天恵
「この書斎は自慢でねぇ。それはもういろんなジャンルの様々な書物を揃えてるんだ。蔵書量では王国図書館に負けるけど、マニアックさでは間違いなくこちらが上だと思うよ。もしセレスディア様が気に入ったものがあれば、いくらでもお貸しするから遠慮なく言ってください」
通されたのは書斎というか、図書室といった風情の広い部屋だった。
太陽光で本が傷むのを嫌っているのか、それとも単に本の量が多いだけか、窓はすべて本棚で潰されている。そのため、イーロ博士はわざわざランプを付けた。
「……本の匂いが落ち着く」
「我々にはなじみ深い空間だろうねぇ」
視界に本の背表紙が映っても、背表紙に書いてあることしか分からない。何ページで何文字でだいたいどんな内容でどれほどの信憑性があって誰の所有物なのか値段がいくらかなどの情報がまったく読めない。だから目を凝らすように題名を見る。
ええっと……『ステラおばさんの簡単お料理レシピ』『必見! 中央区の激安住宅カタログ』『服飾通信三月号。今春のコーデはこれで決まり!』
どういうラインナップだ。
「……この棚はずいぶんと古い本ばかりだな」
「それは毎年、衣食住の文化の変遷が分かりそうな本を数冊ずつ買って保管している棚だね。上段にいくにつれて新しくなるはずだよ」
なるほどこの本棚一つで、大衆文化の移り変わりを記録しているのか。史学……いや、どちらかというと民俗学? 論文を書くのに重宝するのかもしれない。希少な本ではなくありふれていそうな選書も納得だ。
天啓があれば意図が読み取れただろうに。
「てっきり、スキル関係の書物がズラリと並んでいるかと思っていたが」
「もちろん大半はスキルの書物だよ。ただ広く浅い知識もまたアイディアの元だからねぇ」
「……そうか」
そんな考え方はしたことがなかった。ある程度のことは天啓のおかげで大体分かるから、なのだろう。けれど天啓を持たぬ普通の人はそうはいかない。
スキルとはどこにでもあり、種類は星の数ほどあるものだ。料理や住居、服飾関係のスキルも当然ある。ならばこの棚の本を読めば、スキルについて理解できることも増えるに違いない。
天才イーロですら知識を積み重ねるのに貪欲だ。なのに妾はスキル関係の本しか興味がなかった。本などいくらでも手に入れられるのに、やはり妾はスキルにあぐらを掻いた怠慢な人間だった。
「ミクリさんも天恵スキル持ちだよね?」
「あ、ハイ。……あれ? 言ってないデスよね?」
イーロ博士は本棚の間を奥へ進みながら、確認のように問う。それに頷いてから、ミクリは首を傾げた。
彼女は限定的なテレパシー持ちだ。双子の兄との間でだけ、声を介さず意思疎通ができる。非常に希少で便利な能力で、戦場でも伝令や偵察で恐ろしく活躍したらしい。
彼女もまた、天に選ばれたスキルホルダーなのだ。
「貴重で希少な天恵スキル持ちなんだけど、それでも国中、さらに国外にまで足を伸ばせば、それなりにいるものさ。君たちには一つ共通点があるんだ。論文にできるほどのものではないけれどね」
「共通点、デスか。教えてもらっていいデス?」
「簡単だよ。君たちは根底部分で、普通の人たちを見下しているんだ」
イーロ博士が、部屋の奥にある椅子を引いた。
彼用の書斎だからだろう、机と椅子は一揃いしかない。その唯一の一脚を、妾へと向けて促す。
どうぞ、と。
「……いや、いい」
「そうかい? まあ、立っていたいときもあるよね」
三人で、本棚に囲まれて、引かれた椅子を囲むように立っていた。誰も座ろうとしなかったため、椅子には灯されたランプが置かれた。
「選民思想、というものさ。私たちは天に選ばれた人間であり、他の人たちより優れているのだ、という認識が多かれ少なかれある。実際、天恵スキルを持つ人間は優秀な人間が多いんだよね。それが態度にも出るわけだ」
「……あたし、そんな態度していたデスか?」
「いや? そもそもまだ会ったばかりで、ロクに会話もしてないからねぇ。なんとなくそんな雰囲気があるな、くらいしか感じないよ。ただ、どうもセレスディア様の方があなたを気に入っておられるように見えたからねぇ。天に選ばれた者同士、という仲間意識なのかなと思ったのさ。だからさっきのはカマかけだね」
イーロ博士が本棚に背中をつけて、体重を預ける。
「なあに、普通のことさ。自分は特別だ、なんてみんなが通過する思考だ。君たちはただ産まれ持ったスキルという、ちょっとした裏付けがあるだけだよ。誰だって天恵スキルを持てばそうなる。悪いことではないんだ」
「悪いことでしょう」
「悪くはないさ。人間は清いだけではないからね。清濁併せ呑んでやっと健全なんだ。ただ分かりやすいだけだよ」
濁の部分が分かりやすいのはダメだろう。
「スキルは鏡だ」
イーロ博士は本棚に背をもたれさせたまま、目を閉じた。明確に声のトーンが変わった。ああこれは講義なのだ、と分かる声音。
薄暗い、ランプの明かりだけの図書室に落ち着いた声が響く。
「努力や日常の繰り返しによって身についたスキルは人生の証であり、ある日突然得てしまったスキルでも人格が大きく影響している。――でも、あなた方は最初からスキルを所持していたがゆえに、スキルの影響を受けて人格構成している。強大な能力であるほどそれは大きいだろうね」
そうだ。妾の人格は天啓によって影響されたものでもあるのだろう。そんなの、まさしく付属物では――
「だが、鏡はしょせん、鏡だよ。君たちは鏡を日に何分見ると言うのだね?」
そう肩をすくめて聞いて、それからイーロ博士はちょっとバツが悪そうな顔をする。
「……ああいや、女性は男性より鏡を見る時間は多いかもしれないが」
なるほど。どうやら女性がどれだけ鏡を見るか、が分からなかったらしい。
「人格を形成するのは天恵スキルだけではない。生まれた環境だけでもない。どういう人と出会い、どういう育ち方をし、どういう努力をしてきたかが重要だ。それに鏡の中の君は勝手に動かない。主体はあくまで君で、君が思うとおりに動くんだ。肝心なのはそれを忘れて呑まれないことだよ。だから――」
初めてだった。初めてそこで、イーロ博士は、厳しい表情をする。
「あなたは自分の至らなさも、功績も、その責任をスキルに押しつけるべきではないよ。セレスディア様」