二度目
この国の現王位継承権第一位、我が長兄ハルロンド・エルドブリンクスは戦いに向かない人間だ。肉体的にも精神的にも、戦闘が選択肢に入るお人ではなかった。
王族として一応、護身術の訓練くらいは受けているはずである。が、生来あまり身体が強くない人だから本当に最低限。そしてあのお人好しであまり人を疑わない性格は、身内の裏切りには弱いだろう。
スリ、壁走り、気配消し。
改めて考えれば、シシのスキルは暗殺にも適している。手の内に武器を隠し持ち、予想しないルートから近づき、警備の目をもかいくぐることができる。
王国に恨みを持っているのなら、絶対に近づけてはならない。グレスリーの進言は正しい。
――つーか、大抵のことに興味がない。いいや大雑把すぎるんだな。だから細かいことは目に入らず素通りする感じ。
ああ、そうだ。私は興味が無かった。大雑把だったのだろう。細かいことに目が行っていなかったに違いない。
思えばおかしかった。南部戦線開始時の奇襲で民間被害はたしかに出たが、天啓の姉が予知してくれたおかげでかなり少なく抑えることができた。そして戦災被害者のケアは父上と長兄殿の役割だから、そうそう漏れなど出るとは思えない。なによりシシほど賢い……要領のよい子供ならば、たとえ漏れたとしても自分から助けを求めるくらいはできただろう。
そうしない理由があったのだ。自分が敵国の人間だと分かっていたから、自ら拒んだのだ。
「そうか、またなのか」
漏れ出た私の呟きを聞いて、グレスリーとシシが眉をひそめる。
意味が分からなかったのだろう。だがしょせん独り言だ。説明の必要はあるまい。
シシは南部戦線で両親を亡くした被害者であり、敵国の人間だった。故に、王国を恨んで当然の理由がある。
ああそうだ。まただ。
あの戦争の怨嗟がまた、私ににじり寄って来たのだ。
「シシ」
前に一度、経験がある。
トルティナという少女に軽い呪いを掛けられそうになったときだ。私の周囲には南部戦線で向けられた大量の怨恨、怨嗟の念が渦巻いていたらしく、彼女の呪いを増強してしまい大変なことになった。
あのときはアネッタ殿のおかげでなんとかなったが……スキルが暴走したトルティナ殿は一歩間違えれば廃人になっていたかもしれないし、その直後精神的に追い詰められた彼女は自殺未遂まで図った。
「私はこの国の王子だ」
擦れるような、嗄れた声だった。
「そうだって話だな」
「王族で唯一の軍人であり、南部戦線の英雄だと称されている」
その肩書きと勲章は、まるで呪いのようにつきまとう。
「自分で言うのもなんだが、誇張ではなく軍部において私の存在は大きいだろう。王国軍のトップではないものの、最重要人物だと言っていいはずだ」
目を逸らしてもあの過去は無遠慮に、また私の前へやってくる。
「――つまり私は、君がもっとも恨みを向けるべき人間だ」
疎外感があった。私自身が勝手に感じるそれの意味が、ようやく分かった。
私はこの町並みの一員になりたかった。ほんの一時であっても、なれたような気がしていたのだ。私にはそれが嬉しかった。
……戦争で両親を亡くし路地裏で生きてきた子供を、ただ利用しようとしていただけなのに。シシの親は、私が殺したのかもしれないのに。
「以前、銃が撃ちたいと言っていたな」
上着の懐に手を入れる。そこに吊っていた拳銃を抜く。
護身のためにと一応持たされた年代物の、王家の紋章が入った銃。単発式だがリボルバーのような厚みがなく服の中に隠しやすいそれは、使うことなどないと思っていたもの。
それは気の迷いだった。それで良かった。
「撃っていいぞ」
銃把をシシに差し出すように、ゆっくりとテーブルの上に置く。
コトリと音を立てる。
「殿下っ?」
「座っていろ、グレスリー」
立ち上がろうとする部下を制す。
彼は身体能力はイマイチだ。テーブルの上の銃に手を伸ばしたとしても、私なら問題なく防ぐことができる。
「……あの戦争はペンドラの奇襲から始まりました。王国軍が防衛戦をするのは当然のことでしょう?」
「そうだな。我々は当たり前の仕事をしたまでだ。その戦果は誇りにすら思う」
「ではなぜ?」
理由を聞かれ、私は目を閉じる。わずかな間だけ、完全な無音が降りる。
「我々は南部戦線でずいぶん暴れたから、お前はペンドラの戦災者であるシシにすべてを話す責務を感じた。だからこの面会を望んだ。そう言っていたな?」
「ええ、そうですな」
グレスリーの感じた責務はおそらく、下手な誤魔化しや嘘をしないこと。そして身元を確認した上で、シシにしっかりとした支援を約束すること。……そんなところだろうか。
だがそれでも、恨みは残る。
「私も責務を感じた」
この私程度の命で足りるかどうか、それだけが心配だが。
「王族殺しは死刑です。子供であろうとも例外はありません」
「そうか。お前が逃がせ」
ああ、私はずいぶんと無茶を言っているな。王族殺しの犯人蔵匿など言い逃れできない罪だろうに。
まあ他の部下ならともかく、グレスリーならば上手くやるだろう。
「――なるほど、なるほどだ」
シシが腕を組んで、二度、頷く。
「この国への恨みね。たしかにあるな」
シシが組んでいた腕をほどく。そのまま、細い手をテーブルの上へ伸ばす。
そこにある年代物の銃を取った。
王家の紋章が入った美術品でもあるそれを顔の高さへ持ち上げ、胡乱げな目で眺める。
「あんたが受け止めてくれるのか?」
私に向けて構える。
「ああ」
頷いた。
引き金が引かれる。