ピペルパン通りの花屋さん
「おおー、あそこが花屋か。見ろよ、外にも鉢植えがたくさんあるぜ!」
初日の草むしりの時に与えた、子供には少し大きい帽子を被ったシシが声を弾ませる。店舗の外に商品を置いてあるのを見て、シシは小走りに向かっていく。
私はシシを連れて、ピペルパン通りの花屋へとまた来ていた。あのエレナ殿の店だ。私が壊した店先の石畳は、そこだけ綺麗な新しい石になってしまっているが、しっかりと直っている。……まあ地面なのだし、わざわざ汚してまで周囲に色味を合わせる必要はないか。
自分が壊してしまった場所だから気になってしまって、足裏で段差ができていないかだけ確認する。よし平らだな。
シシを追う。
「おおーい、見ろよ。この樹、実を付けてるぞ。これって食べられるのか?」
先に行っていたシシは両膝に手を突き、鉢植えの小さな果樹を覗き込んでいた。たしかに曲がりくねった枝に、黄土色の小さな実をいくつか付けている。
果樹か。庭木も扱っていたから分かっていたことだが、やはりここは花屋と言いつつ植物全般を扱っているらしい。……いや、野菜などは見当たらないな。ということはあくまで花、もしくは観葉植物などの観賞用を扱う店なのかもしれない。
だとしたら、この果樹の実は食用ではない可能性があるな。
「小さいがオレンジに似ているな。私も知らない種だから、毒かどうかは確実には分からない。食すなら無毒であることを判別してからの方がいいだろう」
「へえ、毒かどうか分かる方法があるのか? どんなんだ?」
「舌先を糸で縛って、そこに果汁を一滴落とすんだ。それでしばらく待ってもなにもなければ良し、痛みや痺れを感じたら毒だからすぐにナイフで舌の皮ごとこそぎ取る。未知だが食べられそうなものを得たときは必ずやった方がいい」
「アホか店なんだからエレナ姉ちゃんに聞けばいいじゃねぇか」
む……それはそうだな。店の商品なのだからエレナ殿なら知っているだろう。
無駄に舌を傷つけるところだったか。まあこの果樹を買うかどうか、まだ決まってもいないのだが。
「あらあら、ロアさんにシシちゃんじゃないですか。いらっしゃいませー」
噂をすれば影がさして、エレナ殿が店から顔を出した。
我々の声を聞きつけたのだろう。二十歳ほどの柔和な女性はエプロン姿で挨拶すると、ニコニコと親しげな笑顔でやって来る。
「こんにちは、エレナ姉様。今日は新しいお花を買いたくて来させていただきました」
――コイツ本当に調子いいな。ちゃんと帽子をとって挨拶してるが、教えてないぞそれ。
「まあしっかりしてるわね。あれからお花たちの調子はどうですか?」
「しっかり世話をしてますからね。どれも元気ですよ。今日は新しい紅い蕾を付けていたものを見つけましたから、これから咲くのを楽しみにしています」
「それは良かったわ。これからの季節の花を選んだから、きっと他のも咲いていくはずよ」
わざわざかがんで目線を合わせるエレナ殿に、シシは明るい笑顔で花の成長を話す。……なんだろうな。妙なむず痒さを感じる。まるで育ちが良くて礼儀正しい子供みたいだ。
似合わないというか、シシの本性はこうではないというか、脳がそれは違うだろうと叫ぶのである。
敬語で話せと言ったのは私なのだが。
「ところでエレナ姉様。この小さな樹に生っている実は食べられるものですか?」
「これね。これは小さくて可愛い実が観賞用として人気なのだけれど、とっても酸っぱくてとても食べられないのよ。でも毒ではないし、少しなら爽やかな酸味だから、果汁をお魚料理とかサラダにかけるとサッパリして美味しくなるわ。お店には売られないから、この樹を庭に植えてる人だけのちょっとした贅沢ね」
なるほどやはり観賞用か。そしてそのまま食べるものではないが、料理には使えるのか。調味料みたいなものだな。……私の料理もこれを使えば上手くなるだろうか。
「そうなんですね。他のも見させてもらっていいですか?」
おい少しくらい期待しろ。
「もちろん、どうぞ見ていってくださいな。どんなものがいいとかありますか?」
「やっぱりとびきり綺麗な花が咲くのがいいです。少しくらい育てるのが難しくてもいいので、一番綺麗なのはどれですか?」
「うーん、どれも違った魅力があるから、花の美しさに上下をつけるのは難しいわね。小さくて可愛くって花束にするとちょうどいいとか、一輪だけ机の端に置いてふとした折に見て心を和ませるとか、お花にだっていろいろあるもの」
種類が変われば用途が違うと言うことだな。近接では銃よりナイフの方が強い場合も多い、というのと同じことだ。
「でも、シシちゃんに似合いそうなのなら白い花かしら?」
「白?」
エレナ殿の言葉が意外で、思わず聞き返す。
私としては白は純粋とか潔癖とかなイメージがあるので、少なくともシシに似合うとは思わないのだが。
「ええ、白です」
けれどエレナ殿は、私にニコニコとした笑顔を見せる。
「この子は燃えるような激情の赤でも、明るくて踊り出したくなるような黄でも、涼やかで落ち着く水色でもない。繊細だけど気高くて、心に強い芯を持つ。大きくて羽ばたく鳥を思わせるような、白の花が似合うと思います」
……繊細? 気高い? 心が強い?
正直、並べられた単語群にはあまりピンとは来なかった。真逆ではないかとすら思った。
けれどなぜだか、否定する言葉は浮かばなかった。
「オススメの花をいくつか紹介しますね。もちろん、白じゃない他の色も。きっと気に入るものがありますよ」