贈り物の定番
「ふうむ……うーむ……」
パラパラとページをめくる。時折天井を見上げて、ふぅー、と息を吐きながら眉間を揉む。速読のスキルは目と脳に負担がかかるので、長時間酷使すると頭痛がし始めるのが難点だ。
ロア・エルドブリンクス隊作戦参謀。それがこの身、グレスリー・ドロゥマンの肩書きではあるが、つまりあのやんちゃな暴れん坊たちがやらないことを押しつけられる立場というだけだ。
地味な下調べと根回し手回し先の見通し作戦立案に軍備兵站資金の調達。やらかしたときの後始末と証拠隠滅、軍議の時に矢面に立つ役。あとは逃げ道の確保とか。
奇策を駆使して圧倒的な戦力差を覆す、なんて物語の軍師みたいな華々しい活躍など望むべくもない。そもそも圧倒的な戦力差を作られた時点で失態なのだからそういう軍師が評価されてるのは気にくわない。いつの時代も十分な戦力を揃えて蹂躙するのが最強の作戦であり、そこまでの道筋を作るのが難しいのである。
まあつまり地道で面倒な仕事をやるのがこの身の役割であり、今もそれを任されているというわけだ。
「……アッハッハ」
ページをめくる手を止めて、目に留まった内容に眉をひそめて、それから笑ってしまった。
机に積まれているのは、南部戦線での被害報告。王国の戸籍情報。死者と行方不明者の記録。避難者の名簿などの分厚い紙束たちだ。
こんな眺めるだけでクラッとする面倒くさい調べ物が作戦参謀の仕事なのかと言われればその通りで、こういうことをやってる分お前らより頭良いからバカは言うとおり動けよマジで、と圧をかけるために必要なのである。
「さてさて、どうしたものですかなぁ……」
窓から外を眺めれば陽の光が差し始めている。どうやら徹夜してしまったようだ。
うん。睡眠は大事だな。眠ろう。
べつに危急の仕事ではないのだし、しっかり調べて裏を取ってからでないと間違いかもしれないし。ああ、せっかくだし寝酒にワインを飲もう。前は不眠症をどうにかするために無理矢理胃に流し込んでいただけだったが、最近はやっと味が分かってきた。
「おやすみ」
ポン、とそれまでに読んでいた資料を、乱雑に机に積まれた資料群の一番上に置いた。その表紙にはこう書かれている。――『南部国境検問所:出入国帳』
「おっ。おはよー姉ちゃん。なーなー、またメシ作りに来てくれよ」
早朝、庭に出てジョウロに水を汲み、植物の世話の準備をしていると、隣家の玄関が開く。どうやら今日は買い物に出る日だったようで、買い物袋を手にしたアネッタ殿が顔を出した。――それを見てシシが小走りに近寄っていく。柵に覆い被さるようにして顔を出して、挨拶する。
何日か前にアネッタ殿が来て作ってくれた夕食がよほど感動的だったのか、どうやらシシは彼女に懐いてしまったようだ。以来、アネッタ殿の顔を見ると寄っていくようになった。なんなら勝手に隣へ遊びに行く始末である。
「シシ、姿勢と敬語を忘れるな」
「おはようございますアネッタ姉様。姉様の料理の味が忘れられませんので、ぜひまた作っていただきたいのですがお願いできませんか?」
背を伸ばして挨拶し直すシシ。物覚えは良いのだよな……。
「アハハ……おはようございますロアさん、シシさん。わたしには普通の口調でかまいませんよ」
「いいえ、礼儀正しくする訓練中ですので」
「そうですか。今日はシチューにするつもりですから、多めに作って持っていきますね。シシさんには栄養のあるものをたくさん食べてもらいたいですし」
「やった! 姉ちゃん愛してる!」
調子いいな。まあ私が作る料理よりアネッタ殿の料理の方が美味いのはたしかなのだろうが。
あれからアネッタ殿はさすがにうちの調理場に立つことはなくなったが、たまに料理を差し入れしてくれるようになった。見かねてくれたのだろうが、迷惑を掛けてしまっているようで申し訳ない限りだ。いずれなにかで返礼しなければならないだろう。
ちなみにマルクは私に対して「女の子の手料理食えて羨ましいですね地獄に落ちろ」と舌打ちし、ミクリは「少なくとも通い妻になってくれるほど好意は持たれてないみたいデスね」と批評した。とりあえず、あいつらにマトモな料理ができれば話は早かったんだが。
「すまないな。私がもっと上達すれば良いんだが……」
「いえいえ。ロアさんにはお世話になっていますので。それでは、行ってきますね」
ニコニコと笑顔で手を振って出かけていくアネッタ殿。
今日の護衛役はミクリだったか。最近、あいつは途中で合流して一緒に買い物して帰ってくるからな。仲が良いのはいいが、迷惑かけないといいが。
「――さて、シシ。花の世話を始めるぞ」
「はいはい、分かりましたよ。あ、そういえばさっき、そっちの鉢植えに紅い蕾ができてたぞ。もうすぐ咲くかもしれないな」
「ほう。……おお、本当だな。なるほどこうなるのか」
「綺麗に咲いたらあの姉ちゃんにプレゼントしてやったらどうだ?」
「む……」
そういえば、マルクも花は贈り物の定番と言っていたな。
シシが印象を良くしておけばもっと美味い料理をくれるかもしれない、みたいな打算で言っているのは分かっているのだが、それはそれとして日頃から世話になっているお礼になるのかもしれない。
…………いや、どうだろうか。花は美しい物だという知識はあるが、花を美しいと思ったことはあまりないのだよな。本当にそれが礼になるのだろうか。花の世話という手間を押しつけるだけになるのではないか。
「見事に咲いたら検討しよう。まずは贈り物にふさわしくなるよう世話をするんだな」
「それはそう。――じゃ、しっかりやりましょうかね」
シシは肩をすくめてジョウロを手に取る。
なんだか、アネッタ殿と話すようになってから丸くなったなコイツ。敬語も上達しているし、血色も良くなったし。
いや、血色は栄養のせいか。