護衛対象と大物要人
イーロおじさんはついこの間、毒キノコの食べ過ぎで毒無効スキルが進化して、私の家の玄関を溶かした人だ。
あれで中央大学の教授にして博士号を持つピペルパン通りで一番の著名人なのだけど、でもそのわりにはみんな、なんの研究をしているとかどんな授業をしてるとかを知らなかったりする。――というのも、本人が地元でそういう話を全然しないのだ。なんなら、あの人って本当に博士さんなの? って疑ってる人も多いくらい。
だから全然偉い人って実感はなくって、挨拶すると手を大きくブンブン振って挨拶を返してくれるおじさんっていうのがみんなの認識で、博士とか教授なんて呼び方は誰もしなかった。本人もそれでいいと思ってるのか、いつもイーロおじさんと呼ばれてニコニコしている。
かくいうわたしも、博士としてのイーロおじさんについてはあまり知らない。
だから近代スキル学の天才とか言われても、あの人の専門ってスキル学なんだ……って驚いたくらい。だったらハズレスキルばかり習得するのやめてほしい。
というかあの人、王女様に天才って思われてるんだ。たぶん勘違いだけど。
「イーロ博士は知っています。生家の方のご近所さんですし、このお店もご利用されたことはありますので」
「おお、そうなのか! それでは……」
「ですが、お客様の個人情報を漏らすわけにはいきません」
ガックリとうなだれるセレスディア王女。でもそれはそうですよ。信用問題ですもん。
「いや……分かる。分かるぞ、あなたの信念は素晴らしい。ぜひ妾がここに来たことも内密で頼みたいものだ」
「もちろん、今日のことは責任をもって秘密を守らせていただきます」
本当に、絶対に誰にも話すまい。離れて暮らす家族にすら言う気はない。
もし話したら根掘り葉掘り聞かれて数時間コース確定だし。
「だが妾としても引き下がれない。せっかくここまで来たのだし、次にこのような好機が訪れることはないだろうからな。どうだろう、妾に悪意はないし、身元もこれ以上ないほど保証されているだろう? それに妾と会うことはイーロ博士にとっても悪いことではないはずだ。融通を利かせてはくれないか?」
どうせなら命令してほしいのだけど。
王族から教えろと命じられた、ということなら従うしかない。それなら言い訳にもなると思う。真摯にお願いするのはこちらを尊重してくれているのだろうけれど、むしろ困る。
「すみませんが、やはり教えることはできません」
少し迷ったけれど、わたしは首を横に振った。
イーロおじさんもセレスディア様からの覚えがめでたいとなれば喜ぶでしょうし、住所くらい教えてしまっても良いかもしれない。……けれどそういう緩みが一番、後から来るのだ。お店としてやってはいけないことをした、といつまでも後に引くことになる。
だから、わたしにできるのはアドバイスをすることくらい。
「……ですが有名な方ですので、ピペルパン通りの人に聞けば誰でも答えてくれるでしょう」
「なるほどそうか!」
絶望の表情から一転、パッと表情を明るくするセレスディア様。
これでよし。これならわたしが直接教えるわけではないし、これ以上食い下がられることもない。
わたしはもうキリキリとした胃の痛みをこれ以上悪化させたくないのだ。でないと、そろそろ三日ぐらい流動物しか受け付けなくなるフェイズに入ってしまう。
うん、これで正解だ。
「お……お待ち下さい!」
切羽詰まった制止の声がした。玄関の方で待機していたミクリさんだ。
どうしたのだろう。かなり意を決した様子だけれど。
「そ、その……、アタシのチームの人員は現在、別口の任務……いやええっと、別口ではない任務で不在でして、ここにはアタシしかいないんデスよ。そしてアタシ自身も任務中なので、セレスディア様の護衛が難しくてデスね……。せめて応援を呼びますんで、それまでここで待っていただけないかなと」
おや、と疑問に思う。てっきりミクリさんは護衛としてここに来たのだと思ったけれど、どうやら違うらしい。
言い方からして、別のお仕事中にいきなりセレスディア様が訪ねて来て、お仕事を中断させられて無理矢理に付き合わされてる感じかな。でもセレスディア様を一人で出歩かせるわけにはいかないから、すごく困ってる感じ?
ミクリさんにとってもこの状況はイレギュラーなのかもしれない。
というか今、応援の人が来るまでここで待つって言った? お願いそれだけはやめて。
「ふむ、なるほどな」
ミクリさんの進言に王女は深く頷いて、しかし首を横に振る。
「つまり、この辺りはまだ不案内だから護衛は難しいということだろう? 分かるとも、知らない場所というのは、つまり危険がどこに潜むか分からないということだからな」
「いやそんなこと言ってないデスよね?」
「だが安心しろ。妾にはミクリの懸念を解決する名案があるのだ」
セレスディア・エルドブリンクスはフフンと楽しそうな笑みを浮かべて、ソファから立ち上がる。
改めて見ても美しい人だと思う。背中まで流れる金糸の髪はきらめくようで、中性的な顔立ちは凜々しさと麗しさが同居していた。身体は黒いスーツに包まれていてもスラリとした理想的なスタイルだと分かるし、耳朶を震わす声は心を蕩かすような低音だ。
そんな見とれてしまうような男装の麗人が、こちらへと視線を向けて手を差し伸べる。
「剥奪屋。いや、アネッタ。共に行くぞ。妾たちにピペルパン通りを案内せよ」
どうして……?