疎外感
『やっぱり第一候補は花屋のエレナちゃんですね。普段から花のお世話してますから知識も経験も申し分なしですし、優しくて明るい性格だから緑の手のイメージにもピッタリです。スキル輝石を渡せばきっと馴染むでしょうし、彼女も緑の手を欲しがるんじゃないかな。ええ、ええ、きっとそうです。渡せば喜びますよ。殿下、ここはぜひ俺に勧誘させて――』
「私が行く」
エメラルド色の輝石を肩掛け鞄にしまって、帽子を目深に被って、ピペルパン通りを歩く。
今の流行らしい鞄は小さく、紐を握っていないとずり落ちそうで片手が塞がる。ハッキリ言って機能性が皆無だ。
軍用の背嚢ではだめなのか。一応だが軍人だとバレないように生活しているのだから、さすがに軍用はダメでも普通の背嚢はダメなのか。そうは思うが、たしかに周りを見回しても背負い袋を使っている通行人はいない。一般人は機能性より優先することがあるらしい。
やはり自分は普通とは少しズレているのだろう。平民の間で暮らすのは初めてだが、その感覚がまったく分からない。どう振る舞えば正解なのか分からない。
突き詰めればいい、というわけではないのだろう。ちょうどいい加減が必要だ。けれど物差しはなくて、天秤も意味が無くて、分かりやすい正解がない。私には理解が難しい。
空を見上げる。雲一つない青空が広がっていて、陽の光に目を細める。
この生活を始めてから、だいたい一ヶ月ほどだろうか。それなりに時が過ぎた。だがまだ慣れない。
ここはいい場所だ。活気があって、人々の明るい声と笑顔で溢れていて、皆が懸命に生きている。我々のようなよそ者も受け入れてくれる。
けれど疎外感があった。どうしようもない、他の誰のせいでもない、自分の奥底から湧き出る疎外感。
私のような者がここに居ていいのか。
「……やはり、マルクに任せるべきだったかもな」
ピペルパン通りの花屋は、普段は足を伸ばさない場所にあった。しょせんは通りの端までとはいえ、それなりに歩く。少しだけ後悔するくらいの時間はあった。
別にマルクに行かせても良かったのだが、あれは女が絡むとあまり信用ならない。それに、私はその花屋について知らないからスキルを渡す前に会っておきたいという理由もあった。だから判断が間違っているとは思わない。
だが私よりもマルクの方が、この場所に馴染んでいるのはたしかだろう。本当にスキルを渡すかどうかの判断は私がするとしても、勧誘役の適任はどっちだったのか、といえば向こうだったのではないか。
「おっと」
ドン、という衝撃を感じて我に返る。軽くてよろめきもしない程度だったが、意識の外で少し驚く。
「いったぁ……どこ見て歩いてんだよ兄ちゃん!」
考え事をしていて気を抜いていた。どうやら走って来た子供とぶつかってしまったらしい。地面に尻餅をついた少年? 少女? に怒られてしまった。
「すまない。立てるか?」
どこを見ていたのか、はお互い様だと思うが、相手を転ばせてしまったのは申し訳ない。謝って手を差し伸べる。
道で人にぶつかるだなんて、今まではほとんどないことだった。軍から少し距離を置いた生活をしているからか、そうとう緩んでいるらしい。
……いや、違うな。以前の私は威圧スキルがあった。意識などしなくとも人は避けてくれるもので、ぶつかってくる者などいなかった。その感覚がまだ残っているのかもしれない。
今の私は平民としてここにいる。そして相手は子供だ。避けなければならなかったのは自分に違いない。
「立てるよ。まったく、気をつけろよな」
幸いなことに怪我などはなかったようで、子供は私が差し出した手も借りず立ち上がると、走って行ってしまった。
「ふむ。子供は元気だな」
差し出した手の行き場をなくして、しかたなく帽子のツバの位置を直す。そして、目的の花屋がすぐそこであることに気づいた。
肩をすくめて店に入る。店内では緑色の髪を三つ編みにした女性が、植木鉢に水を与えていた。
「いらっしゃいませ。初めてのお客様ですか?」
「ああ。マルクという者の紹介で来た。あなたが花屋のエレナさんか?」
「あ、はい。そのとおりですが」
歳は二十歳ほどだろうか。なるほど落ち着いた様子の美人だな。マルクが目をつけるだけはある。
さて、どうしたものか。余計なことを考えて来たせいで、そういえばどう話を切り出すか考えていなかった。
ふむ――とりあえず何はなくとも、スキル輝石について知っているかどうかを確認するのが先か。
「私はロアと言う。マルクの友人でな。……まず聞きたいのだが、君はこれがなにか分かるだろうか?」
ピペルパン通りの者ならば隠す必要はないだろう、というマルクの言葉を真に受けてやって来てしまったが、いくら近所であってもアネッタ殿がピペルパン通りの全員と顔見知りということはないだろう。近隣の住人でも、剥奪屋をまだ知らない者がいておかしくない。だったら、現時点でスキル輝石を知らない者にはあまり頼みたくはない内容だ。
だからまずはスキル輝石を見せてみようと思ったのだが。
どうしてか肩掛けの小さな鞄の中に入れた手は、なにも掴むことはなかったのである。