歴戦の軍人たち
――昨日剥奪屋に来た客が、今日も来たようだ。
マルクから無線でそんな報告を受けたのは、食器を洗い終わってから。つまりアネッタ殿が帰ってすぐのことだ。
伝えられた容姿、体格、服装から間違いなくトルティナ殿だろう。もう一人いたようだが、それはピペルパン通りの肉屋にいた店員の女性で、アネッタ殿とは親しそうな様子だったそうだ。
……肉屋の店員まで記憶していたのか、と聞いたところ、「美人だったから覚えている」との返答。さすが威圧を振りまいていた私と共に前線を戦い抜いた部下である。人格より胆力だ。
まあその女性は問題ないだろう。アネッタ殿にも交友関係くらいあるはずだ。あれだけ穏やかで人当たりのいい女性ならきっと、近所の友人も多いに違いない。
とにかく今は連日の来客、トルティナ殿である。
昨日の今日でまた来た、ということはまあ、スキルを剥奪されたことで問題が起きたかなにかというところだろう。が……しかし彼女が私の兄姉の手の者、あるいはマフィアの構成員という可能性はあった。
希少かつ強力な剥奪スキルに目をつけた者たちが、まずは下見として彼女を送り込み、その能力の詳細を知って奪うために動いている。――そんな最悪も想定できる状況である。
そもそも昨日道に迷っていたトルティナに声をかけたのも、それを疑ったからというのが大きい。サーチといういかにも有用そうなスキルを剥奪したことも疑惑を強めている。
警戒を強めるべきだ。
とはいえそれは、あくまで一応は、の域を出なかった。
危険性はあまり感じられない。
昨日会話した限り、トルティナ殿は人を害するような少女には思えなかった。さらに周辺の気配をいくら探っても仲間らしき者はおらず、トルティナ殿は一人でやって来ているのはほぼ確定。戦場で浴びるほどに感じた敵意や害意の類も今のところ感じられない。
単純に、昨日の客が今日も客として来ただけの可能性が高いだろう。ならば気を張りすぎるのは緊張感の無駄である。
結局、選んだのは無難な方針。
私とマルク、そして休んでいたミクリを起こして三人体制で監視しながら、いつでも中へ押し入れるよう待機。何事もなくトルティナ殿が店から出てきたら私が声をかけて、いったいなんの話をしていたのかを尋ねてみるというだけの対応に留めることとなった。
……つまり我々はこの事態を、特に危険性のない、ほんの少し注意するだけで十分なものだと誤認していたのだ。
まあ、だから油断はしていた。
だから……肩のゴミを取る、などという見せかけの厚意に騙されて、髪を一本奪われた。
トルティナ殿からほんのわずかな、押し隠された害意を感じたのはそのときである。
私はあまりにも愚図で愚鈍なことに、彼女の背後にいる者たちの狙いはアネッタ殿ではなくこの私――王位継承権第四位のロア・エルドブリンクスの命だったのだと、ここで初めて気づいたのだ。
(……とか、恋に恋する系な女の子を前に考えてそうな感じなんデスけど、マルクはどう思うデスか?)
(ノーコメント。あえてコメントするなら、女の子はご愁傷様)
双眼鏡を覗きながら、双子限定のテレパシーで交信する。
ノータイムで情報を伝え合えるこのスキルは、遠距離の伝令から前線でのコンビネーションにまで使用できる優れものだ。無線を使わないから傍受の心配もないし、任務中に雑談だってできる。
(なんか肩のゴミを取るフリして手の内に隠してるんデスよね。たぶん髪の毛かなんか盗られたんじゃないデス? そっちからは見えた?)
(遠視スキルで目視してたさ。その通りだよ。魔術にでも使うのかな)
(魔術なら監視。素材なら錬金術。媒介なら呪術デスかねー)
最悪、殿下の姿のホムンクルスがたくさん町を闊歩するのだろうか。あの朴念仁の危険物が行列をなして大通りを歩くのは、それはそれで面白そうだ。
まあ髪の毛だけでは素材としてはイマイチだし、複製なんかできないだろうけれど。というか毛髪でそんなのが簡単にできるなら、王族の複製で町中あふれているのではないか。
(一般的に、その中で一番マズいのは呪術かな。対象を決める媒介に使うだけなら素材のランクは関係ないし、術者の力量によっては致死性の呪いが来る)
魔術と呪術の線引きは曖昧だ。けれど遅効性で心身を蝕むようなものや、遠距離から一方的に術をかけることができるといった嫌らしいものはだいたい呪術に属する。
熟練の術者だったら、対象を衰弱死させたり自殺させたりもできるだろう。
(まあそうデスね。で、どうする? 取り押さえて押収とかするデスか?)
(殿下だぞ? あの人間兵器相手に呪いなんか効くわけないだろ。呪術師を千人単位で揃えるならともかく、普通にやられただけなら術をかけられたことにすら気づくかどうかだ)
(デスよねー)
双子の兄の声にまったく危機感がない。それもそのはずで、あの王族は戦争の真っ只中で活躍したおかげで防御系のスキルも高ランクで取得している。なんならあたしたちが前線に蹴り出していたまである。
あんな少女のおまじない程度で心配なんかするわけがない。グレスリーさんだって放っておけと言うだろう。
馬鹿馬鹿しくなって双眼鏡から目を離し、ため息を吐く。今日は夜番だったからまだ眠い。これが終わったら二度寝していいだろうか、なんて考えながらあくびをすると、双子の兄からテレパシーがやってくる。
(呪術なら一番放っておけばいいさ。失敗すれば呪い返しで自滅するから)