わたしみたいな人間にとって自炊は基本
どうしてこうなってしまったのか。
「トマトが嫌いな子供さんですので、パスタはトマト系のソースは使わないで塩味を効かせたオイルとニンニクのものにします。オムレツは見た目を綺麗に作るのは諦めて火加減だけ見ましょう。スープは野菜を大きめに切る方が楽ですが、火が通るのに時間がかかりますので今回は細かく切ります。サラダは葉物でしたら刃物を使わず手で千切ってしまっていいでしょう」
本当なら今後を考えてじっくり解説するべきだけれど、この状況にわたしの心が耐えられない。早く終わらせて早く帰りたいという焦りが早口にさせてしまう。
余計な事をしているのだ。出過ぎたことをしてしまっているのだ。
まさかわたしが他人の家の台所に立つなんて、思いもしなかったのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。メモをとらせてほしい」
わたしの説明にロアさんが慌てて手帳を取り出す。そこには渡した料理本の内容のメモ書きがびっしり書かれていて、それなのにあんな惨状になったのかと目を疑う。
ここに来た時は酷かった。ここが戦場なのかと思った。膝を折りかけたほどだ。
結局わたしはロアさんの家にやって来て、それからお手伝いを買って出てしまった。
普段なら絶対やらないことで、いきなりやって来て料理を作り出すなんて不躾で変な人間だと思われるのではないかと思われそうで、すでに吐きそうで気持ち悪い。けれど放って置くときっと後味の悪さをずっと抱え続けると思う。
あくまでこれは、一回お手本を見せるだけ。人に教えられるほど料理の腕があるわけではないけれど、もちろん料理のスキルがあるわけじゃないけれど、一応趣味レベルではできるのだ。だってわたしみたいな人間にとって自炊は基本だから。
「おおー、姉ちゃんスゲぇな」
早く帰りたいと焦るけれど、手本を見せるのが目的なのでゆっくりやらなければならない。
そんな意味の分からない状況に混乱しつつ根菜の皮剥きをしていると、シシって子から声がかかる。台所の入り口に立って、両手を頭の後ろに見物しているその子供は、物珍しそうにわたしの様子を見ていた。
言うほど手際がいいわけではないと思うのだけど、この子にとっては珍しいらしい。
「いいえ。わたしはそこまで上手な方じゃないですよ。何回かやれば誰でもできる程度です。シシさんもやってみますか?」
「ヤダ。そこは命の危険があるって今日分かったからな。あと面倒そうだ」
「シシ、敬語を忘れてるぞ」
「へいへい、料理とか面倒そうなのでやめておくでございますよ、お隣のアネッタさん」
ロアさんの注意に、シシさんが素直なのかどうなのか、妙な敬語で言い直した。……言い直しても拒否なのは変わらないか。正直、ロアさんよりもこの子に料理を仕込んだ方がまだマシな気がするけれど、残念なことに自分で作る気はないらしい。
まあでも、さっきのロアさんみたいに命の危険までではなくとも、子供だから刃物や火を扱わせるのは危ないか。背丈的に調理台も使い難そうだ。
仕方がない。ロアさんに頑張ってもらおう。
「……正しかったのでしょうか?」
ほとんど無意識に呟く。声は本当に口の中で消えるほどに小さくて、だから誰にも聞こえなかったと思う。
……それは、緑の手のスキル輝石を渡したことの成否についてだった。
シシ。そういう名の痩せたその子は、ロアさんが連れて来た緑の手スキルの継承者候補らしい。表情がふてぶてしいけど元気があって、なんとなく緑の手の元の持ち主であるあのお爺さんが好きそうだなと少し思った。
――さあどうだ。こんな枯れかけの老いぼれに要らない緑の手が発現して、スキルを奪って保存できる嬢ちゃんに出会った。これは運命じゃないか?
この子が、お爺さんの言っていた運命なのか。
わたしは切った野菜を鍋に入れ、火加減を調節してからシシさんへ視線を向けた。ほんの少しだけ、さりげなく横目で。
「どうした姉ちゃん?」
すぐに気づかれて、ドキリとして息を飲む。目ざとい子だ。
「いえ、なんでも……ありますね」
否定しかけて、やっぱり肯定する。きっとわたしがここに来たのは、ロアさんが料理下手過ぎて不安だったからだけではないのだろう。
たぶんわたしは、この子に興味を持っている。
あの緑の手のスキル輝石を受け継がせるためにロアさんがどこかから連れてきて、植物の世話をさせている子。はたして、いったいどんな子なのか――と。
最初に挨拶したときと、エレナさんの手伝いをしたときに顔は合わせた。が、まだまともな会話は一度もしていない。
どうしよう。子供は苦手だけれど、大人よりはまだ話せる。
少しだけ、話してみたい。
「シシさんは――」
そう声を出してから、間抜けなことになにを聞くのか考えていなかったことに気づく。
しまった。料理しながらだし、後ろでロアさんが真剣に調理手順のメモをとってるし、この子のことよく知らないしでなんにも思いつかない。
……でも、でも話し始めたのだから、なにか言わなければ。なにか。
「――かなり痩せてますよね」
「路地裏で残飯漁って生きてたからな」
おお神様。最悪の話題を振ってしまいました。
「で、ここに来て飯にありつけるかと思ったら、飯屋の残飯の方がマシなもんしか出てこねぇ。最初に喰った干し肉とパンが一番美味かった」
「……そうですか。では、今日はたくさん食べて下さいね。素材そのままよりは美味しく仕上げますので」
鍋の様子を見るフリをして目を逸らす。わたしには他にどうすればいいのか分からなかった。せめて腕を振るわなければと調理を続ける。
ロアさんはどこからこの子を連れて来たのかと不思議だったのだけれど、つまりはそういうことなのだろう。どういった経緯があったかは分からないけれど、路地裏で見かけて見過ごせなくて連れてきた。緑の手を渡すことにしたのは、この子に安定した仕事を与えてあげたいという思いからではないか。
以前から分かっていたけれど、やっぱりこの隣人さんはお人好しらしい。