古着屋への寄り道
「イーロ博士の素晴らしいところはやはり分析力だな。希少なスキルを持つ人物の居るところへ片っ端から訪れて、それらのスキルを記録し細分化し共通点を探すのが彼の基礎研究なのだが、そこからさらに一歩踏み込む考察が素晴らしい。最近だと複合進化スキルについての論文が非常に良かった。複合進化は二つ以上のスキルが新しい一つのスキルになるものだが、その現象が起きる条件の一つに、使用者がそれらのスキルは同一のものであると表層意識ではなく無意識下で認識しないといけないのではないか、という仮説を立てた。ドアノブを回す手の動きと、ドアを押す、もしくは引く動きは別のものだが、人はそれを当たり前のようにドアを開く行為であると考えるだろう? つまりスキルの使用に対する意識をそのレベルまで落としたうえで――」
ピペルパン通りに、よく通る女性にしては低めの声が響く。絶え間なく。
まだこの辺りは空き家が多く閑散としている道だからいいけれど、もう少し行くとチラホラお店が開いていて人通りが多くなる。そうなったらこの男装の麗人は目立つだろうな、と思うと胃がひっくり返りそうだった。もし知り合いと会ったら、この人と一緒にいることをどう説明すればいいのか。
そんなわたしの苦悩も知らず、セレスディア様は上機嫌にイーロおじさんの論文がいかに素晴らしいかについて語っていた。
「元々スキルの習得、使用、習熟には精神の働きが重要なのは、子供でも経験則で分かっているような周知の事実である。そしてそれをデータ化した有名な実験として八時間就寝した後、何時間後がスキルをもっとも上手く使用できるか、を調べたものがあるな。結果としては起床から三時間から九時間まではだいたい横ばいで、それ以降は出力が徐々に落ちていき、四十八時間で一気に二割まで落ちて、八十時間を超えた辺りで完全に発動しなくなったというものだ」
起床してから八十時間の計測は本当に健康に関わるからやめてあげて。
「しかしイーロ博士はその実験を例に出して、むしろ起床後八十時間を超えたコンディションでスキル使用すれば自己認識をごまかすことができて進化しやすいのではないか、と仮説を立てた。ウィットに富んだジョークのように書いていたが、考えていけばなかなかあり得る話だ。公務のせいでまだ妾は実験に挑戦できていないのだが、まとまった休日さえとれればぜひとも一度……」
本当にやめて。
セレスディア様はスキル学の研究者だが、どうもその研究の主なテーマが文献の調査らしい。
つまり歴史を紐解き、どういう時代のどんな身分の人がどんなスキルを所持していたかなどを調べ、スキルがこの世界史にどんな影響を与えるかを割り出すもの。
過去を知ることは未来を予測することに繋がるため、天啓の糧になることを期待して始めた研究なのだそうだ。
それに対しイーロおじさんの研究はスキルそのものの可能性に迫るもので、同じスキル学であっても専門分野違いなこともあって、セレスディア様にとっては非常に目新しく見えると。
「おお、あそこはなんだアネッタ?」
問われて、セレスディア様が指さした方を見る。
「あれは古着屋ですね」
少し褪せた服や靴が並んでいる古い店構えは、服飾職人の老夫婦がやっているお店だ。元々は破損した衣類や革製品の修理をする店なのだけど、それだけだとスペースが余るから古着も取り扱っているとかなんとか。
まあ王族の服なんて寝間着までオーダーメイドだろうし、王女様には縁のないお店だ……あ。
「……知っていますか、古着?」
「もちろんだとも。中古の衣服を売買するところだろう? あれが古着屋か。ふむ」
不安になって確認すると、深く頷かれる。知識としては知っているけれど、入ったことはないらしい。
「よし、行ってみよう」
「え」
「うぇぇ本気デスか?」
その判断には、わたしだけではなくミクリさんまで驚く。
大きな店ではないし、見た目が綺麗ということもない。むしろ旧市街の端っこの古着屋らしくちょっと雑多なイメージ。
そんなところに王女様が行く? なにをしに?
「おお、見ろミクリ、アネッタ! 市井の者の服がこんなにあるぞ。これならば脱走のとき民に紛れることができる!」
「ミクリさん、セレスディア様はよく王宮から抜け出されるのですか?」
「……今まではほぼ未遂で終わっているはずデスね。解錠や気配消しのスキルがあっても、それだけで抜け出せるほど警備は甘くないデスから。あの次元が裂けるスキルを手に入れて、今回初めて成功したのかと」
あれ最近習得したのか。
最初にミクリさんが土下座して内密にって懇願してきた時点でなんとなく分かってたけれど、今日のセレスディア様はお忍びらしい。きっとあのスキルで抜け出して、その足でミクリさんのところに来て、わたしの店に来たのだ。
だから彼女は傍目から見てもウキウキしてるし、ミクリさんにとっても今日のセレスディア様の行動は予定外で困っているのだろう。
「たしかにセレスディア様の一目で高級だと分かる黒スーツ姿は人目を引きます。中央区ならともかく、この辺りだと女性が男装しているだけでも珍しいですからね。試着スペースもありますし、古着を身につけるのに抵抗がなければここで着替えてしまってもいいのではないですか?」
「ちょ、アネッタさん! なんでそんな――」
ミクリさんはやめてほしそうだけれど、わたしにとっては渡りに船だ。
ここの老夫婦は最近目も耳も悪いからセレスディア様が王族だとは分からないかもしれないし、ここで少しでも目立たない格好をしてもらえばこれから知り合いに会っても誤魔化せるかもしれない。
……一緒に歩くだけでキリキリと胃が痛むのだ。ここはもう絶対に王族っぽくない、それこそピペルパンの町娘らしく芋――いえ、普通の服装になってもらうしかないでしょう。
「いいな! ではそうしよう。妾に似合う服を探そうじゃないか!」
「ええ、もちろんお手伝いさせていただきますね、セレスディア様」