自分で選んだ物
一つ、花を買った。
花と言ってもまだ蕾もついていない。ただ、植木鉢からはみ出そうに広がった葉は鮮やかで瑞々しく、剣のように尖った立派なそれだけでも観賞用になる。
そんな植物を家に迎え、日当たりのいいリビングの窓際に置いた。風を当てるといいとのことなので、窓はできる限り開けたままがいいそうだ。
そしてその窓の前で、シシはずっと植木鉢を眺めていた。わざわざ椅子を移動させて座って、もう二時間になる。
「どうしたものか……」
私はその背を眺めて、呆然と呟く。初日は新しい植物が珍しいのだろうなと思っていたが、あれから二日たった今でもこれだと、ちょっと理解不能すぎてかける言葉が見付からない。
葉っぱを見てなにがそんなに楽しいのか分からない。花に興味が出てきたかと聞いたとき、舐めすぎだとか言っていたのはなんだったのか。ここまでだと茶化していいものかも判断が難しい。
花屋でエレナ殿と選んでいたときからなんとなく感じていたことだったが、やはりシシは植物に関心を持ち始めたようだった。
特にあの花はかなり長い間あの店を見て回って選んでいたからな。そうとう迷い抜いた末の一鉢であるしお気に入りなのは間違いないのだが、まさかこれほど飽きもせずに眺められる熱量だったとは思っていなかった。
……ちなみにあれを選んでいる間、私はあまり興味の湧かない花々に囲まれただ立ち尽くすという時間を過ごしたのだが。二人が盛り上がる声を聴きながらボーッとするだけの時間は、まあ、新感覚のしんどさではあったとも。
私は深く息を吸って、ため息のように吐き出す。
そうして、キッチンへと向かった。
「そろそろ夕方だ。開けた窓の側は冷えるぞ」
どう声をかけたものか分からなかったので、本当に分からなかったので、温かいお茶を淹れて渡す。
昔は王宮でよく出たくもないお茶会に同席させられたものだが、今さらながらにあれの意味が分かった。飲み物は話をするためのツールなのだな。
「おー、あんがと。……ありがとうございます、ロアお兄様」
だいぶん気が抜けてたな。まあそうだろう。その様子で気を張っていたなら驚くとも。
「眺めていても蕾はつけないと思うが?」
「んー、そういうんじゃな……そういうことではないのですがね」
「敬語じゃなくていいぞ」
茶を一口飲んでから首を横に振るシシに、私はそう言ってやる。味に諦めたような顔が怪訝な顔になった。
話を聞きたくて声をかけたのだ。理解したいと思ったから声をかけたのだ。
だから、それには選んだ言葉は邪魔だと感じた。
「別に早く咲けと思って見てるわけじゃねーよ。ただまあ、今までなんにも持ってなかったからな。それだけだ」
内容に反して、シシはサッパリとした顔で肩をすくめる。
なるほど。この植木鉢はシシにとって、自分で選んだ唯一の所有物か。
だから感慨深さがあるのか。
「そうか、そういえば服もマルクが揃えたものだったな。君が選んだものではない。今度買いに行くか?」
「へえ嬉しいね。それなら下着とかもいっしょに、古着じゃなくて新品のやつ揃えてくれよ」
「いいぞ。たしかあの花屋のそばに店があったはずだ」
少しよれた自分の服の襟を引っ張っるシシに、私は頷く。清潔ではあるが、たしかに古着だけあって伸びやほつれなどもあるようだ。気づかなかったが、その辺りにも不満があったか。
それくらい言えばいいのに、ずいぶん遠慮深いことだ……とも感じたが、シシは人の持ち物を盗んで捕まった流れでここにいる。口が悪くて気の強い性格だから分かり難くても、こういった小さな不満は他にも我慢しているのかもしれない。
ああそうか……以前、大抵のことに興味がないとか大雑把すぎて細かいことをスルーするとか言われたことがあった。あれは、暗にそういう不満に気づけということだったのかもな。
たしかに私はあまり細かいことにはこだわらない性質なのだろう。でなければ部下があんなにつけ上がるはずがない。
もちろん絞めるべきところは絞めているつもりだが、それだけでは足りないらしい。もっと周囲を気にしてみるか。
「ところで、その植物が気に入っているのは本当に自分で選んだというだけなのか?」
まずは、シシの様子から。
「しつこいな。そういうところは気にしなくていいんだよ」
舌を出して睨んでくるシシ。
ああ、やはりそれだけではないのだな。
「さっきの答え方があっさりしすぎていたからな。他にも理由があるのではないかと思っただけだ」
「ハイハイ、そうかよ。べつに大した理由じゃねーよ。ただ、お前からあの緑の宝石をパクったときに気づいたんだがな、綺麗なものは見てるだけで幸せなんだ。――ま、お前には分からないだろうけどな。ハハッ」
それはまだ蕾もつけていない葉っぱでしかないのだがな。
それを幸せに思うほど美しいと感じるか。
「美しいものを美しいものだと感じることはあるとも。だが、たしかに君ほどの感性は持ち合わせていない。少なくとも一つのものをそれだけ飽きずに眺めていられるのは、私には分からない感覚だ」
「本当に宝の持ち腐れだよな。あの宝石、要らないならガチでよこせよ?」
最初から渡すと言っているがな。
だが葉を美しいと感じるのならば、やはり植物にも興味は持っているのだろう。なら、意外と早くあのスキル輝石を渡すことになるかもしれない。
予想はしていなかったが、この花を買ったのは良かったな。もしこのままシシが花に興味を持ち続けるのなら、観察系のスキルを発現しそうだ。必要な水の量や肥料の種類、花の咲く時期などが分かるスキルを習得することができたなら、兄の元で薬草栽培をすることになっても有利だろう。
「…………ふむ。人が来たようだ」
家の外に気配を感じ、思考と会話を中断した。
「お前のそれ気持ち悪い」
酷い言われようだな。そろそろ敬語に戻っていいぞ。
ただの通りすがりの可能性もあるにはあるが、この辺りはピペルパン通りの端、空き家が多く店が少ない場所だ。だからやって来る人間は少ない。……まあ、とりあえず敵意は感じられないから警戒の必要があるかどうかは微妙だが、知っているというか、慣れた雰囲気がするのは引っかかる。
リビングを離れ、玄関へ向かう。その途中で無線が入る。
『郵便配達姿の男性が一人、そっちに向かってるデスね。歩き方からして従軍経験ありデス』
「了解。警戒を続けろ」
軍関係者だがミクリの知り合いではないらしい。
さて、用があるのは私か、それとも隣人のアネッタ殿か。隣に入ったら剥奪屋を探りに来たという線も考えなければならないが……。
はたして、気配は隣家までは行かず、我が家の前で止まった。庭へ入ってきて、玄関の前へやってきて、ノックを二回。
「どうもこんにちは。どちらさまですか?」
私は扉を開けて挨拶する。やはり知らない顔だった。……いや、見たことはあるな。
話したことはないし名前も知らないが、王宮で。
「こんにちは。お兄様の使いの者です。手紙を預かってきましたので、お受け取りのサインをいただけますか?」