苦みの強い離乳食
なんなんだアイツは。
何ヶ月かぶりに風呂に入り、清潔な寝間着を身につけ、新品のベッドに横たわりながら、眠気に少しだけ抗う。
頭に浮かぶのは、自分を捕まえてここまで連れてきたあの兄ちゃんのことだ。
昼、なんにも手を加えられていない素材そのままの食事を出されたときは、まあこういう扱いだよなと感じた。塩が添えてあるのはなかなか待遇がいいじゃないか、とすら思った。
だからアイツも一緒に食べ始めたときはギョッとした。
仕事だ、と言われ、ただの草むしりだったときは拍子抜けした。まあ今日のところはそんなもんかと納得したが、あのクソダサい帽子を渡されたのは驚いたし、アイツも一緒にやり始めたのは目を疑った。
アイツの部下だろう薄っぺらそうな男がベッドと服を買ってきたと聞いたときは耳まで疑ったほどだ。
いったいどこのどいつが、宝石を盗んだ相手に新品のベッドを買い与えるというのか。
もしかして、本当にただのバカなのだろうか。
そう疑いながら夜、出された食事はまさしく犬の餌だった。ドロドロでグチャグチャでなんだかよく分からない色の、変な苦みとえぐみのある料理とはとても言えない代物だ。
スープだか煮物だか分からないそれを見て、恐る恐る口に運んで、たぶんこれは材料を適当に鍋に入れて相当長時間煮込んだだけのものなんだろうなと理解した。
ああやっぱりそうだよな、自分なんかのためには、アクとかとるのすら面倒なんだろうな。とむしろ安心したのだが、アイツが同じテーブルで同じ物を、さも美味そうに食べ始めたときは何も分からなくなった。思わずあんぐりと口を開けたまま固まってしまったほどだ。
もしかしてアイツは、本当にアレを美味いと思って出したのだろうか。だとしたら精神と舌の両方がヤバいのではないか。
本当にアイツはいったいなんなんだ――
「……考えても意味ないか」
新しい、柔らかいベッドはすぐに眠気を誘ってきた。意識が落ちていく感覚に身を任せながら、考えることを止めて結論付ける。
結局、自分がやることは決まっているのだ。隙を見て、できれば金目の物を漁って、アイツから逃げる。
それだけ分かっていれば、それでいい。
――ああ、でも。カビ臭くない寝床は、久しぶりだ。
「おはよう。よく眠れたか?」
翌日。どうやら寝過ぎたらしく、シシは朝の遅い時間にバツの悪そうな顔で起きてきた。
「朝になったんなら起こせよ……」
「特に急ぎの仕事はなかったからな」
寝る子は育つと言うからな。睡眠は大事だ。私も四徹した辺りから身体と思考が鈍くなる。
あの体重の軽さからしてシシの生活水準は低かっただろうし、体調を整えるためにもよく食べてよく寝ておくべきだろう。
つまり次は食事だな。
「朝食にするか。昨夜の残りがあるから、すぐに温めなおそう」
「うぇ……あれか」
「ん? どうした。トマトは入っていなかったはずだが?」
「いや、そういうことじゃなくてな……いや、いいや。食えればなんでも」
なんだろうか。どうしてそんな呆れた顔と声なのか。
ありもので作ったから材料はもう覚えていないが、もしかしたら他にも苦手な食材があったのか? それか、調味料が塩だけなのが気に入らなかった? 分からない。子供は難しいな。
仕方ない。今日の買い出しはいろいろと揃えるとしよう。
ため息を吐きながらキッチンへ行き、昨日のスープを温め直す。
一応自信作なのだが、本当になにが悪かったのだろうか。ちゃんと具材は食べやすいようすべて細かく切り刻んだし、栄養足りなさそうなシシのために健康によさそうなものもたくさん入れておいたし、しっかりと長時間強火を通し続けたから生煮えということもないはずだが。
「おはようございまーす。お花の配達にまいりましたー」
反省点を探しながら鍋を混ぜていると、玄関の方からそんな声がした。
この声には聞き覚えがある。昨日の花屋の……たしか、エレナという女性だっただろうか。
――人がこの家の近くに来たことは分かっていたが、この家が目的地だとは思っていなかった。そうか、そういえば買った花が配達されると言っていたな。
「……少し鈍ってきているな」
戦争が終結して、一年と少しが経過した。完全に退役こそできなかったが、一ヶ月ほど前に軍からも距離を置いている。
常に神経を尖らせていた以前よりも明らかに、私は鈍っている。今ので完全にそれを自覚した。敵意や害意が感じられなかったとはいえ人が来るのが分かっていれば、昔ならある程度は気を止めていただろうに。
ああ……そうか。おそらく昨日の件も、こういう緩みをシシに勘取られたのだな。つまりあれは完全に私の不覚だった。
なぜか笑みが漏れた。自分でもどういう意味なのか分からない笑み。
食事を中断し、シシをダイニングに残して玄関へ向かう。
昨日マルクが代わりに謝ってくれているはずだが、やはりまずは謝罪だな。それから配達の礼も伝えなければ。工兵はちゃんと石畳の道の修繕を完了させただろうか。そんなことを考えながら、玄関を開ける。
「おはようございます。昨日はどうもすみませんでし――」
「おはようございます、ロアさん」
そこにはやはり花屋で会った落ち着いた雰囲気の女性と、なぜか剥奪屋のアネッタ殿がいて、思わず固まる。
どうやら、私は本当に鈍っているらしい。