捻挫
「ふむ、なかなか良いではないか」
セレスディア様が嬉しそうに町娘の服を着て、同じ店で買った大きめのバッグを振り回しながらクルリと回って見せる。とても上機嫌だ。プレゼントしたかいがあるというものでしょう。
うん、良かった。だから後悔はない。
結果として、残念なことにセレスディア様を目立たなくすることはできなかった。素材が豪奢過ぎるのだ。
背中まで流したサラサラの金の髪だけでも目を引くのに、女性にしては高い背丈と完璧なプロポーション。整った顔に透き通るような白い肌。
さらにもっとも厄介なのが姿勢で、歩き姿だけで気品を感じさせるからなにを着せても無駄。帽子を被せて肌の露出を最大限に抑えて伊達眼鏡をかけさせたところで、ビックリするほど美人なのは隠せない。なぜならすごい美人はなにを着ても美人だからだ。
「とりあえず一見しただけじゃ王女には見えなくなったデスね。護衛はしやすくなったと思いましょう」
最初は困っていたミクリさんだけど、前向きに考えることにしたようだ。たしかに一目で姫様と分かるような格好ではない。三度見くらいすれば、あれ? って思うくらい。
セレスディア様の男装姿は有名で、わたしも雑誌や新聞で見たことがある。よく知らないけれど、女性、それも王女様が男性の格好をするのがかなり話題になっていたらしい。
だからあのスーツ姿は有名すぎるのだ。あのままだと遠目で見ただけでセレスディア様とバレかねないから、相対的にはよくなったと思うしかない。
「フフ、スカート姿は久しぶりだ。四年ほど前、戯れに仕立てたスーツが男女平等主義者たちや女性向けアパレルに利用されて、結果男装ばかり求められるようになってしまったのだよな。あれは天啓でも読めなかった」
「その裏話も内密にしておきますね」
「うむうむ。華美で重いばかりの装飾や窮屈な締め付けのないこの服はとても良い。まるで心も身体も羽根になったかのようだ」
クルクルと踊るように、楽しそうに回るセレスディア様。
きっとダンスの心得もあるのだろう。まったく体幹がぶれない見事なターンのたびにスカートがフワリと広がって、ただのワンピースがまるで踊り子の衣装に見えて――
グキリ、と足首を捻った。
「――はい?」
「セレスディア様っ!」
ミクリさんの声がして、慌てて駆け寄っていく彼女の背中を見て、やっと思考停止から我に返る。
まさか転ぶとは思わなかった。ダンス上手かったし、ヒールも履いてないし、セレスディア様だし。幻覚でも見たのかと思ってしまった。
けれど目の前で起きた事は現実で、セレスディア様は道の真ん中でうずくまっていて、ミクリさんがおっかなびっくり足の具合を確認している。
「………………」
セレスディア様は無言だ。知ってる。こういうとき、本当に痛いと無言になる。
「あ、あのー……大丈夫、ですか?」
王族の恥ずかしい失敗を目撃して、いったいどんな顔をすればいいのか分からなくって、緊張と心配とその他諸々の複雑な感情がない交ぜになったなんとも言えない心持ちで覗き込む。
「……実は、まだ天啓のない感覚に慣れていなくてな」
そういえば五感の補助もしてたんですよね、天啓。なんで踊ったんですか。
「いや、妾はこんな逆境にはめげない!」
元気よく立ち上がるセレスディア様。痛めた右足をかばっているけれど、どうやら骨が折れたりはしていないらしい。
けれどその状態で歩けるのか、は疑問がある。お医者様はここからだと少し遠いし、どこかで休んでもらうしかないだろう。
「天啓を失ったことにまだ慣れていないのであれば、あまり動き回るべきではありません。近くに喫茶店があるからそこで休みませんか?」
「いいやダメだ。それだと追っ手の兵が来て連れ戻されるからイーロ博士に会えなくなる。ミクリはどうせもう増援を呼んでおるだろうし、妾には時間がない」
ならどうして古着屋に寄ったんです……?
いえ、あの姿で出歩けば人垣で動けなくなるかもしれなかったし、急がば回れだったのかもしれないけれど。
「つまり妾はここから最短でイーロ博士の家へ向かわねばならない」
それはわたしたちへの説明というより、現状の整理のように聞こえた。
王女は顎に人差し指の背を当て少し考えて、大きく頷く。
「よし。アネッタ、肩を貸せ」
「ピペルパン通りは旧市街と呼ばれる通り、歴史在る建造物が多いのが特徴だな」
声が近い。身体が密着している。想像していたより全然軽い女性の体重が肩にかかる。一歩進むたびにサラサラの金髪が頬を撫でる。
いったいどういうことだ。なんでわたしがセレスディア様に肩を貸して歩いているのだ。
「いろいろな建物があるだろう? かつてはここの北に王城が建っていて、当時のピペルパン通りは中央区だったのだが、そのころは盛んに戦争が行われていたから砦のように無骨な外観の住居が流行っていたのだな。しかししばらく安定した時代になってからは華やかな建物が民の心を奪うようになって、現王宮が完成し政治の要所も移転してからは庶民的かつ実用的な民家が求められるようになった。ここは三つの時代が混在する町並みなのだよ」
さすが研究者。歴史建築なんて専門外だろうに、わたしよりもピペルパン通りに詳しい。けれどそんなの聞いていられる精神状態ではない。
「すみませんアネッタさん。あたしは手を貸せないんデス」
すぐ後ろを歩くミクリさんが申し訳なさそうに謝る。
分かる。護衛さんはできれば手を空けておきたいんだよね。もし危険があってもとっさに動けるように。小説で読んだことあるから知ってる。
けどこれは本当にまずい。こんな中性的な美人さんがわたしに寄りかかり、すぐ耳元でよく通る美声を奏でている。しゃべるたびに、歩くたびにゾワゾワソワソワして落ち着かない。普通なら恋に落ちるところでそれはそれでまずいが、わたしは肩の貸し方とか歩くペースとか湧き出る変な汗とかが気になって胃痛が尋常ではない。
いったい、わたしがなにをしたというのか。明らかになにもやっていないのだけれど。だって普段は家からほとんど出ないんだから、こんな状況になる理由なんて一個もない。
スキル剥奪屋としては拙いなりにちゃんと仕事してきたし、そりゃあ価格設定とか雰囲気作りの小道具とかはちょっと詐欺っぽいなと思うけれど、みんな喜んでくれているから問題はなかったはず。
本当に、なんでこんなに――
「おやアネッタじゃないか。それにミクリさんと、そっちの人は新顔さんだね。どうしたんだ、足を怪我したのかい?」
道の先で幼なじみのリレリアンが眩しい笑顔で笑っていて、わたしは危うく膝から崩れ落ちそうになる。