それは傷でも
玄関から外へ出る。目に入って来た日差しを黒いレースがついた服の袖で遮る。
トン、トン、トン、と階段ともいえないちょっとした段差を降りて、小さめのお庭を歩いて道へ出る。
お庭をぐるりと囲む柵にそんなに大きくないプレートがかかっていて、そこにスキル剥奪屋と書かれていた。
お店というより、小さめの民家。このささやかなプレートが唯一の自己主張。
大々的に商売をするつもりは全然なくて、本当に必要な人だけ探してください、なんて意思を感じる。
たぶんこれは、彼女なりの選定。ここに来るのはきっと、本当に困っている人だけ。
剥奪は便利なスキルだと思うけれど、リスクがある。
サーチをなくした自分は昨日と今日で、意外なほどサーチに頼っていたことを知った。それに剥奪後に自分で意図していないスキルが発現したりするのも少し不便。
気軽に使用していいスキルではないから、選定する。ちゃんとお店側の説明を聞いて、リスクを受け入れてもいいと本気で思うくらい困っている人に、手を差し伸べるのがスキル剥奪屋さんなのだ。
「――すごいです」
自然と感嘆の息が漏れた。剥奪屋さんのお店を振り返る。
やっぱりあんまり店舗らしくは見えないし、昨日も恐る恐る入ったそこは、今は優しさに満ちているように感じた。
少しだけ眺めて、視線を切る。足早に歩き出す。
早くここから立ち去らないといけない。道はたぶんこっち。今日は帰りの方角だけは記憶している。大通りまで行ければなんとかなるだろう。
あの御方に見付かる前に、逃げなければ。
「おや、トルティナ殿」
でも最初の数歩で、逃げようとした相手に声をかけられてしまった。
彼は昨日と同じように、隣家のお庭から手を振ってくれて。
「おはよう。今日はいったいどうしてここに? もしかして、スキル剥奪後になにか異常でもあったのかな?」
恋は呪いです。
愛は与えるもので、恋は渇望するもの。
胸が苦しくて、身体が熱くって、ずっとずっとずっとその人のことしか考えられなくなって。
お相手への想いが大きければ大きいほど、お相手の心にも自分がいてほしいと願うようになります。
けれど、想いは伝えられません。
まだ一回会ったばかり。道で偶然お会いしただけのお相手に接点はなく、あの御方にとってはただ道案内をしただけでしかない。
そんな相手に告白なんかしても、困らせてしまうだけでしょう。
でも、ダメです。
離れていても想いは大きくなって、夜もなかなか眠れずにそのお声を思い出して、朝起きて最初にあの御方の顔が浮かびました。居ても立ってもいられず乗り合い馬車へ向かいました。
またお会いしたい、だなんて大それたことを考えていたわけではありません。遠くから一目見られればそれで十分と期待して、ここまで来たのです。それは本心です。
でも、それで我慢できないことは、自分自身がもっともよく知っています。
きっと一目見れば、この想いは大人しくしてくれはしないと、分かっていました。気づいてほしくて、こちらを見てほしくて、なにかをせずにはいられません。
けれどやっぱり、想いを伝えるなんてとんでもない。どんな話をすればいいのか分からないので声をかけることもできません。近所に住んでいるわけでもないのにどうしてこんなところにいるのか、なんて疑われるかもしれないので姿を表すことすらできないでしょう。
それでも、ただ遠くから見るだけで終わってしまうのは寂しいのです。できればお相手の心に自分を残したいのです。
それは傷でもいいのです。
「――ごきげんよう、ロア様」
偶然、出会ってしまって。
本当はこれを期待していたのだろうと、胸の奥で跳ね回る鼓動が言っていて。
もしかして窓越しに自分の姿を見て、なにかあったのだろうかと心配してわざわざ来てくれたのではないか、なんて都合のいいことを考えてしまって。
「ご心配ありがとうございます。剥奪スキルによる異常はないのですが、実は新しく習得したスキルが少し珍しそうなものでして、詳しそうな剥奪屋さんに相談させていただいたのです」
つらつらと説明を並べる。事実であって嘘ではない。
本音ではないだけ。
「そういうことだったか。ずいぶんと早く次のスキルが発現したのだな。私はこれから訓練に入るところだよ。まあ、問題がないのならよかった」
「スキル訓練を行うところだったのですね。がんばってください。……ところでロア様、少しよろしいですか?」
「ん?」
帰り道を、また送っていただけませんか? そう、言えたらよかった。これから予定があるお相手に、そんなことが言える人間ならよかった。いいえ、相手に予定がなさそうでも言い出せないけれど。
普通に、乗り合い馬車がいる場所までお話ししながら歩いて、笑顔でお別れを言って、また会いましょうなんて約束できる人ならよかった。
あのリレリアンという剥奪屋さんの友人なら、なんの気負いもなく言うのだと思う。
「……やっぱり。肩にゴミがついています」
なるべく早足にならないよう近づいて、目を凝らした。お庭の柵越しに手を伸ばして、その肩に触れる。
そこについていた髪の毛を摘まみ、手の内へ隠す。
ああ、なんて浅ましい。自分のこういうところが本当に嫌だ。
愚かで、自分勝手で、卑しい行い。
こちらを見てほしくて、でも拒絶されるのが恐くて、自分が傷つきたくなくて、だから相手を傷つけるのが自分の本質だ。
「ああ、ゴミを取ってくれたのか。ありがとう」
スキルは、鏡。
そう剥奪屋さんに言われて、ストンと腑に落ちた。
持っているスキルが人を傷つけるものばかりなのだから、つまりはそういうこと。
――わたしがわけの分からない人間だから、だと思うんです。
自らをそう評したのはあの剥奪屋さんだけれど、こんな自分に比べれば彼女はまともだろう。だって、彼女のスキルは自分ではない誰かのためのものだ。
自分の、間違いだらけの自分を押しつけるスキルとは違うのだから。