戻しちゃえばいいんじゃないデスか?
元々、セレスディア様は天啓スキルを条件発動型だと勘違いしていた。発動条件は分からないが、希に発動しては予知や真理、アイディアなどの叡智を授けてくれるスキルだと。
しかし天啓は常時発動型であり、セレスディア様は普段からその恩恵を受けてきた。それこそ、生まれてからずっとだ。
思えば、それが誤算であり、悲劇だったのだろう。
「――たしかに空間の裏側に入って移動するとか、普通の人間には無理デスからね。スキルコピーのスキルもどういう理屈なのかって話デスし。天啓が補助して初めて成立する、天啓ありきのスキルと言われれば納得デス」
ミクリさんが腕を組んで深く頷く。
セレスディア様にとって、天啓はあって当然のものだった。そして天啓があれば、難易度の高いスキルだって手に入れることができたのだろう。その結果、完全に天啓を前提にしたスキル構成ばかりになってしまったのではないか。
なら、天啓を失えばそれらすべてが使えなくなるのは当然。
「でもそれって全部、セレスディア様が天啓を戻せばいいだけデスよね? なら早く戻しちゃえばいいんじゃないデスか?」
身も蓋もないことをミクリさんが指摘する。
それはそうなのだけど、今もセレスディア様は天啓のスキル輝石を手に握りしめているのだけれど、なぜか戻していなかった。
「そんなことは……そんなことは分かっているのだ……!」
トン、と弱々しくセレスディア様がテーブルを叩いた。感情の爆発がささやかなのは今の状態だからか、それとも育ちの良さからか。
「違うのだ。そういうことではないのだ……」
セレスディア様は顔を上げなかった。嗚咽のように、懺悔のように、つまりながら言葉を続ける。
「……妾は、天啓によって様々な補助を得てきた。ああそうだ、天啓がなくなってからは、ただ普通に歩くだけでも恐ろしかったとも!」
歩くだけで?
わたしたちと一緒に町を歩いているとき、彼女は別に普通に思えたけれど……ああでも、不意に踊り出して足首を捻ったあれは、もしかして自分の動きを確かめるためもあったとか?
あるいは、恐怖に克とうと己を鼓舞するために、わざと無茶なことをしたとか?
「進む先に小石や段差があるかどうか、曲がり角の向こうから人が走ってきてぶつかりはしないか。普通の人が無意識に気をつけることを、あなたは天啓のおかげで分かるがゆえに今まで注意する習慣がなかった。ただ道を歩くだけで、すさまじく神経を使ったのではないかな?」
イーロおじさんがシュトーレンの端っこをほんのちょっとだけ囓る。その一口を大切そうに味わって食べる。
すごい、本当に専門家なんだ……。ただの甘い物好きの食いしん坊の人じゃなかったんだ……。
「それに王族なら、もっともっと危険な暗殺者の警戒も必要だからねぇ」
視界の端でミクリさんがコクコクと頷いている。そうだ、そもそもこの人は迂闊に出歩いてはダメな人なのだ。
それはわたしでも恐いけれど、天啓なら今までは暗殺者らしき人が近づいただけで勘づいてたりとかしたのではないか。でも今はそれがないわけで、というかさっきの道を歩く話がここでも適用されるなら普通の人よりも無防備になってるわけで……ううん、自分にない感覚を推測するのは難しいけれど、すごく恐怖なのではないか。
「……そうだ。だが、だが……これで普通なのだろう? これが普通なのだろう? だからいい。この震えは妾の怠慢の結果だ。それは受け入れるべきだ」
普通の人は暗殺者に狙われたりはしないけれど。
「だが、それでも受け入れられないことはある。――これでは、妾が天啓の付随物ではないか!」
ん? とイーロおじさんが意外そうにパチパチさせる。ちょっと意味が分からない、みたいな反応。ミクリさんも同じ表情をしていて、たぶんわたしも同じような顔になっていると思う。
「妾は、王族だ。王女としての振る舞いを求められ、妾なりにそうしてきたつもりだ」
俯き、テーブルを見つめながらのその独白はきっと、この女性が抱えてきたものの吐露だった。
「妾は、天啓だ。天啓というスキルの所持者として、妾なりに皆の期待に応えてきたつもりだ」
お父さんと旅行の荷物についての話を、わたしは思い出していた。
「妾は、その二つを失ったとしても問題ないと思っていた。むしろ疎ましいとすら感じていた。せめてどちらか一つでも無くなればもっと自由になれるのに、そうすれば妾は妾として生きられるのに、などと――なのに、天啓がなくなればスキルどころか、町を歩くこともままならないただの無能ではないか……!」
ああそうか。
彼女は生まれながらにして王族であり天啓であり、その二つであることを求められてきた。あまりに大きすぎる二つの属性を持って産まれたがために、彼女はそう在るしかなかった。
極論、そこにセレスディア・エルドブリンクスという個人は必要なかった。
だからわたしに剥奪を願った。
だから古着屋を見つけて目を輝かせた。
ほんのわずかな間だけでも、ただのセレスディアになりたくて。
けれど天啓を失い王族の衣装も脱いだ彼女は、残酷なほどに、なにもかも無かったのだ。




