恐怖
「さて、じゃあどうしようかな。まずは、人はなぜ知識を得てきたか、という話をしようか」
イーロおじさんの家の応接間に通されて、温かいコーヒーを振る舞われる。お茶菓子はすごく硬くてすごく甘いシュトーレン。
「アネッタ君、どうしてだと思う?」
「えっと、生活を楽にするため、でしょうか」
問われて、とりあえず思いついたことを口にする。人間は知識によって文明を発展させてきた。
「そうだね。人は知識を蓄え活かすことで、より生存しやすい生活環境を整えてきた。快適で頑丈な住処、食糧事情の改善、寒さ暑さへの対策などだね。もちろんそこには医療とかも入る」
お砂糖とミルクをたっぷりと入れてマドラーで混ぜながら、イーロおじさんはまるで学校の先生のように語る。
「そして、生きるための知識だから当然、危険に対する知恵もそうだね。大型の肉食獣から小さな毒虫まで危ないし、炎の御し方を知らなければ火事になる。荒ぶる天候の予兆は知っていて損はない。ああ……もちろん、人が襲ってくることもあるよね?」
イーロおじさんが同じテーブルを囲むミクリさんに同意を求める。
なんにも言ってないけれど、ミクリさんが軍人さんなのはすでに察しているらしい。まあ王族のセレスディア様がいるのだから、お付きの護衛だと考えるのが普通だろう。
「そうデスね、一番の脅威は人間デス」
「町中にいればそうそう死ぬことはないしねぇ」
アッハッハ、と朗らかに笑うイーロおじさん。それは本当に笑っていいところなのだろうか。
ミクリさんが南部戦線経験者なら、本当に笑えないのだけれど。
「まあ、つまり知識っていうのは人間の武器なんだよね」
知識は武器。そんなふうに考えたことはなかった。
けれど、人間は他の動物よりも頭がいいからここまで発展できたのだろう。そういう意味ではたしかに武器なのかもしれない。
「人は未知を明らかにすることで世界の過酷さに抗い、知恵を積み上げて豊かで快適な生活環境を築いた。そうやって、やっと安心した日常を手に入れたんだね」
イーロおじさんは大量の砂糖とミルクでだだ甘くなったコーヒーをおいしそうに飲む。幸せそうに目を細める。
「――だから、知らない、分からないということは、安心できないってことなんだ。それに対して、人間の最大の武器である知識を持っていないってことだからね」
わたしは隣に座るセレスディア様を見る。
円テーブルを囲んだゆったりとしたコーヒータイムの中で、彼女だけは自分の両肩を抱くようにして小刻みに震えていた。
コーヒーにもお茶菓子にもまったく手を付けず、病的な表情で爪を噛んでいる。最初からしたらまるで別人だけれど、そうかこれって……。
「セレスディア様がこうなったのは、自身のスキルが発動しないことが直接の原因ではないんですね。天啓のおかげで普段から明確に人より得られる情報が多かったのに、それを失ったせいで、分からない事柄が出てきたことに怯えている……と」
天啓は常時発動型だ、とセレスディア様は言っていた。Bランクのシャープセンスと同じくらいの負荷で、彼女は生まれた時から常に知識補助があった。
彼女は、なんだって見れば大体分かる状態が普通だった。
「天啓だって万能じゃないから、全部が全部完璧に分かってしまうわけではないハズなんだけどねぇ。まあ生まれたときからそういうスキルを持っていたものだから、彼女は特別に、未知に対してのストレスに弱いと思うよ」
未知か。わたしで例えるなら、まったく知らない人と話すより、親しく知ってる人と話す方がまだ安心できる……みたいな感じ?
わたしだってさすがに家族と話した後で吐いたことはない。それに幼なじみのリレリアンが相手なら、会話して別れた後で一人反省会はするけれど、吐くほどのストレスは感じない。
けれど知らない人とか、あんまり親しくない人と話すときは、どう思われているかとか失礼な振る舞いをしていないかが心配になるし、失敗したら後で吐くのである。つまりそういうことだ。
「特に今回はスキルだからねぇ。自分の身体と同じだよ。ミクリさんだって、お腹の変なところがすっごく痛くなったけれど心当たりがまったくない、なんてことになったら恐いんじゃないかな?」
「ああー、それは恐怖デスね」
イーロおじさんがすごく簡潔な例えを出して、ミクリさんが頷く。さすが大学教授をしているだけあって、誰でも分かるよう伝えるのが上手い。
「さて、セレスディア様の精神状態に関してはそんなところかな。では次、スキルコピーのスキルが発動しなかったことについて。これに関しては、アネッタ君ならもう分かっているんだろう?」
「あ……まあ、はい」
イーロおじさんとミクリさん、そしてセレスディア様の視線が集まる。あまり注目しないでほしい。緊張でしゃべれなくなりそうだ。
「スキルが、別のスキルを補助している場合があるんです。狙撃スキルを使うときには遠視スキルも発動している、なんて例えをされたこともあるんですが、その場合は遠視スキルを剥奪してしまったら狙撃スキルは使用感が変わるか使えなくなります」
そういえばだけれど、ミクリさんとセレスディア様にはこの説明を省略していた気がする。
これはもしかしたらわたしのせいではないのか。そうは思うけれど、二人ともけっこう強引な感じで剥奪してくれと言ってきたから、わたしだけのせいじゃないと思う。
「セレスディア様の所持しているスキルはその多くがおそらく知識、魔術系ではないでしょうか。それも、かなり使用条件が複雑なものが多いのでは?」
する必要のない確認をする。
全部ではないけれど、わたしは彼女のスキル構成の一部を知っていた。剥奪スキルを使用したときにいくつか、どんなスキルを持っているか確認している。どれも珍しくてどうやって習得したのか不思議で、それに使用条件が複雑なものばかりだった。
そして、彼女のスキルはまるで星の輪のように、天啓を中心に円を描いて並んでいた。
ああ、こんなの、どんな顔をして伝えればいいのだろうか。
「たぶんですが、セレスディア様のスキルはそのほとんどが、天啓の補助によって使用可能になっているのだと思います」