脱走
結局、なんにも剥奪せずに意識を戻す。パチパチとまばたきして、自分の肉体があることと、ここが自分の家であることを確認する。
剥奪スキルの発動中は、自分の身体のことが分からない。姉に頬をつねられていても気づかなかったほどだ。
だからこのスキルは、よっぽどのことがなければ安心できる場所でしか使いたくない。外で使って馬車にでも轢かれたら大変だし。
「大丈夫か、アネッタ殿?」
ロアさんの声。ずいぶんと焦った、心配そうな声音だ。
振り向けば、かなり不安そうな表情のロアさんがわたしの顔を覗き込んでいた。マルクさんも玄関の方からこっちに視線を向けている。
「かなり時間がかかっていたぞ。無理をさせたか?」
「いえ、無理はしていないのですが……」
そうか、いつもより時間がかかってしまったから驚かれたらしい。
今回は服の上からだったからスキル発動までいつもより集中しなければならなかったし、解錠のスキルを見つけられなくって全部の光球を二回ほど調べ直した。それは時間がかかったに決まっている。たぶん普段の十倍以上の時間をかけてしまったのではないか。
まあ、疲れはある。時間がかかった分いつもより疲労はしていた。でもそれだけの話で、スキルの使いすぎが起因の体調不良や痛みもない。特に無理はしていないのだから、ここまで真剣に心配されるとちょっと居心地が悪い。
「その……この人はアンロックのスキルを持っていないのだと思います」
ん? とロアさんが首を傾げる。なんだか少し幼く見える仕草だ。
「依頼通りに解錠を剥奪しようとしたのですが、どうしても見付かりませんでした。念入りに探していましたので、今回は時間がかかってしまったのです」
「君が無事なら、まずは良かった。……だがそんなはずはない。今までに何度も鍵を開けて脱走しているから、解錠のスキルは持っているはずだ」
「いえ、状況証拠と本人の証言でそう判断しているだけですから、もしかしたら別物のスキルでまかなっている可能性もあります。たとえば繊細な操作が可能な念動力のスキルなら、鍵を使わず鍵穴を回すことも可能でしょう」
マルクさんの指摘はもっともだ。錠前を外すだけなら、使うスキルは必ずしもアンロックである必要はない。最終的に解錠できればなんのスキルを使ってもいいのだ。
ただ、それくらいはわたしも考慮している。ロアさんだってそれくらいの考察はやっているだろう。
だからわたしは頭を横に振った。
「いいえ、類しそうなスキルもなかったです」
断言する。それを確認するために二度目も全部見直したのだ。間違いない。
「……というか、この人は本当に犯罪者なのですか?」
わたしの口から出た疑問に、ピクリとロアさんの眉が動く。
「なぜそう思う?」
「なんとなくそういう雰囲気がしました。剥奪スキルを使うと、少しだけその人のことが分かるのです」
この箱の中にいる人の精神世界はあまり嫌な感じがなかった。なんだか普通の人と変わりなくって、少なくとも犯罪者っぽくはなかった。
……まあ、本当は所持しているスキルも見てそう思ったのだけれど、それは言わない。剥奪対象以外のスキルも読み取れることは唯一、今は離れて暮らしている姉にしか言っていなかった。
なぜなら覗き見しているみたいで気まずいからだ。
持っているスキルを秘密にしてる人はけっこう多い。
それは取っておきの切り札から、ちょっとしたズルみたいなスキルまで様々だ。特にアンロックのような犯罪に使えるスキルは、隠しておきたいと思っても不思議はないだろう。なんなら世の中にはもっと直球に犯罪的な、透視とか催眠とかのスキルもあると聞く。
わたしのスキルはそういう秘匿しているスキルも暴いてしまう。嫌がる人はいるに違いない。
「犯罪者といえば暴力的だったり倫理観がズレていたりするでしょうから、恐い感じかと思ったのですが……この男性は真面目で穏やかな印象でした」
プライバシーは大事だ。少なくともわたしは絶対に侵されたくない。
だからいつもは剥奪対象のスキルの詳細をしっかり聞いて、どれだけの大きさの光球になるスキルなのか予想して、精神世界に入るようにしている。そして対象のスキルを見つけ次第、他の光球には触れないように剥奪するのが常だった。
けれど今回はアンロックのスキルが見付からなかったから、しかたなく全部のスキルを調べさせてもらった。
おそらく元軍人さん。
射撃や体術、サバイバル術などのスキルがあったから、少なくともなんらかの訓練を受けた人なのだと思う。だけど血なまぐさい感じはなかったから、前線には行ってない人なのかもしれない。
まあこれは本当におそらくの話なので、確信まではないけれど。でもアンロックで空き巣とかをするような犯罪者のスキル構成には思えなかった。
「男性?」
「え?」
聞き返されたのは短い単語で、けれどそれが意外で小首を傾げてしまう。
「今、男性と言ったか?」
「えっと……はい。言いましたけど」
たしかにさっき、そう言った。でもそれって驚くことだろうか。そんなの、剥奪スキルを使わないうちから分かっていたことだけど……。
ああ、でもそうか。違うかも。
「服の上から触れても割れた腹筋が分かるくらいしっかり鍛えられていたので、男性だと思い込んでいました。そういう女性もいますよね」
「手伝えマルク!」
「うっわ、了解」
わたしの声に被せるようにロアさんがマルクさんを呼んで、二人で箱をグルグル巻きに縛るベルトを解いていく。
え、どうしたの? またわたし、なにかしちゃった? 後で吐かなきゃダメなの? と呆然として見ている内にベルトがすべて解かれ、ベリッと蓋が開かれる。
中で気絶していたのは、軍服を着た中年の男性だった。
「……やられた。クソ、どこで入れ替わった?」
「コイツ見たことありますよ。たしか見張りの兵だったはずです。不意を打たれて気絶させられたようですね。さすがだな」
「マルク、本部に報告しろ。対象が脱走、至急足取りを追われたし」
ええっと。
「つまり、別人だったんですね」
とりあえず、わたしのせいではなかったようで……それはまあ、大慌てな二人には申し訳ないけど、安心してしまったのだった。