剥奪と緑の手と運命と
「――でも、いいのですか? 緑の手ですよ?」
「おう、聖女伝説のってことだろう? もちろん知っているとも。この国で知らない者はいないさ!」
わたしに緑の手のスキル剥奪を依頼してきたのは、ちょっと太った、とても元気の良いお爺さんだった。
緑の手は非常に珍しいスキルだ。それに聖女様の伝説がある特別なスキルでもある。そんなすごいものを剥奪してもいいものか、剥奪スキルを得たばかりのわたしには分からなかった。
「まあ持ってりゃ自慢できるのは間違いないけどよ。庭師の仕事の邪魔になるってんならしゃあねぇさ。この歳で農家や花屋に転職しろってのも酷な話だしな、ワハハハ!」
この人なら転職しても平気でやっていけるんじゃないかな、って思ってしまうくらい豪快な笑い声が、とても印象に残っている。
「それに聖女様と同じスキルったって、こんな爺ちゃんが持っててもありがたみが薄れるだけってもんだ。――なあ、嬢ちゃんのスキルならこのスキルを奪って、他の奴にくれてやって役立てることもできるんだろ? そう聞いたぞ?」
「はい。……えっと、完全に同じスキルになるかどうかは分からないんですが」
「それも聞いた。いいねいいね、十分だ」
お爺さんはニィッと人懐っこい笑みを浮かべて、わたしを正面から見た。
「いいか嬢ちゃん? 覚えておくといい。人生を楽しむコツはな、どんなくだらない偶然にも意味を見いだすことだ。好きなパンを焼きたてで買えたら今日は良い日になるに違いない。水たまりを踏んじまって靴が汚れちまったら埋め合わせの幸運がやってくるに違いない。酒場でいつもの飲み仲間と出会ったら、今夜は朝まで飲めってことに違いないってな。ワハハハハハ!」
この人がうらやましいくらい人生を楽しんでいるのはよく分かった。この精神性はまねできないだろうけれど、ちょっと覚えておきたいなと思ったほど。
「さあどうだ。こんな枯れかけの老いぼれに要らない緑の手が発現して、スキルを奪って保存できる嬢ちゃんに出会った。これは運命じゃないか? 仕事の邪魔をするスキルに悩むより、嬢ちゃんにこのスキルを渡してどんな奴に渡るんだろうなとワクワクすんのが一番楽しいんじゃないか?」
「はあ……まあ、そういうことでしたら」
「おう! 取った後の緑の手は嬢ちゃんの好きにしてくれていいから、サクッとやってくれよ!」
それが、わたしが初めてお金をいただいて請け負った剥奪依頼。
一ヶ月後、お爺さんは持病で亡くなってしまったらしい。
いろいろと、やってしまった気がする。
思えば最初に緑の手について相談されたときから、わたしはやらかしてしまっていた。
緑の手について知っているかどうか聞かれただけなのに、なぜわたしはスキル輝石を出してしまったのか。その後すぐにロアさんには絶対に合わないスキルなのではないかと思い至って譲るのを一旦断ったけれど、本当にじゃあなんで見せたのか。こんな良いスキルをコレクションしてるんですよと自慢でもしているかのように映ったのではないか。
事情を説明してもらって、良いことに使うつもりなのだと分かって、渡せたときはホッと安堵すらしたものだ。
それにたまたま会ったエレナさんのお手伝いで花の荷下ろしをしたとき、余計な提案をしてしまったのもダメだったのではないか。
緑の手は自分にとって思い出のあるスキル輝石ではある。それをあのシシって子が受け継ぐことになるというのはちょっと面白くて、あのお爺さんならきっと喜びそうだなって思ったのも事実だ。けれどスキル剥奪を使って習得しやすくする手伝いをしましょうか……なんて、さすがに余計だった。ちゃんと断られてしまったし。
そして極めつけ。今日の相談内容だ。
シシって子が食事に不満を持っていると聞いて、すぐに納得してしまったのは失態だった。以前飲んだあの苦すぎるドロドロのお茶を連想したからだけど、あれではロアさんの作る食事は美味しくないですよねと言っているようなものだ。
それにレシピ通り作ると美味しくなると言って料理本を渡したのも、あなたの料理が不味いのはそれが理由ですよと言ってしまっていたのではないか。
というか、あのお茶を平気で飲む舌の人が料理本を見た程度で、子供が喜ぶような美味しい料理を作れるのだろうか。そもそも味覚が常人と違うのだから無理なのではないか。
「いえ……いえ。わたしは信じます。『ステラおばさんの簡単お料理レシピ』を信じます。あの本なら美味しい料理ができるはずです」
わたしは教会のシスターのように祈る。祈る対象は神様ではなく本なのだけど、頼れるならなんだっていい。
ああでも『ステラおばさんの簡単お料理レシピ』は家庭料理本の先駆けみたいな本で、著者のステラさんも試行錯誤しながら書いたって後の書籍の後書きで言ってて、たしかに難しい料理はないけれど表記のブラッシュアップはされていなかったから火加減とか調味料の量とか解釈にちょっと迷っちゃうところがけっこうあって……。
考えれば考えるほど不安になって、青ざめるほど頭がグルグルしはじめて吐きそうになる。というか吐いた。
ああもう、いろいろと無責任だ。せめて本を渡すとき、オススメのページと注意点みたいな話はするべきだったのではないか。そんな基本的なこともせず、なんで聞かれてもいない料理本の歴史みたいな余計な知識をひけらかしたのだろうか。バカなのかわたしは。
もしこれであのシシって子の舌がロアさんと同じになったら、それはわたしのせいなのではないか。
「うう……」
隣の様子が気になってしまって、もうどうしようもなくって、フラフラと玄関から外へ出る。
夕暮れ時だった。子供の頃はこの時間の、ピペルパン通りの家々から流れてくる夕餉の匂いが好きだったのを覚えている。
「だから! なんでそんな強火にするんだよ! 一瞬で焦げただろうがイカレてるのかお前は!」
「バカを言うな。この程度が強火なわけがあるものか。戦場の炎はこんなものではないぞ」
「ここは調理場だバカ野ろ――ひあっ! うおおアブねぇ! 鍋を空焚きしやがったな、蓋が爆発したじゃねぇか!」
「料理本には鍋を先に加熱してはいけないとは書いていなかったが?」
「常識だからなぁ! って、だあぁ溶けてる! フライ返しとトングがデロデロになってやがる!」
「やはり市販の品は耐用強度に難があるな。軍の備品と同じ物を揃えるべきか。――ところでシシ、敬語を守れ」
「言ってる場合か!」
ダメだ絶望の香りしか漂ってこない。
あとすぐお隣さんだから、ロアさんのよく通る声とシシって子の大きな声が普通に漏れてくる。
はぁー、と大きく息を吐いた。ついでに胃の中のものを吐きそうになったけどなんとか耐えた。
あれはわたしの責任だ。ロアさんの味覚について知っていたのに、本を貸すなんて中途半端な処置で終わらせてしまったわたしが悪い。見なかったことにして家の中に戻って頭から布団を被ってしまいたいけど、見過ごすことはできない。
泣きそうになりながら意を決して、お隣さんへと向かう。
ドアをノックする。