英雄
元果樹園の雑木林を走る。
先頭はロアさんで、その次がマルクさん。二人が走る姿には余裕があって、たぶんペースを合わせてくれていて、わたしはその後ろをなんとかついていく。
「トルティナさんが新しく得たスキル、因果律操作、でしたか。便利だとは思いますけど、そんなに大したスキルとは思えませんね」
「人を殺したことすらなかったことにできるかもしれない、という観点で見れば大したスキルだがな。兄上……上の兄が狂喜乱舞で研究対象にしそうだ」
「死者を生き返らせるスキルは歴史上でも存在しないですからね。可能性レベルですし研究対象としてはたしかに貴重です。でも、そのスキルで人を殺すことはできないでしょう」
いや余裕ありすぎでしょ。走りながらの会話でも全然息が乱れていない。さすが軍人、これくらいの速度はジョギングのようなものらしい。
急がなければならないのに、わたしがそう主張したのに、わたしのせいで遅れている。
「すみま……せん。わたしも、なにがどうなるかは……分かっていません。でもすごく……嫌な予感が、するんです」
息を切らしながら、そう言うしかない。今も嫌な予感はどんどんその存在感を増している。
「ならば急ぐべきだな」
「ですね。まあ、元からリスクなんてないようなものですし」
わたしの言葉なんてなんの確証もないのに、こちらを振り返ってすごく真面目な顔で頷いてくれるロアさん。けっこう楽観的に同意してくれるマルクさん。
ああ、すごいな。強いってこういうことなのだろう。他を気遣う余裕があって、なにがあってもどうにかできるという自信に満ちて、実際にそんな能力がある。
うらやましい。あれくらいの強さがあれば、わたしだってもっともっと――
ドン、と。強力な重圧が襲来する。
ザザッ、と枯れ葉を散らしながら二人が急停止する。二人とも表情が引きつっていた。
それは質量を持つほどに強力な呪力。この雑木林をすべて飲み込むほど圧倒的な、濃密で巨大な悪意。
人の限界すら越えているのではないかと思えるスキル行使。
「エッグゥ、なんですかこれ!」
「若いからと少々舐めていたな。特級の呪術師だったか」
本物の戦場を知っている軍人たちですら驚くレベルなのだろう。特級、つまりSランクのスキル行使。
文句なしに最上級の脅威と認め、二人ともほぼ反射的にそれぞれの戦闘態勢をとる。
――でも。
「違う」
わたしは確信とともに口にした。
絶対に違う。こんなのはトルティナのせいじゃない。
だって実際に見ている。彼女のあの薄暗い精神世界で、彼女の持っていたスキルたちを目にしている。一個一個詳しく見たわけではないけれど、どれも平均かそれ以下程度の大きさしかなかった。ロアさんのように眩く輝く大きなスキルなんて、一個も持ってはいなかった。
「違う――彼女がこんなことできるはずがありません!」
停止したロアさんとマルクさんの向こう側に、うずくまる少女が見えて。
それが、酷く苦しそうで。
「トルティナ!」
わたしは二人の間を抜けた。無我夢中で走る。
うずくまる少女から発せられる力が急速に形を成していく。
分かる。あれは悪意とか憎悪とか、そういう禍々しいもの。恋心なんて甘酸っぱいものには絶対ないおぞましさがある。
このスキル行使はトルティナの意思ではない。スキルの暴走にしても強力すぎる。
明らかに何者かが彼女のスキル行使に干渉している。……それこそ、トルティナの負担なんか考慮すらしないレベルで。
このままでは彼女の身が危ない。
「だったら――」
一時的にわたしが彼女のスキルを剥奪すれば、きっとあの呪術は停止せざるを得ないはず。
彼女に触れる。それで救える。
だから走る。走りながら、それを見る。
質量を持つほどの呪力が、濃縮された死が、無数の白骨が織りなす怨嗟が、横殴りに襲い来るのを。
あ、これ死んだ――って、思った。
「まあ落ち着け、アネッタ殿」
片手だった。片手で泥のような呪力を鷲掴みにしていた。嘘でしょ、と目を疑った。
もはや厄災レベルの呪力を受け止めながら、ロアさんはなんでもないことのように肩をすくめる。
「たしかに状況は悪いが、こういうときこそ冷静になるべきだ」
「あの、それ魔法ですよね? なんで物理的に掴んで……」
「魔術系への耐性はあると言っただろう?」
いやそれ絶対違う。耐性とかじゃない。もっと理不尽なスキルだと思う。
「あー、たしかにアネッタさんの言うとおり、アレはトルティナさんの呪術じゃなさそうですね」
マルクさんも冷静だ。ロアさんならこれくらいやる、って知っていたのだろうか。
軍人ってすごい。
「つまり外部からの干渉か。マルク、どの勢力だと思う? やはり次男か?」
勢力。二人にはこんなことをする相手の心当たりがあるのだろうか。
もしかして車内で言っていた、彼らが潜伏して調査中だという危険なマフィアのしわざなのだろうか。
「いやなんで分かんないんですか。どの勢力もなにも一目瞭然でしょう。ほら、見て下さいよアレ」
呆れ声でマルクさんが指さす。
トルティナの放つ呪力は、ついに質量を伴ったカタチを持つに至っていた。それは無数の骸骨が積み重なったような軍隊で、絡み合う骨たちの殺意と構える銃のすべてが……ロアさんに向いていた。
「あのドクロたちの軍服と小銃と、ガトリングにも見覚えありますよね。ああ、手榴弾も大量だ。なんかちゃっかり我が国っぽい輩もいますが――南部戦線のご活躍お見事でした、サー。あちら、あなたに向けられた怨嗟になります」