再来
「そうですか。では、なるべくお早めに訓練を開始してくださいね」
営業用の仮面のまま、わたしもニコリと笑顔を返す。
間を置かずできたと思う。ロアさんの取得したいスキルが思いつかない、という話は明らかに嘘だけれど、嘘だからこそ合わせるのは簡単だ。騙されたフリをすればいい。
「そうだな、今日からでも始めることにしよう。時間を取らせてすまなかったな」
「アフターケアも剥奪屋の仕事のうちですから、お気になさらず。むしろあまりお役に立てず申し訳ありません」
「いや、相談にのってくれて助かったよ」
これでロアさんの、スキル習得の話は終了。
たぶん上手くできなかった。ロアさんにとってはあまり乗り気になれない次善の策しか提案できなかったし、最後の本心を聞き出すこともできなかった。コミュニケーションとしては落第点だろう。
ジクリとした後味の悪さが残る。さっきのロアさんの嘘は流してもいいものだったのだろうか。本当は聞くべきだったのではないか。そんなふうに考えてしまうのを止められない。それくらい、さっきの彼は様子が変だった。
でも、わたしは踏み込まなかった。話を終わらせてしまった。だからもう手遅れ。
反省会は後だ。今度はわたしの話を切り出さなければ。
「ところでアフターケアといえば昨日は、トルティナさんのお帰りを送っていただけたのですよね?」
「ああ、トルティナ殿は行きも道に迷っていたから、帰り道も分からなくなっているような気がしてな。乗り合い馬車のところまでだが案内したよ」
王都は広い。だから王都内を行き来する乗り合い馬車があって、乗用車に手が出ない庶民にとっては大切な移動手段となっている。
あの少女は服装からは庶民という感じはしなかったけれど……乗用車で来たのだったら店の前まで乗り付けるか。
「ありがとうございます。スキル剥奪後は思いもよらないことで失敗することもありますので、本当ならわたしがご案内するべきでした」
「なに、暇人が気まぐれを起こしただけだ。礼を言う必要はない」
ロアさんは気づいていないのだろう。威圧スキルを持っていたころはできなかった小さな人助けを、彼は率先してしている。
まあ、悪いことではない。むしろいいことだ。善意がスキルを失った副作用だなんて、さすがに教えないでいいと思う。
「それでも、です。以前言いましたが、スキル剥奪後は調子が悪くなることもありますから、代わりに送っていただいて助かりました。……トルティナさんにはおかしなことはありませんでしたか?」
「ふむ、そうだな……少し呆けていたような気もする。話しかけても聞こえていないことが二度あった。だが体調が悪いという様子ではなかったと思うぞ。おそらくスキルを失ったことで戸惑っていたのだろう」
そうだろうか。彼女は慣れ親しんだ有用なスキルを失ったのだからその可能性はあるけれど、帰り際のあのやりとりを見た自分としてはやはり、ロアさんに恋をした可能性の方が高いと思う。
ただ、今のところロアさんになにか害が及んでいるとか、そんなことはなさそうだ。そこはよかった。
結局わたしの杞憂だったのだろう。そもそもトルティナは乗り合い馬車で来るくらいには遠くに住んでいるのだし、ロアさんはほんの少し道案内をしただけだし、そんな相手に恋をして呪いをかけるほど執着するなんてそうそうないのではないか。
うん、わたしの考えすぎだった。
「そうでしたか。大丈夫そうでしたらよかったです」
ホッとしたら気が緩んで、わたしはティーカップを手に取ってお茶を飲む。
そしてその不味さに、思わず咳き込んだ。
「スキルの強化が上手くいかなかったらまた相談するよ」
「ええ、いつでも来て下さい。それでは」
笑顔で隣家からおいとまする。
ちゃんと笑えているだろうか。口の中にはあの渋くて苦くてエグいお茶の味が残っていて、それを無理矢理流し込んだ胃はキリキリ痛んで、ロアさんの相談に上手く乗れなかった後悔で心はすごく重いけれど、営業用の仮面はヒビが入っていないだろうか。
恐くて、顔を隠したくて必要以上に深くお辞儀をして、すぐに踵を帰す。
早く帰ろう。帰って、もう早く吐いてしまって、ベッドに潜り込もう。
今日はもう一日分の力を使ってしまった。いや、三日分くらいは使ったかもしれない。
これ以上は動けない。自宅が隣にあってよかった。一刻も早く自分の安息の地に戻りたい。ロアさんが不審がらないくらいの早歩きで、隣家の庭を出る。
そうして。
「あ、アネッタ! 丁度良かった!」
わたしの数少ない友人に、声を掛けられた。
「いやぁ、近くに配達があったからついでに様子見に来たんだけどね、なんかこの子が迷子になっててさ。スキル剥奪屋のお客さんだって言うから連れて来たんだよ。ほら、ついたよトルティナちゃん」
彼女はリレリアン。わたしの幼馴染みで、背が高くて美人でガサツな、ピペルパン通りにあるお肉屋さんの看板娘。
そんな彼女がまるで猫の首を摘まんで持つみたいにして、不満そうなトルティナを連れてきたのだ。