因果律操作スキルの先
「発動中のスキルに介入して強制的に解除するとはな。こういう使い方もできるか」
「さすがですね。遅効性や段階を踏む系のスキルを条件無視で解除できます。まあ接触距離で数秒無防備になるのはナイフで刺されればそれまででしょうから、軍人にはなれないでしょうが」
意識が肉体に戻る。なんだか分析されてるような声がしたけれど、どうやら二人とも無事なようだ。
手にスキルの輝石があった。サーチと同じ黒水晶のような、けれど小さなもの。少し濁っているのはあの怨念に影響されたからか。
顔を上げれば、さっきまでのドクロが折り重なったような軍隊は影も形もなくなっていた。
……正直、後味はあまりよくない。
トルティナを助けられたし、ロアさんとマルクさんが無事で成功のはずなのに、あの怨嗟の弱々しい抵抗が今も腕に残っている気がした。
でもまだなにかできたのではないかと思ってしまう。
「大丈夫かね、アネッタ殿」
ロアさんが手を差し伸べてくれる。
「大丈夫です。ロアさんは?」
「問題ない」
手を貸してもらって立ち上がる。わたしはトルティナの横でへたり込んでいたようだった。
ほんの少しの間だけど、精神世界に潜っている最中はこっちのことが一切分からない。立ち上がって、スカートに土がついているのに気づいて土を払う。元果樹園の地面には小さな葡萄がまばらに落ちていて、運が悪いことに膝でそれを潰してしまったようだ。果汁がスカートを汚してしまっていた。
でも、それだけ。怪我とかはない。きっと二人が守ってくれたのだろう。しれっとした顔をしているけれど、数秒とはいえあんな戦火の中心みたいなところで完全に護り通してくれたなんて、どれだけの無茶をしたのだろうか。
「さて、彼女をどうするかですがね」
マルクさんがトルティナを見下ろす。少女は地面に伏していた。
レースのフリルがついた黒いワンピースドレスが土で汚れている。髪も枯れた葡萄の枝葉がくっついている。なのに彼女は立ち上がろうとしない。
気を失っているわけではない。怪我をしているわけでもない。ただ背を震わせて、トルティナは泣いていた。
「……恐い思いをしましたね。もう、大丈夫ですよ」
かけるべき言葉はこれではない。きっと、こんなので流すことはできない。
「巻き込んですまなかった、トルティナ殿。私は先の南部戦線でかなりの恨みを買っていたらしい。君はそれに巻き込まれてしまったのだろう」
ロアさんが頭を下げる。
トルティナのスキルが暴走したのはロアさんのせいだろうし、彼女がここに来てスキルを使用した一連の行動にも、たしかにあの怨嗟の影響はあったかもしれない。……そんな側面はあるかもしれないが、そういうことではないのだ。
「違う、違うんです。トルティナは……トルティナは……」
彼女は顔を上げない。上げられないのだろう。合わせる顔がないのだ。
だから。
「ああ――!」
彼女はスキルを使用する。
ロアさんとマルクさんが驚いて身構えるのが気配で分かった。得体の知れないスキルの行使だから、軍人の彼らが身構えるのは当然なのだろう。
けれど警戒するものではない。これはわたしたちに危害を加えない。
「やっぱり」
わたしはそれを見て呟く。明確に予想していたわけではなくって、ああこうなるのか、という感じ。
おそらくさっきわたしが剥奪したスキルの隙間を埋めたのだろう。そのスキルは前に見たときよりも強く、より特性が顕著で。
トルティナの肌が、髪が、服まで、空気に溶けるように透けはじめていた。
因果律操作。自分が原因で起きた事象を無かったことにするスキル。
わたしがそれを目にして、濡れたクッキーが元に戻ったのを見て、どのように感じたか。
意味も分からないのに、ゾッと背筋に怖気が走ったのだ。
最初はどうしてそんな悪寒がしたのか分からなかった。けれど時間がたつにつれて、そのスキルがどんなものなのか……どんなものだったら最悪か、という考えがだんだん固まってきたのだ。
つまり無かったことにするのは結果でも原因でもなく、自分なのではないか、と。
原因と結果の法則に割り込んで、起きたことを無かったことにする。
そのスキルが自身が起こしたもの限定なら、もしかしてスキルの対象は自分自身ではないのか。ならその間だけ彼女は『世界にいなかった』ことにしているのではないか。
事象を起こした者がその時間に存在しなかったのだから、その間の原因は消失したことになり、連鎖で結果すらもなかったことになる。
そんな、世界すら騙すスキルだったら。もしそういうスキルだったら、それを全力で使うとどうなるか。
彼女は因果律操作スキルを伸ばしたいと言っていた。スキルは鏡だとわたしが言ったとき、なんだか納得した様子を見せていた。
それがあったから、因果律操作スキルを全力で行使したその結果を、彼女が無意識下で望んでいたから発現したスキルだったとしたら――という疑念がどうしても拭えなかった。
「ダメです」
トルティナの姿はみるみる内に透けていって、そこにいるのに存在感がどんどん薄くなっていくようで、そんな彼女にわたしは手を伸ばす。
両手で頭を挟むように掴んで、その顔を上に向かせて、泣きはらした目をまっすぐに見た。
彼女は小さな子供のようにイヤイヤと首を横に振ったけれど、わたしは手を離さなかった。
「どれだけ消えてしまいたくても、本当に消えることができても、消えるなんてさせません」
山奥に隠居したい、だなんて自分は普段から言っているくせに、どの口がそういうのか。
これは単なるワガママだけれど。きっと、相手の意思を尊重せず蹂躙する行為だけれど、それでいい。嫌われたっていい。恨まれたってかまわない。
わたしが嫌だから止めるのだ。
「だって、寂しいじゃないですか」