異変
――恋は、呪いなのだそうだ。
ぐるぐると、ぐるぐると、頭の中が堂々巡り。
こんなことをやってはいけない、という薄皮一枚の常識を破るため、雪崩のように産まれるバカな理由を一つずつ殺していく。けれど無意味。こうなってしまったら止まれないのは、自分だって分かっているから。
だってそう。
四六時中その人のことを考えてしまう。相手に見て欲しいと求めてしまう。自分のことを相手に刻みつけたいと思ってしまう。
その相手がいなければ生きていけなくなるほどに、想ってしまう。
一方的に向ける極重の感情は、相手が応えてくれない限り行き場なく渦巻くしかない。
存分に空回りし、積もり重なり、際限なく濃度を上げていく指向性のある感情。下手な憎悪よりもよほどタチが悪い。
だから、恋心は呪いに利用される。
呪術とは、そういうタチの悪い感情を泥にするもの。
熟練の暗殺者よりも恋に盲目な少女の方が警戒されにくい。敵意よりも好意の方が標的は油断する。わずかなきっかけさえあれば、大きすぎる恋は憎しみに豹変する。……あるいはそんなきっかけなどなくとも、わけの分からない理外の思考でとんでもないことをしでかす。
つまり、恋は呪いだった。呪われるのが相手なのか自身なのかは分からないけれど。
――きちんと学んだことなんて一度もないけれど、たぶんわたしにはそういう才能があって、呪われているような呪いのスキルが自分の中にはあるのだ。
「あれ……?」
グチャリと、なんだか柔らかいものを踏んだ。それで我に返った。周りを見回して、まったく見覚えのない景色に呆然としてしまった。
なんだか甘い匂いのする雑木林。いつの間にこんな場所に来ていたのだろうか。自分がどうやって歩いたのか分からない。また迷子だ。足を上げてなにを踏んだのか見てみると、一つ一つの実がやけに小さい葡萄だった。
匂いの元はこれだろう。よく見ればここの木はほとんどが葡萄だ。雑草が生い茂り蔦が絡んだ木々は元気がなさそうで、立ち枯れていたり実を付けていないものも多いけれど、たくましく葉を広げているものもまばらにある。
どうやら自分が踏み入ったのは元果樹園らしい。
元、といっても他人の敷地内だ。不法侵入はいけないことだ。人の手が入っているようには見えないし、垂れ下がっている葡萄たちは酸っぱそうだから、さすがに盗人に思われることはないと思いたい。早くここから出なければならない。
――でも、どうやってここに来たのかは分からなくても、どうしてここに来たのかは分かっていた。
人の気配がなく、鬱蒼とした木々の下は薄暗く、そして人から打ち棄てられた場所。ここは自分のスキルを使うのにちょうどいい場所だ。
「なんて、おぞましい」
うそぶく。おぞましいのはスキルではなく、そのスキルを使う者。こんなスキルに頼ることでしか自分の恋心を相手に向けられない、こんなスキルを持っているのだからと思いとどまることすらできない、弱くて卑怯な自分なのに。
でも無理だ。この想いをまっとうに伝えることも、このまま内に留めておくこともできない。だからもう、どうしようもないのだ――なんて、これすらも言い訳だけど。
肩に掛けた小さな鞄から、丁寧に折りたたまれたハンカチを取り出す。お気に入りのレースのそれを慎重に開いて、一本の髪の毛を取り出す。
やってはダメだ。
そう思いはするけれど、でもほんの少しだけ。
ほんの少し。身体のどこかにちょっとした痣ができるくらいでいいから。できれば遠くから見られる場所に大きく残ってほしいけれど、自分がつけた傷が相手にあるんだって確認したいけれど、贅沢は言わない。服に隠れてしまうようなものでもいい。
どうせ自分のスキルでは、全力でもその程度だから。少しは痛むかもしれないけれど、知らない内にどこかにぶつけたのかなってくらいで、けっして酷いことになんてならないから。
あなたの人生に自分が関わったという証を、付けさせてほしい。
「……ごめんなさい」
謝罪の言葉とともに、神に祈るように、手にした毛髪を握り込む。
スキルを発動する。
ゾル、と。
「え……?」
感じたことのないほど強大な力が自身から発されて、思わず声を漏らす。
黒い蛇のような、テラテラとぬめるハラワタが纏わり付くような、絡め取られたら窒息してしまいそうな、明らかに人を殺せるほどの呪力。その発動のために強制的に、自分の心も体も全部持って行かれるような感覚。
「なんで……」
なぜ自分にこんな力が出せるのか。どうしてこんなものが出てしまうのか。
理由が分からなくて、けれど酷く酷いどす黒いものが自分の中を侵してくるのが分かって、こんなのは絶対に自分の恋心なはずがなくて。
それは、阿鼻叫喚のような憎悪と殺意で。
「や……やめてっ!」
悲鳴のように叫ぶ。必死でスキルの発動を抑えつける。こんなのは違う。絶対に違う。望んでいない。
自分はただ、恋をしたいだけなのに――。
「――トルティナ!」
声が。