ロアからの相談
コンコン、とノックの音がした。
うっと顔をしかめて、聞こえなかったふりをしようかな、なんて少しだけ考えて、首を横に振って本に栞を挟む。……わたしが家にいるのにノックを無視したのがバレたら、きっと何だコイツって思われるし。
椅子から立ち上がって、一回深呼吸して、はーい、となるべく明るい声で返事する。
面倒だとか、億劫だとか、そんな理由ではない。人付き合いが壊滅的に苦手なだけ。
毎回上手くできているかどうか心配になって、後であんなこと言わない方がよかったのではないか、あれは気を悪くさせてしまったのではないか、と一人反省会が始まって、最終的に胃の中のものを吐くことになる。
それでも一人では生きていけないから、人と関わって生きるしかない。
「お待たせしました。――ああ、ロアさん。おはようございます」
「おはよう、アネッタ殿。少し相談があるのだが、お邪魔してもよろしいか?」
玄関の扉の向こうには最近引っ越して来たお隣さんがいた。
このお店のお客さんで、軍人さん。今は潜伏任務の最中ということだけれど、いろいろあってわたしにだけそれを明かしてくれた。
彼と彼の部下のマルクさんには、つい最近すごくお世話になったばかりだ。
「分かりました。では、どうぞ」
ニコリと笑って家の中に招き入れる。
「実は、君に剥奪してもらいたいスキルを持つ者がいるのだ」
スキル。便利だったり強力だったりするそれは、ほとんどはとても有用で重宝されるものだけれど、たまに所有者にとって迷惑な効果を発揮することがあった。いわゆるハズレスキル、というものである。
そんなハズレスキルを、スキルを剥奪するスキルで取り除く。それがわたしの仕事。
スキル剥奪屋さん。
「それはロアさんではないのですね?」
「ああ、私はもう大丈夫だ。スキル枠の隙間も埋まっている」
「それはよかったです」
わたしがスキルを剥奪した相手は、しばらく他の新しいスキルを習得したり既存のスキルが進化したりしやすくなる。この期間で失敗すると変なスキルがつきかねないから心配していたのだけれど、ロアさんはどうやら有用なスキルを得たらしい。
どんなスキルなのか……聞くべきか迷った。気にはなるけれど、相手は軍人さんだし、気軽に聞いていいものかどうか。でも話の流れとしては聞かなければ不自然かもしれないし……。
「スキル剥奪屋として参考になるかもしれないので、差し障りなければでいいのですが、ロアさんがどんなスキルを身につけたのかお聞きしてもよろしいですか?」
結局、仕事の延長という形で聞いてみることにした。これなら自然に聞けるし、ダメだったら相手も断りやすいと思う。
「そうか、勤勉なのだな。私に発現したスキルはまだ使用回数が足りないから理解しきれていないが、結界、障壁、防壁、のようなもので、まあ単純な防御系スキルだよ。自身の肉体強化ではなく周囲の空間に干渉するものらしく、もしかしたら魔術系になるかもしれないのは意外だがな」
それって……。
「……もしかして、この間の一件で?」
「そうだな」
聞いたら頷かれてしまって、背筋に冷たい汗が流れる。
この間の一件……トルティナという少女を助けるために、ロアさんがすごく危険な場所へわたしを連れて行ってくれたときだ。
あのとき、わたしは怪我の一つも負っていなかった。怨念の銃弾や手榴弾が飛び交うただ中を駆け抜け、スキル剥奪のための数秒を守り抜いてもらった。
すごく無茶をやってもらったのだろうとは思っていたけれど、そんなスキルまで取らせてしまったなんて……!
「だからアネッタ殿には感謝しているのだ」
「え……?」
「戦争は終わったというのに戦いのためのスキルを取るのは気が向かなかったが……これは戦いに関するものとはいえ、人を守るスキルだからな。誇らしいものだ」
どうやらロアさんはそのスキルを気に入っているようで、少しホッとする。実際に有用なものではあるだろうし、ハズレスキルではないからいいのだろうか。
「そ、それは……いえ、こちらこそ感謝しなければなりません。守っていただいてありがとうございます」
とりあえずお礼を言っておく。今、わたしが五体満足なのはロアさんがそのスキルを発現してくれたおかげだ。
「そもそもあれは私に非がある事件だったから、当然のことをしたまでだ。……話が逸れてしまったな。それで、君のスキルを使ってもらいたい者についての話に戻るのだが、実は少々問題がある人物でな」
「問題、ですか。それがわたしの仕事ですので、ここに連れてきていただければどなたでもスキルの剥奪は行わせていただきますが」
そう言ったのだけれど、ロアさんは少し難しそうな顔をしていた。
いったいどんな問題がある人なのだろうか。不安だ。ちょっと恐い。
「確認するが、君はトルティナ殿のスキルを相手の了承無しに剥奪していたな?」
「は? はい。そうですね。ただ相手の心身に負担をかけてしまうので、あまり推奨はできません」
「いや、そこは気にしないでいい」
気にしますが?
「質問だが、君は対象のスキルがどんなものか詳細が分かっていて、そして相手に触れることができれば、相手の顔を知らなかったり会話をまったくしていなくても剥奪できるか?」
……本当に、どういう問題がある人なのだろうか。
「顔は、最初に来たときのロアさんが顔を隠していたので、すでにやっていますから大丈夫でしょう」
「ああ、そういえばそうだったな」
「ただ会話の件は、ここに来るお客さんで喋らなかった人はいないので、なんとも言えませんね。条件の一つになっている可能性を否定できません」
もし失敗して失望されたら嫌だから保険はかけておこう、というだけで、たぶんできるけれど。
わたしの返答にロアさんは腕を組んで少し考えて、それから躊躇いがちに頷いた。
「それでは一度試してみてほしい。おそらく三日後か……もしかしたらもう少し後になるかもしれないが、連れてくるとしよう」