のものなのか!?
ざけんじゃねぇぞッ、板前さんに土下座しやがれ!!
と、心の中で罵倒しまくっていた夕食も何事もなく終わり、今はナイトハイキングの真っ最中です。
教師ってマジでつまんない。
当たり前だけどこれは仕事なんだから俺達が楽しんじゃいけないとは思うけど、見回りだの見張りだのいい加減に飽きるわ。
大体金持ちなんだからシークレットサービスだの、警備員だの雇えばいいんだよ。
とはいえ、このナイトハイキングは毎年生徒がいなくなるから要注意イベントらしい。
神隠しや誘拐やかどわかしの類いではなく、合コンの時にいつの間にか誰かがいなくなっているアレだ。
常にグループ行動を強いられているから、この闇に紛れて二人きりになりたいその気持ちはよくわかる。
俺は止めないよ、合意ならね!!
俺はBLに関してノーボーダーだけど、グッチョングッチョンの凌辱系とかも大好物だけど、強姦・輪姦・痴漢とかで快楽責めされて泣いてよがっちゃうのとかマジで萌え滾るけど、リアルでそれやっちゃったら犯罪だから。
夢と現実の区別はついてる俺だからこそ、リアルでは甘々ラブラブカップル推奨なのです。
ま、初めは嫌々言いながらもいずれは陥落しちゃう王道転校生は別として。
今も目の前で行われている攻防戦に、にやけてしまいそうな頬を押し止めるのに尽力していたりする。
「オラッ、桜は俺の隣を歩けっつってんだろうが」
澤村会長が桜君の腕を引けば、
「菖蒲、貴方に任せていたら桜君が転んでしまいますよ。さ、こっちにいらっしゃい」
澤村会長から桜君を守るように、香坂副会長が反対の腕を引く。
「あーっ、二人共ズリィー! 俺だって桜と手ぇ繋ぎたいのにぃ!!」
背後から関君が桜君に抱き着けば、
「ボクもボクも! さくちゃんに抱き着きたい☆」
桜君の正面から抱き着く鈴枝君。
「……桜、危ない…」
よろける桜君の肩を相川君がそっと支える。
6人もの男達が団子のように一塊で歩いている光景は、親衛隊達の血管をブチブチと切れさせ、興味ない者達をドン引きさせ、俺の荒んだ心を盛大に緑化してくれる。
ビバッ、王道☆
此処に澤村委員長と猫柳君と神田君がいれば総出演なんだけど、そうなったら戦争…いや、カオスになっちゃうからこのくらい丁度いいのかも。
たまにチラチラこっちを見てくる視線に気付きながらも、俺は黙々と足を動かしていく。
桜君も、香坂副会長も、関君も、鈴枝君も、相川君も、そんなに見なくたって今日は邪魔しませんから存分に楽しんで下さいよ。
いつもならホスト教師として頃合いを見計らって参戦するんだけど、今日の親衛隊事件から俺は考えを改めた。
俺は総受けが見られれば参加する必要もないし、これからは傍観を決め込もうという結論に達したのだ。
「ちょっ、お前等いい加減に離れろ!!」
遂に桜君が耐え切れなくなったのか、大きく身体を捻って纏わり付いていた生徒会達を振り落とす。
だけど、それで振り落とされたのは生徒会だけではなかった。
「「「「「あ……」」」」」
「……あ?」
「あーあ…」
ギィヤァア゛アァアーーーッッ!!
生徒会メンバーの唖然とした声、桜君の怪訝そうな声、俺の残念な声に続いて夜の山に響き渡る生徒達の悲鳴。
外灯に照らされた桜君の頭にも顔にも、いつものパーツがありませんでした。
地面に落ちた眼鏡と黒いモサモサ。
アオイ君、事件です。
とうとう素顔バレイベント、きました。
『二十三場・キャンプファイヤー1』
ナイトハイキングの目的地でもある高台の広場。
その中央で火柱を上げるほどの勢いで燃えているのはキャンプファイヤーだ。
そして何故かその周りでフォークダンスを踊る生徒達。
もちろん曲はオクラホマミキサー。
男だらけのフォークダンスって傍目から見たらかなりシュールな光景だけど、本人達は喜んでるし俺としてもメチャクチャ萌えるからオッケーです!!
生徒達の熱い要望により、俺を含めた数名の教師もその輪に加わることになったのは取り合えず納得しよう。
本当は輪の外から観察したかったけど、何故か素顔がバレた途端大人気になってしまった桜君のワーキャー言われ振りを見ていたかったけど、それもこれもホスト教師をチョイスした自分が悪いと泣く泣く納得しよう。
だがしかし、何故桜君はカッコイイ系…所謂攻め達の方の列に並んでいるんだ!?
それじゃあ永遠に攻め要員達とダンスできないじゃんか!!
そして何故!
何故ホスト教師であるこの俺が可愛い系…所謂受け達の列に並ばされてるんだ!?
確かに教師陣はみんな攻めな感じだよ?
人数の関係上誰かが受けに回らないといけなかったのもわかる。
けど…それなら桜君を受けにすればいいじゃん!!
誰だよっ、俺をこっち側に並ばせた奴!!
………
岡野先生だよぉおおおおっっ!!
俺があのドS岡野に逆らえるわけないんだよ!!
誰かヘタレな俺の根性を叩き直してくださいっ、出来れば優しく!
なぁーんて心の中で訴えまくったって、動き出したふたつの輪は止まらないのです。
あーあ、がたいの良い奴らと踊ったって全然全く楽しくないし、コイツらもこんなデカイ男と踊るなんて楽しくないだろう。
怨みまするぞ、岡野殿…
チャラチャラチャラチャ♪
チャラチャラチャラチャ♪
ほら、相手の生徒が気持ち悪すぎて誰も俺と目を合わせてくんないし。
繋いだ手も微かに震えてるし、顔すら上げてくれない。
流石の俺も、ここまで嫌がられると傷付く…
チャッチャッチャ♪
曲に合わせて相手の生徒を見送ると、まだ3人目だというのにすっかり疲れ切った俺は4人目の顔を見ていなかった。
グッと強く掴まれた手にビックリして顔を上げると、そこにいたのは仏頂面の猫柳君だった。
不良でもこんなイベントに参加するんだなと感心していたら、そのまま後ろに回る猫柳君に慌てて俺もダンスに戻る。
このフォークダンスって相手が代わるだけで単調だよなと欠伸をしそうになっていたら、唐突に後ろの猫柳君が口を開いた。
「テメェ、きちんと世話してんだろうな?」
「……何、ネギシオのこと?」
「わかってんならとっとと言え」
相変わらず凄むような口調の猫柳君だけど、乱暴なのは口だけだってわかってる。
本当はただ誤解されてるだけのオカンで、桜君が大好きな普通の男の子なのだ。
可愛い奴め☆
「ガイド通りにしてるっつーの。ネギシオもお利口にしてるし、夜もちゃんと抱いて寝てるし」
「だっ、抱いて!?」
「何だよ、別に無理矢理じゃねぇからな? ネギシオが潜り込んでくっから、結果的にそうなってるだけだ。締め上げてねぇし、潰してもねぇから安心しろ」
背後にいるから猫柳君がどんな顔してるかわからないけど、きっとネギシオが心配過ぎて真っ青な顔をしているんだろう。
どんだけ溺愛してんだよ、可愛いじゃねぇかチクショー。
「たまに浴衣の合わせから入り込んできてよ、胸に鼻をグリグリ押し付けてくっから多分甘えてんだろうなぁ…」
「むっ、胸!?」
さっきから単語でしか話していない猫柳君に首を傾げるけど、もうそろそろ交代の時間だ。
「羨ましいなら、今度俺の部屋に泊まりに来いよ。ネギシオも喜ぶぜ?」
「とと、泊まっ」
交代する時になって改めて見た猫柳君の顔は、予想に反して真っ赤だった。
あららー、そんなにネギシオと寝れるのが嬉しいのか。
それならもっと早く誘っとくんだったな。
チャッチャッチャ♪
side:猫柳梅
「俺が好きなのは桜だ。桜であって瀬永じゃねぇ。なのに、何でこんなにドキドキしてんだよ…ムカツク…ッ」
『二十四場・キャンプファイヤー2』
嗚呼、俺は今日だけで何人の男と手を繋いだのだろう。
中には見知った顔達もあった。
「お、蓮華じゃねぇか。よろしく頼むぜ?」
人当たりの良い桂さんに、
「また、そんなゴツイリングつけて…今度私が貴方に似合うリングを買って差し上げます」
黒くない笑みを浮かべる香坂副会長に、
「あ、蓮華センセだ。こうやって一緒にダンス出来るなんて嬉しいなー」
いつも通り読めない澤村委員長に、
「姿勢が悪いぞ、瀬永。ほら、もっと私に身体を預けろ」
俺にまで教育熱心な岡野先生に、
「折角のダンスなのに手しか握れないなんてつまんねぇ! ま、蓮華センセーの項の匂いは嗅げたけど」
終始鼻息の荒い関君に、
「………レン、疲れてるな。大丈夫……?」
心配そうに見下ろしてくる相川君に、
「レンゲ~、今夜は一緒に寝ような。そんでこの可愛いお尻に俺のおっきなお注射を…」
耳元で気持ち悪く囁き続ける東先生に、
「今日は一段と可愛いな、蓮華。なぁ、女役の方を踊らされて恥ずかしい?」
俺にしか聞こえない声で笑う桜君。
もう勘弁してくれ…
大体最近の男は身長が高いんだよっ、俺よりも高い奴ばっかりってどういうことだよ!
桜君を取り合ってくれなきゃ萌えねぇし、俺が女ポジションっていうだけでかなりの萎えなんですけど。
予定ではそろそろ終わるはずだから、何とか後少し堪えるしかない。
チャッチャッチャ♪
大きな溜息をついて怠くなった手を持ち上げると、そっと指先だけが握られる感触に首を傾げる。
今までの生徒達は強く握るか怖ず怖ずと握るかだったのに、こんなやんわりと女性の手を取るように握られて一瞬だけどドキリと胸が高鳴った。
いや…何で俺、女扱いされてこんなにドキドキしてんだよ。
俺はノーマルで、ヘテロで、ノンケで、異性愛者で、柔らかい胸が大好きなだけの腐男子だ!!
こんな、手を握られたくらいで動揺するなんて有り得ない。
そう、有り得ない、よな…?
「いつまで呆けてんだ、瀬永。おら、さっさとステップ踏め」
そう言って見下ろしてきたのは、我が学園の王・またの名を澤村菖蒲生徒会長様だった。
って、おい。
言ってることとやってることがチグハグなんですけど!!
いつも通りな俺様なのに、何で俺の手を握る仕種はこんなに優しいんだよ!
もしかして澤村会長は、こういうの慣れてるのか!?
凄い家の息子らしいから、パーティーとかでよく踊ってたとか。
そこで染み付いた女性の扱いが、ここにきて俺や生徒達に無駄に発揮されてしまったのかもしれない。
そうだ、そういうことにしよう!
「……チッ、テメェが温和しいと調子狂うじゃねぇか」
「黙れ、澤村。俺は今自分のおかれた屈辱的状況に折り合いをつけて、無理矢理納得しようとしてんだから黙ってろ」
右足、左足とステップを踏むと、後はターンして終わりだ。
さっきの動揺はなかったことにして、心頭を滅却を心掛けながら右足を踏み出す。
「……瀬永、昨日はテメェのせいで散々な目に遭ったんだ。今日はテメェの番だよな?」
左足を踏み出したところで、いきなりグイッと腰を強く引かれた。
チャッチャッチャ♪
軽快な音と共に音楽が止まる。
絶えず動いていた二重の輪は止まり、そして俺の周りだけ時まで止まっていた。
目の前に迫る少し細められた黒い瞳。
腰と後頭部に回った腕のせいで逃れることは出来ないけど、それ以前に少しも動けない。
何がどうしてこうなった?
唇に当たるのは、少し冷たい柔らかな感触。
俺は傍観者になるって決めたのに、親衛隊の奴らも見てるっていうのに…
何で俺は澤村会長とキスしてるんだ?
もう、こうなったら制裁とかどうでもいい。
それよりも…どうしてくれんだっ、俺のファーストキスゥウウウ―――ッッ!!!!
『二十五場・コテージ』
キャンプファイヤーの締め括りに嵐が吹き荒れた。
周りにも物凄く吹き荒れただろうけど、1番の暴風域は俺の中だ。
あそこで澤村会長をぶん殴ってしまえば、それこそバリ3くらいの勢いでフラグが立ちまくりだっただろう。
そこを何とか押し止めて、大人の余裕と俺様ホスト教師の鉄仮面でニヤリと笑い返してやった俺を誰か褒めてくれ。
だけど……あぁっ、今思い出しても腹が立つ!!
俺のファーストキスを餓鬼っぽい嫌がらせなんぞで奪いやがって!!
この恨み、末代まで祟ってやる!!
この状況ごと祟ってやるッ!!!!
「聞いているのか、瀬永。教師であるお前が率先して問題を起こすとは何事だ? どうやら昨日の説教だけじゃ足りなかったようだからな、安心しろ。今日はたっぷりと躾てやる………朝まで。睡眠は帰りの車中でとればいい」
コテージのフローリングに正座している俺は、この不条理を憎んでも憎みきれない。
誰がどう見てもアイツが無理矢理してきたわけで、俺は全くの被害者だ。
ファーストキスは奪われるし、公衆の面前で大恥かいたし、親衛隊には完ッッッ壁に目を付けられただろうし!!
その上説教までされなきゃならないなんてあんまりだ!!
しかも今は、桂さんと東先生が澤村会長を説教しに行ってて岡野先生を止めてくれる人は誰もいない。
森川さんもソファに腰掛けてるけど、表情が削げ落ちたような覇気のない目でジッと俺を見ているだけだ。
こんな時に空気読んで温和しくしなくていいんだよ、森川さん!!
今こそ騒ぎまくって説教をうやむやにする時だろ!?
嗚呼…ヤバイ、足の感覚がなくなってきた。
「お前は前々から軽いとは思っていたが、それでも実際に生徒に手は出していなかった。だが、今日のは頂けないな。選りにも選って、あの生徒会長と口付けるとは」
「お言葉だけどなぁ、岡野。あれは誰が見たって無理矢理されてただろうが。俺はな、自分よりもデカイ男に手を出す趣味なんて持ち合わせてねぇんだよ」
苛立ちのまま言い返してしまったけど、正座のままで言っても格好がつかないな。
しかもあの岡野先生に噛み付いてしまったんだ、怒涛の説教攻撃がはじまるに違いない。
またトラウマ決定だ…
ぎゅっと目を閉じて俯く…けど、一向に岡野先生の説教がはじまる気配はない。
怖ず怖ずと目の前に立っている岡野先生を見上げれば、そこにはこれ以上ないほど不機嫌そうに顔を歪ませている岡野阿修羅様が光臨されていた。
怖っ!!
「………あぁ、そういえば」
ゆっくりと床に片膝をついて屈む岡野先生に、俺はといえば足の痺れのせいで逃げることも動くことも叶わない。
「―――っ!!」
突然前髪を掴まれたかと思えば、そのまま後ろ向きに床に叩き付けられた。
背中と後頭部に走る痛みに声もなく身体を強張らせていると、俺の顔の横に片手をついて岡野先生が覗き込んでくる。
その口許はニヤリと歪められているけど、眼鏡の奥の瞳は冷たく俺を見据えている。
「消毒がまだだったな、瀬永」
「岡野、何を……ッ…、んぅ!」
噛み付くような荒々しさで、唇を蹂躙される。
掴まれたままの前髪のせいで顔を動かすこともできない俺は、余りの驚きに目を見開くしかない。
唇の隙間から侵入して来た岡野の舌が、逃げる俺の舌を捕らえて痛いほどに吸い上げる。
眼前の岡野先生も目を閉じることなく冷たい眼差しで俺を見下ろし、甘さの欠片もない口付けを繰り返していく。
「…っ!…ん、ッ、は…!」
呼吸すら許さない口付けがようやく終わりを迎えた頃には、俺は茫然自失となっていた。
もう、ツッコむ気力も、ありはしない……
『二十六場・獣』
「……何だ、乱暴にされたというのに感じたのか?」
目の前にいるこの眼鏡は、何処の本から出てきた鬼畜なんだ?
何かこんな設定知ってるような気がする。
むしろ大好物な気がする。
激しい口付けのせいかいつもはオールバックの茶髪が頬にかかり、濡れた唇を薄い舌で舐める鬼畜眼鏡教師のフェロモンに今にも意識が飛びそうだ。
いや、いっそのこと飛んでしまった方が良かったのかも知れない。
今は離されているけど前髪が生えてる部分の頭皮は痛いし、背中も後頭部もズキズキする。
頭痛の原因は外傷だけとは限らないけど。
最早俺を拘束するものは何もない。
岡野先生を突き飛ばして逃げることなど造作もないのに、俺は文字通り蛇に睨まれたカエルのように動くことができなかった。
目を逸らすことさえ不可能な空気に自然と呼吸まで浅くなっていくが、視界を占領していた岡野先生が突如として消えた。
代わりに現れたのは筋張った握り拳で、それは頬を撫でる風圧と共に俺の鼻先で止まっている。
って危ねぇえええ―――ッッ!!
冷静に状況説明してる場合じゃないっての!!
何もう、これ泣いていいの?
一日に2度も男からキスされた揚句、もう少しで拳の餌食って…
もう俺、泣いていいの?
ダメに決まってんじゃん!!
俺様微鬼畜ホスト教師が泣くのは初めて心から愛した受けの子に命の危機が迫った時か、『これでいい。アイツは俺なんかといない方がいいんだ…』ってあえて受けの子を遠避けておいて一人壁にもたれ掛かりながら呟く時だけなんだ!!
ノーマルな俺じゃこの学園にいる限り、一生遭遇しないシチュエーションだけどな。
「―――っざけんじゃねぇッ!! 岡野テメェッ、自分が何したかわかってんのかァアアアッッ!!!!」
「ハッ、駄犬が。止めもせず黙って見ていたヘタレのクセに、今更噛み付いてくるとは笑止」
俺が軽くトリップ入ってた間に、何故かドS岡野vsドM森川の怪獣大戦争が繰り広げられていた。
流石学園で1番危険な男と言われているだけあって、獣の様相で岡野先生に殴り掛かっている森川さんの身体能力はメチャクチャ高い。
そのずば抜けた長身と長い手足を駆使した打撃は、確実にコテージ内を破壊していく。
だけどそのどれもを華麗に避けている岡野先生は、伊達に空手で全国に行っていないということか。
しかし、本当に凄いのはそこじゃない。
有段者であり確実に急所を狙ってくる岡野先生の攻撃に対して、全くのノーガードで挑んでいる森川さんこそ人知を超越していると思う。
やはりドMは最強か?
でも今の森川さんは、俺が蹴った時のように悦に入ったような顔はしていない。
むしろ縄張りを侵された獣だ。
「…ッ…ふざけるなよっ、眼鏡野郎!! コイツは俺のもんなんだよッ!!」
未だに呆然と横たわっていた俺の胴体を跨ぐように仁王立ちした森川さんが、突然俺の胸倉を掴んで無理矢理上半身を引っ張り上げる。
そしてそのまま上体を折ったかと思えば、やけに尖った犬歯に唇を噛み付かれていた。
「……痛ッ!」
余りの痛さに口を開けた瞬間、再び熱くぬめるものが口腔へと捩り込まれる。
さっきとは違って厚みのある舌は、いとも簡単に俺の舌を搦め捕り甘く歯を立てていく。
「ふぁ…、森…か、わ、…ッ!」
角度を変える瞬間にだけ僅かに生まれる隙間から息を吸うけど、そんなものじゃ補えないほど奪い尽くすような獰猛な口付けに視界がぼやける。
俺は今、何をされている?
唇を生々しく這い擦り回る熱と吐息が、急にリアルに感じてようやく俺は我に返った。
「………~~~ッ、んっ、何さらしとんじゃ我ぇえ゛えええ―――っっ!!!!」
「グはぁッ!!」
我が物顔で俺のピュアリップを蹂躙していた森川さんの横っ面を、渾身の力と遠心力を利用して右手でぶん殴ってやった。
不意を突かれたのか見事に床に倒れ込んだ森川さんを見て、俺は濡れている唇を手の甲で拭いながら立ち上がる。
今は岡野先生を気にする余裕はない。
目の前で尻餅をついている森川さんにゆらりと歩み寄ると、俺はそのまま片足を高く掲げそのまま立派なテントを張っている股間を勢い良く踏み付けた。
「ッ―――ッッ!!!!」
声にならない悲鳴を上げてビクビクと痙攣する森川さんは、そのままぐったりと意識を失った。
股間部分の布の色が濃くなっていたのは、きっと気のせいだと思いたい。
俺の唇処女喪失の記憶と共に、気のせいだと思ってしまいたい。
『二十七場・最終日』
俺の長所は、寝たら忘れることだ。
人間は眠っている間に記憶を整理するらしく、俺はその機能が人よりも極端に働いている。
自称だから真実は定かじゃないけど、とにかく俺は昨日のことはもう忘れた。
会長のはただの嫌がらせだし、岡野先生と森川さんのはきっと間男にされただけなんだ。
お互い嫉妬してほしくて、わざと俺に絡んで見せたりなんかしちゃってさ。
ドM野獣×ドSインテリのML……萌えるじゃねぇか!!
大体ノーマルな俺からしたら、そもそも男同士のチューなんてノーカンだよ、ノーカン。
そうだ、狼と蛇とライオンに噛まれたと思えばいいんですよ。
いや、普通噛まれたら死んじゃうけどね。
昨日は結局、森川さんが失神したすぐ後に桂さん達も戻って来て、そのままの流れで俺達は就寝した。
何やかんやあったけど、説教がうやむやになって朝までコースを免れたことだけは救いだったな。
そして俺は今、バスの中にいたりする。
とてつもなく長く感じた2泊3日の交流キャンプは、何だかいろいろ有りすぎてハゲそうだ。
何故か行きと同じく俺の隣には澤村委員長が座ってるし、生徒達からの視線は痛いし、特に鬘と眼鏡がない桜君の視線は最早ビームと言っても過言ではない。
焼ける、焼け付く、焦げ付く。
一躍人気者になった桜君は相変わらずのメンバーと1番後ろの席に座ってるから、そのビームから逃れようと俺は目を閉じて眠ることにした。
現実逃避とか言うな、自分が1番良くわかってるから。
side:澤村藤
また1分もしない内に、蓮華センセは眠ってしまった。
今回はいろいろあったから、疲れが溜まってるのかな?
ちょっとやつれちゃったような気もする。
長い睫毛が頬に影を落とすのを見詰めて、俺は思いの外自分は我慢強いのだと再発見した。
昨日キャンプファイヤーで、菖蒲が蓮華センセにチューした。
その瞬間、あの男は『兄』から『核爆弾以上にこの世界には必要のない存在』へと光の速さで降格した。
最早あの男を兄と呼ぶことはないだろう。
今までも呼んでなかったけどね。
小さな寝息を漏らす薄く開かれたこの唇に触れたというだけで、菖蒲の全身ありとあらゆる関節を外してやろうかと本気で思った。
一応肉親だから関節に止まってるけど、もしこれが他人なら生きながらに腸を引き擦り出して犬の餌にしてやるところだ。
だけど、現実にそんなことしたら蓮華センセが悲しむってわかってるから、俺はただひたすらに我慢するしかない。
このまま蓮華センセを閉じ込めて、組み敷いて、オレという存在をその身体の奥…魂にまで刻み付けてしまいたい、けど…
貴方の笑顔が何よりも大切だから、血が出ていないのが不思議なほど痛むこの胸も見て見ぬ振りができるよ。
疲れの色濃く残った蓮華センセの頬に、そっと人差し指の背で触れる。
さらりとした柔らかな温もりを感じただけで、オレの鼓動は簡単に飛び跳ねてしまう。
可愛い、愛しい、大スキ。
そんな言葉じゃこの衝動を、噴き出してくるこの想いを表せなくて、もどかしさに胸を掻き毟ってしまいそうだ。
ねぇ、蓮華センセ。
オレが貴方に初めて会ったのは、去年の入学式なんだよ?
裏庭のベンチで眠ってる貴方を、HRをサボってた俺は見付けたんだ。
それまでのオレは何にでも興味がある振りをして、その実どんなものにも興味はなかった。
オレ自身にも興味なかったんだ。
だけど、オレは見付けてしまった。
朝の光に照らされた蓮華センセを見た瞬間、今まで存在すらしていないと思ってきたオレの中の感情が一気に噴出した。
感じたことのない激情と熱情に、内緒だけどオレは震えながら泣いてしまったんだよ。
貴方はオレに、人らしい感情を教えてくれた。
そして泣きながら、まるで何かの誓いのようにその傍らで跪いて、貴方の唇にそっと口付けた。
蓮華センセは知らないだろうけど、オレは菖蒲なんかよりもずっと前にチューしてるんだよ。
起きてる時にはできないんだけどね。
その瞳で見詰められたら、オレはオレを止められなくなるから。
だから、ねぇ…
今だけ。
今だけは我慢したご褒美を頂戴?
蓮華センセは一番前の座席の窓側に座ってるから、他の生徒からは死角になっている。
それを利用してオレは窓に手をつき、蓮華センセの顔に唇を寄せた。
眠っている蓮華センセに触れた二度目の口付けは、切なく胸を締め付ける。
蓮華センセ、愛してる。
だから、誰のこともスキにならないで…