追跡
スキルは多くの場合は役に立つもので、人々の生活に密接に関係している。
けれど中には全然役に立たないどころか害すらあるハズレスキルと通称されるものもあって、そういうスキルを発現してしまったらなんとか訓練して制御できるようになるか、高い封印具でも買って封印するか、または――それができるのは世界中でもここだけだろうが――アネッタ殿の剥奪屋に行って取り除くしかない。
だがスキルの中には、ハズレスキルよりもさらに厄介なものがあった。
持っているだけなら害はない。しかし、使えば他者に迷惑をかけるもの。つまりは悪意によって発現したもの。犯罪のためにあるスキルである。
店員との話を打ち切って、入ったばかりの花屋を出る。当然だが目当ての相手の姿はすでにない。
思わず舌打ちする。
「やってくれたな……」
道中は鞄がずり落ちないようにずっと肩掛けの紐を握っていた。走ったり転んだりといった、激しい動きをした覚えはない。鞄の中にあったスキル輝石を落とすわけがない。
心当たりは一つ。道でぶつかったあの子供だ。
思えば変だ。この道は大通り、車や馬車がすれ違えるほど広い。お互いによそ見していたのだと思っていたが、それにしたって普通に歩いていてぶつかったりはしないのではないか。
あれは、向こうがわざわざぶつかってきたのだ。そう考えた方が納得できる。現にスキル輝石がなくなっているのだから、あのときに盗まれたのは間違いないだろう。
「フフ……」
思わず笑みが漏れてしまった。なんと不謹慎なことかと思うが、こみ上げてくるのは仕方がない。
奪われたのは剥奪屋であるアネッタ殿のキモとも言える、スキルを他人に委譲できる輝石。内包されているのは、王家に縁ある者に渡ったら最悪な内乱を起こしかねない緑の手。
バカみたいな間抜け。うかつ。大変な失態だ。緩んでいるにもほどがある。こんなもの、部下たちにバレたらなにを言われるか分からない。絶対に取り返さねばならない。
けれど笑ってしまうのだ。感情を抑えられない。それくらいに愉快だ。
今まで、それはあり得ないことだった。威圧を振りまいていたころの私にはあり得ない事態だ。
私を虚仮にできるのは部下たちくらいだった。だが、それは戦場で背中を預け合った信頼あってのことだと理解している。あいつらだって初対面のころは、真正面から喧嘩を売ってくるくらいには私を尊重していたものだ。
だから、ここまでただのカモにされたのは初めてだった。
「よくぞ私を舐めてくれたな」
問題ない。しょせんは子供の悪戯だ。こんなものはどうとでもできる。
右足を上げる。革靴の踵で思いっきり地面を踏みならした。石畳を粉砕した。クレーターのように地が沈む。道行く人がギョッとした顔で振り向く。スキルを振動に乗せる。
走る。
「アハハ! ダッサ。バカみたいにぼーっと歩いてたくせに、格好つけて手なんか貸そうとしちゃってさ!」
路地裏に隠れて湿った地面に座って、誰のか知らない家の壁に背を預けて一息ついてから、思わずお腹を抱えて笑ってしまう。あの間抜けでお人好しな顔を思い出しただけで三日は笑えそう。
背筋の伸びた、いかにも育ちがいい世間知らずな感じの兄ちゃんだった。いかにも大切そうに肩掛け鞄の紐を握りしめながら、けれど心ここにあらずという間抜けな顔して歩いていたのだ。どう見てもカモ。
あんなの盗んでくれって言っているようなものではないか。この世界には自分のような人間がいるのだ。貴重なものを持ち運ぶ時はしっかりと気をつけなければならない。それが分かっていないのなら盗られて当然。
もっとも、いいトコのお坊ちゃんならこの程度、大して気をつけるべき品というわけでもないのかもしれないが。
「宝石かな? なんか淡く光ってる? キレーだな、ヘヘ」
人差し指と親指で持って、空を透かし見る。透き通った緑の、すごく綺麗な丸い石。
あんな奴がまさか、ただの石を鞄に入れて大切そうに持ち運ぶワケがない。きっと宝石だろう。緑だしエメラルドってやつかな。
この大きさなら質屋に売ればいい値がつきそうだ。いや、これくらい立派な宝石なのだ。もしかしたらいい値じゃなくて、すごい値になるかもしれない。足元を見られて買いたたかれないようにしないといけないな。盗品買い取ってくれる質屋なんてカスしかいないからな。
「いくらになるんだろーな、これ」
あんまり綺麗だから、思わず見とれてしまう。宝石なんていくら綺麗でも腹の足しにならないのに、なんで金持ちはありがたがるんだろうなと不思議だったが、なるほどこうして見てると少し分かる。綺麗なものは見てるだけで幸せな気分になってくるのだ。
それになんだろう。不思議な、引き込まれるような力があるような気がする。
「――そうだな。相当な値がつきかねない品ではある。それの真の価値が分かればな」
見とれていたら突然声がして、驚きに跳び上がった。この声は知っていた。ついさっき聴いたものだ。まさか。
「な――」
「しかしだからこそ、それは君が持っていていい物ではない。大人しく返せば、今回ばかりは不問に処すが?」
いつの間にそこにいたのか。どうやって追って来たのか。
ダサい帽子を目深に被った、立ち姿だけで育ちがいいと分かる体格のいい兄ちゃんが、ほんの数歩の距離から自分を見下ろしていた。