緑の手
「――――~~~~~~ッ!」
声も出ず呻く。肘を押さえて崩れ落ちる。美術品の銃が手からこぼれ、ゴトリと床に転がる。
シシが脂汗を流して歯を食いしばり、痛みに耐えていた。
「………………銃には反動がある。子供の骨格と筋力なら片手撃ちはやめた方がいい」
「先に言えよそういうことは!」
大声を上げてくるが、そんな雰囲気ではなかっただろう。不可抗力というものだ。
まあ基礎の基礎だから忘れていたというのもあるし、申し訳なくはある。それなりに口径の大きい銃だから反動が大きかっただろうし、腕の骨が折れてるかもしれない。
とはいえ……。
「まあ今のは両手で構えても、反動は逃がせなかったでしょうけれどね」
グレスリーが安堵の色を隠しもせずに笑む。
そうして両の手の平を開いて見せて、シシへと問いかけた。
「それで、シシさんはなぜ銃口を天井に向けたのです?」
――銃弾は放たれたが、私の身体には傷一つ付いていなかった。
反動で狙いがブレたとかではない。もちろん私は防御系のスキルなど使用していない。引き金を引く前に明確に、シシが銃口を上に向けたのだ。
おかげで天井に穴が空いたが、それだけ。
「旅行だったんだよ」
肘を押さえるその手に、力が入る。
「親父の知り合いがこっちにいるってんで、家族で来た。そしたらいきなり戦争が始まって、なにも分からないまま爆発に巻き込まれて親もその知り合いも死んだ」
あの奇襲は、本当に奇襲だった。
当時ペンドラとの関係は決して良好とは言えなかったが、それでもいきなり戦争を仕掛けてくるなんて誰も予想はしなかった。天啓の予知を聞いたときは耳を疑ったほどだ。
だから、シシのような者は他にもいただろう。
「あの爆弾を投げたのはペンドラ軍だった」
憤怒の声は、地の底から響くようで。
ペンドラの軍服でも見たのだろうか、それとも他の証拠があるのか、とにかくシシには確信があるらしい。もちろん我が国の軍には、自国の民家に手榴弾を投げ込む者はいない。
おそらく姉上の予知により奇襲を読んだせいだろう。あのとき、ペンドラ軍にとって予定外の場所で早々に反撃に遭ったせいで、しかたなく民家を障害物にして戦線を構築しようとする動きがあった。シシの家族はそれに巻き込まれたのだ。
「なあ、おい。答えろ王子」
シシが立ち上がる。腕を伸ばして私の胸ぐらを掴む。
下から睨み付けてくる。
「なんであのクソみてぇな国を滅ぼさなかった!」
それがこの国に対するシシの、慟哭のような恨み。
「君のような者をこれ以上増やさないためだ」
「上っ面だけの嘘だろそれは!」
「…………あちらが降伏し、上の方で終戦の条件が合意された。戦争を続けるか否か、我々に決定権はない」
「下っ端がよ!」
返す言葉もないな。軍の最重要人物とか自分で言っておきながら、結局私はその程度だ。
シシが私を突き飛ばす。……といっても、子供の力で押された程度だ。しかも向こうは右腕を怪我しているから左手だけ。
逆にシシがよろめく形になって、結局元の椅子へ尻餅をつくように座る。悪態を吐く。
「ハハハ、いやぁ危険人物ですな」
グレスリーが直球な評価を下す。もっとオブラートに包め。
……というか、けっこうショックな内容だったと思うがあまり驚いていないな。もしかしてその辺りも調査済みだったか? もしシシが勘違いしていたなら認識を正すつもりで来たとか、コイツなら十分あり得るが。
「危険人物ではあるが、私を撃たなかった。王国への怒りはあっても害意はあるまい」
「忠義もなさそうですが」
そもそも他国の出身だしな。王家への敬意などなくて当然だろう。
まあ私は大雑把な性質だ。細かいことはどうでもいい。些事に興味など無いから、堂々と素通りしよう。
べつにそういう試験のつもりではなかったのだが、結果はここにあるのだから。
「シシ。私より上の相手に文句が言いたいか?」
「あ?」
「殿下?」
私の言葉にシシが険悪な目を向け、グレスリーが頬を引きつらせる。
コン、と指でテーブルを叩いた。そこには指輪を入れるような小さな箱があり、中には淡く光る緑の輝石が入っている。
「この輝石を使って緑の手のスキルを習得できれば、我が兄には会えるかもしれないぞ」
私が依頼されたのはあくまで、緑の手のスキル所持者捜索のみ。なら、それがペンドラ出身の人間であろうとも問題はあるまい。
「正気かよ? 今までのやりとり覚えてるか? こっちはペンドラ生まれだっつってんだろ。その第一王子とやらに悪さしても知らねーぞ」
「問題ない。緑の手のスキル所持者には元々、軍から護衛を付けるつもりだったからな。君が良からぬことを企てたとしても阻止できる――いや、そういうことではないな。すまない、今のは忘れてくれ」
謝罪して、胸の奥底にあった本心を拾い上げる。
「私は君を信じている」
シシは無言だった。行儀悪く椅子に座り、背もたれに片腕を乗せて、ふてくされた顔でこちらを睨み付けていた。
そうして、大きくため息を吐く。
「石の使い方は?」
「持って念じるだけだ」
視界の端でグレスリーが肩をすくめた。いろいろなことを諦めた表情だ。
そうだな、私の部下は大変だろう。
「緑の手、ね」
シシが立ち上がって、ゆっくりと手を伸ばす。小箱から輝石を摘まみ上げる。
躊躇などなかった。吸い込まれるように、輝石がシシの手の内に消える。
そうして。
ズ、と。
尋常ではない気配がした。見た目はなにも変わらないのに、シシはただ立っているだけなのに、私の中の異常を告げる鐘が鳴り響くかのようで。
「気に入らねぇな」
その呟きは怒りだった。
八つ当たりのような、それを分かっていてなお止められない、やりきれない怒り。
「気に入らねぇ!」
叫ぶと同時、シシがその場で足を踏み鳴らす。
風を感じた。本物ではない、空気の流れでは風。スキルが放つ力。
それは蹂躙だった。
以前大量に買った、部屋の中にあった鉢植えの植物が一斉に成長した。茎が伸び葉が茂り蕾が開く。
花々が美しく咲き乱れる。
「ハ――足で十分だろ」
シシが不敵に、勝ち誇るように、咲き誇るように笑む。こちらの勝手な思惑に少しでも抗ってやったのだと、証明するように。
窓際で大きく美しい白の花が、羽ばたく鳥のように咲いていた。