庭の草むしり
「さて、では仕事をしてもらう。今日は我が家の雑草を抜いていってくれ」
「なんでだよ!」
食事が終わって少しの休憩を挟み、昼過ぎの暖かい陽気が溜まるような庭へ出る。
空は快晴。絶好の草むしり日和だな。
「お隣のアネッタ殿が庭の手入れをしていただろう。私もその姿に感化されてな。やはり酷い状態になるまえから小まめに手入れするべきだなと思ったわけだ」
最終的には緑の手が目標だが、この家には観葉植物も野菜畑もない。そこそこの広さの庭はあるから、これから増やせばいいだろう。今日にでもマルクが買ってくるはずだ。
視線だけで隣を見てみると、すでに剥奪屋の少女はいないようだった。そこまで荒れていなかったから午前中で切り上げたのか、それとも休憩中なのか。
「つまり、とりあえず雑用ってことな……はぁ、分かったよ」
頭をガシガシ掻いてため息を吐くシシ。まあ新兵も最初は雑用だからな。最初から高級な観賞用の花を任せてもらえるとは思わないことだ。
「日差しがあるからな。これをやるから被っておけ」
気候は穏やかだから熱中症の心配はないだろうが、昼の一番暑い時間帯だからな。一応私が朝に使っていた帽子を被せてやる。
子供のシシには大きいからだろう。被せられた帽子に手を当てて不満そうにむくれていたが、つばを持って目深に被り直した。
「ではシシはこの辺りを頼む。私はあちらの方をやろう」
「……お前もやるのかよ」
「私の家の庭だからな」
当然の返答をして、腕まくりしながら庭の反対側へ行く。
アネッタ殿の警護も屋内でなにもせず続けるよりは、庭仕事でもしながらの方が効率が良い。そんな簡単なことに、今日やっと気づいたのは頭の悪い話だ。外にいるから動きやすいしな。
やれる時間はいくらでもあったはずなのに、この一ヶ月ほとんど手入れしなかったからか、よく見ればけっこう雑草が育っている。……危なかったな。もう少し放っておいたらアネッタ殿に白い目で見られていたかもしれない。これは本腰を入れてやらなければならないな。
地面に片膝をついて雑草をブチブチとむしっていく。量が多いから手早くやらないと終わりそうにない。
まあ、軍の教練と似たようなものだ。どれだけ途方がなくとも終わるまでやれば終わる。つまり始まったのなら終わったようなものなのだから、ひたすら手を動かせば良い。胃の内容物を吐きながら倒れる者が続出する訓練よりは楽だろう。
「いやいやいや。ちょっと待てよ!」
シシに背後から声を掛けられて、手を止める。
今度はいったいどうした。
「なんだ? 草むしりくらいやり方を説明しなくてもできるだろう?」
「できてねーのはお前だよボケ。やったことないのかよ草むしり!」
「軍用ナイフで藪を払いながら行軍した経験ならある」
「似てすらねーんだよ! 本当にないのかよ!」
大きめの帽子の上から頭を抱えるシシ。なんだ。なにが不満だ。
「いいか、雑草ってのは茎から上だけとってもすぐ生えてくるんだよ。だから根っこから抜かなきゃ意味ないんだ」
「そうなのか?」
「そうなんだよ。だから丁寧にやれ、丁寧に」
…………。
「君は植物に詳しいのか?」
「これくらい誰でも知ってんだよボンボンが」
ほんの少し期待を込めて聞いてみたが、返ってきたのはバカにした声だった。生まれた家が良いのはさすがに、否定はできんな……。
そういえばシシは戦災孤児だったか。裏こそとっていないが、南部戦線が始まる前は普通に暮らしていた民間人のはず。草むしりの経験くらいはあるのだろう。
私は自分の割り当て範囲へ戻って行く小さな背中を眺め、それから自分の手が握っている根が千切れた雑草を見つめる。……まさかスリの子供にすら一般常識を教わる側だったとは。地味にショックなのだが。
「どうもー。買い出し行ってきましたよ」
大荷物だからだろう。御者付きの辻馬車でマルクが戻って来たのは日がだいぶん傾いたころで、空はもう朱色に染まっていた。
「花屋はどうだった?」
「ふっ、もちろんアンタを下げて俺を上げて来ました。俺の顔を立てて許してくれましたよ」
「そうか。ああいう落ち着いた女性は、人の悪口を言う品のない男を嫌うと思うがな」
息を詰まらせて硬直するマルク。適当に言っただけだが、こいつは軽薄なところがあるからな。心当たりでもあったのかもしれない。
「なんだコイツは。兄ちゃんの子分か?」
草むしりの手を止めたシシがやってくる。
子分なんて言い方、賊しかしないぞ。まあシシはあのまま成長してれば賊になってるか。
「ふむ……まあそのようなものだ」
「説明面倒くさくなってんじゃねぇよ。――どうも近所の気の良いお兄さんのマルクだよ。この人間兵器より常識人だから、なにか困ったことがあったらいつでも頼ってね」
「お前、本当は頼られると面倒くさいなって思いながらそれ言ってるだろ。そういうところがモテないんだぞ」
「グハッ……!」
おお、すごいなシシ。人を見る目がある。心臓に言葉のナイフが突き立つ幻が見えたぞ。
そうか、たしかスリは観察眼の鋭い者が多いんだったか。行き交う通行人の中から隙のある者を見極める生活を続けていれば、自ずと人を見る目が養われていくのかもしれないな。
「ん……? なんだマルク、花は買ってこなかったのか? なにを買ってきたのだ?」
馬車の中を覗き込んで、目当てのものが一つも載っていないことに気づく。梱包された箱状の大きな荷物が一つと、あとはあまり花が入っていそうにない袋がいくつか。
たしかに今後必要なものを、としか指示しなかったが、緑の手の持ち主を育成するのだから花を買ってこいという意味だと分かるだろうに。
「花は今日の謝罪も兼ねてたくさん買ったんで、明日エレナさんが届けてくれることになったんですよ。というか、しばらくその子と一緒にやってくならまずは着替えとベッドでしょうよ。今日どこで寝かせるつもりだったんですか?」
「む……」
ということは、この大きいのはベッドか。そう言われれば布団らしき大きな包みもある。
なるほど……今後ここでしばらくシシの面倒を見るなら、必要なものはまず生活必需品か。たしかにそうだ。花は今じゃなくてもいい。
「着替えは適当に、サイズの合いそうなのを何着か買ってきました。古着屋のものですが清潔です。一応、調整が必要ならその店に持ってけばやってくれるそうですよ」
「そうか、ありがとうマルク。モテないくせにそつがないな」
「アハハハハハ、上官の死因の多くは後ろ玉だそうですよ、サー」