催促
凡庸。第一王子ハルロンド・エルドブリンクスを形容するならば、まずはその言葉が選ばれる。王位継承者としても、研究の専門分野でもパッとしないからだ。
とはいえ、だ。この私ロア・エルドブリンクスが凡庸以上であるかというと、そんなことはまったくない。
私は早くから士官学校へと入学し、そのまま軍に入った。戦果は立てたので一目置かれてはいるのだが、残念なことに王位継承者としての務めや社交界については壊滅的である。及第点すらとれていないのだ。
継承権第四位なんて回ってこないからいいだろ。
そんな王族として最低な信念の元、私は戦う以外のことをやってこなかった。
ゆえに、戦う以外のことは長兄殿に勝てるわけがないのである。
「この場所は教えていないのだがな……」
郵便配達員を装った伝令の男が去ってから、私はナイフで手紙の封を開く。連絡が来るのならばグレスリーを介するだろうと思っていたが、おそらく独自のルートで調べたのだろう。ということはアネッタ殿のことも知られていると思った方がいいな。まさかシシのことも知られてるのか?
……まあ、彼の支持者たちならともかく、長兄殿はスキル剥奪のことを知ってもアネッタ殿を手に入れようとはしないはず。そこまで地位や人脈作りに積極性のある人物ではない。
放っておくと危険すぎるが弟が見張っているのなら任せよう、くらいに思ってくれているといいのだが。
「ふむ……」
兄からの手紙を改める。内容はシンプルだった。
つまり催促だ。
薬草栽培の方がなかなか芳しくない。君も忙しいところ申し訳ないが、我が国の宝である赤子たちのためにも、できれば緑の手のスキル所持者を早めに見つけてほしい。そんな、裏を探る気も起きない内容。
兄はたしか、乳幼児のための薬を研究しているのだったか。相変わらずのようでなによりだ。たしかに未来ある赤子たちを救うため、早く緑の手の所持者を探すべきだな。
「そうか」
今のシシは植物についての関心が強い。自分で選んだあの花のみならず、大量にある家の緑すべてをしっかり世話している。
子供があれだけのめり込むなら植物関連スキル習得も早いだろう。なんならもう、緑の手のスキル輝石を受け入れる準備は整いはじめていると判断してもいいかもしれない。
「そうか」
本来なら、もっと時間をかけるつもりではあった。もう少しじっくり育てるつもりだった。
だがシシには魔法系スキルの才があり、花々の世話を完璧にこなし、植物へ特別な関心を持つに至った。そして兄からはこうして催促が来た。
ならば、判断の時期は早めてもいい。早めない理由がない。
「そうか……」
呟く。
「シシ。アネッタ殿のところに行ってくる。留守を頼んだ」
「あいよー」
返事を聞いてから、私は玄関を出た。隣家へ、スキル剥奪屋へ向かう。
「はあ……緑の手のスキル輝石を使用して別のスキルになってしまった場合、それを剥奪しても緑の手のスキル輝石は手に入らないのではないか、ですか」
いつもの剥奪をする、向かい合わせのソファ。そこに座らせてもらって、私は私の懸念を打ち明ける。
もう夕方で、店はそろそろ閉める時間帯で、私は客として剥奪を依頼に来たわけではなかったが、それでもアネッタ殿は快く中へと通してくれた。お茶まで出してもらって申し訳ないほどだ。
「ああ、つまり植物を成長させる緑の手のスキル輝石を使用して、しかし発現したのは植物を枯らす赤の手だったとする。その場合、再度剥奪してもそれは赤の手のスキル輝石になってしまうのではないか、とな」
「ないとは言い切れませんね」
その返答は私にとって都合の悪いものだった。もしありえないと断言されたなら、今日中にもシシに試させることができたからだ。
なのに、少しだけ安堵している自分がいた。
「でも、希な例だと思います」
しかしすぐにアネッタ殿は首を横に振って、その可能性が低いだろうと予測する。
そうして、私たちの間にある低めのテーブルに置かれたティーカップを指さす。
「このカップには今、紅茶が入っていますよね」
私は彼女の指先が示す紅茶へと視線を送る。
「ですがこのカップを他の人に渡したら、コーヒーや水を注ぐ人もいるでしょう。果汁やお酒を入れる人もいるかもしれません。なんならこれでスープを飲む人もいるかもしれませんね。――でも、中になにを入れようと、器の形や大きさは変わりません」
テーブルの上のティーカップは二つあった。アネッタ殿のものと、私に淹れてくれたもの。
中に入っているのは同じ紅茶だが、彼女の方にはスプーン一杯の砂糖が入っている。
「スキル輝石によるスキルがどれだけ元とかけ離れようとも、それは所持者の性質によって発現の仕方が変わっているだけで、スキル輝石自体が変化しているわけではないということか」
「私はそう考えています」
前例はあるのだろうな。前に魅了のスキルが虫を引き寄せるスキルになった話を聞いたが、さすがにそのままにはしなかっただろうし。
貴重なスキル剥奪屋本人の見解だ。信用できるのだろう。
「だが、希にはあると言っていたな?」
「そうですね。たとえば変化したスキルをそのまま育てた場合、習熟と共にスキルがより変化後に沿うよう変質していくことはあると思います」
「……ならばそうなる前に、君に剥奪してもらえば?」
「すぐに剥奪すればその変質は防げるでしょう」
問題はない……のか。
そうか。
「あとは進化ですね」
アネッタ殿はテーブルの真ん中に置かれたミルクの容器を手に取った。
「スキルを育てていくと、希にスキルがより上位のものに進化することがありますよね。イーロおじさんの毒精製スキルもそうでした。――そして進化には、単純進化と複合進化があります」
アネッタ殿が自分のティーカップにミルクを注ぐ。
透き通った紅に白が混ざる。
「もしシシさんが緑の手と相性の良すぎるスキルを所持していた場合、緑の手を得てすぐ複合進化してしまう可能性は……とても少ないと思いますが、あるでしょう」
「なるほどな。その場合は君が剥奪しても元には戻らないわけだ」
「はい。わたしが剥奪しても、それは進化後のスキルになってしまいます」
そうか。ごく低確率ではあるが、緑の手は回収できないこともあると。
私はテーブルの上のティーカップを手に取り、揺れる紅茶を眺める。
飲み干す。
「ありがとう、アネッタ殿。わずかでも回収できない可能性があるのなら慎重になるべきだろう。少し考えてみるよ」
「いえ。お役に立てたなら良かったです」
私が立ち上がって頭を下げると、少女は柔らかく微笑んだ。




