資格なき者
整然とした屋内だと思っていた。引っ越ししたばかりで、とりあえず必要なものを最低限だけ揃えたような感じ。
余計なものがなく、まるで家具付きの売り家を内見している気分。
けれど引っ越ししたばかりにしても、ここにはあまりにも色がなかった。
「……私は、子供のころから軍人になるべく教育を受けていた。士官学校に入学してからは寮に入って訓練漬けの日々を送り、入隊後は分不相応に与えられた階級に恥じない働きをするため尽力してきたつもりだ」
「はぁ……」
「だから私にできることは戦争だけでな。趣味など、カードゲームに興じたことすら片手で数えられるほどしかない」
どうやら重症だ。お茶の淹れ方も知らないはずである。
というかやっぱりロアさんはエリート軍人さんだったみたい。分不相応な階級ってどれくらいだろう? 大尉くらい?
「そうですか。では、趣味のスキルを取るのも難しそうですね……」
新しいスキルを取得するのは決して簡単ではない。習慣や訓練などで身につけることはできるが、通常ならば発現までに長い時間を要する。
相性や才能などが合えば短期間で狙ったスキルを取得することもできるけれど、逆にそれが合わなければどれだけ頑張っても身につかないことだってあって、だからあのスキルが浮かぶ精神世界に隙間が空いた期間はすごく大事。だって欲しいスキルが取りやすくなるのだから。
ただし、短期間で狙ったスキルを取得するためには情熱が必要だ。
普通なら、欲しいスキルの一つや二つはあるもの。
前々から考えていたスキルがあれば話は早い。取得するためにある程度訓練を始めているのが最良だけど、そうでなくても知識があれば下地としては十分。これを機に本気で始めてもらえばいい。
けれどこの人は違う。まず趣味を探すところから始めなければならない。
それはまずい。この人の淹れるお茶くらいにまずい。
「わたしの剥奪による新しいスキルが取りやすい期間は、時間制限付きと考えて下さい」
「時間制限付き?」
「はい。しばらくすると習慣などから突飛なスキルを取得してしまうか、すでに持っているスキルが強力になることで隙間が埋まることになるかもしれません。そして強化の場合、イーロ先生の毒無効スキルが毒精製スキルに進化したときのように、思いがけない強化をする可能性があります」
本来、スキルは少しずつ育てるものだ。
鍛冶師が剣を鍛えるように、まずは鋼を打ち、形を整え、刃を研ぐ。だからスキルはその人に馴染む。
けれどわたしの能力の副作用でスキルが強化されると、一気に大きくなりすぎて歪になってしまうことがあった。
「突飛なスキルを習得した場合は君に剥奪してもらえばいいとして……所持スキルが強化される場合は所持者の意図しない強化、進化をすることがある、か。イーロ氏のあれは順当だった気もするが、今あるスキルが使い物にならないハズレになるのはあまりよろしくないな」
舌はともかく頭はいいのだろう。やはりロアさんは理解が早い。
「はい。ですのでもしすぐに習得したいものが思い浮かばないのでしたら、妙な強化が起きないように、今回は今持っているスキルを伸ばす訓練をするのも視野に入ると思います。狙った強化になるような訓練をすれば、方向性は定まります」
「結局軍人としてのスキルを伸ばすことになるのか……」
一般生活に役立つスキルがほしいという話だったから、受け入れづらいのだろう。とはいえ今から趣味を探すのは無理がある。
今持っているスキルなら直したい弱点や伸ばしたいところなど、改良したいところも把握しているはず。今から新しく習得するよりは簡単だ。
「なんなら一度威圧を戻して猶予期間を稼ぐのも手かな。隙間を埋めてしまえば理不尽な取得や強化の進行度は振り出しに戻るかもしれない。今ここで威圧を戻してすぐに剥奪してもらったとして、時間制限は何日くらいのびるだろうか?」
「そんなことをする人はいませんでしたので、なんとも……」
スキル剥奪の値段は高めに設定してるのにまるで気にしていないなこの人。
エリート軍人さんだっただけあって、お金たくさん持っていそうだ。
「前例がないならやめた方がいいな。スキル剥奪はまだ不明な点が多い」
おお、冷静。
「そうですね……申し訳ありません。所持しているわたし自身もまだ分かりきっていないスキルです」
「……ん? ああいや、謝ることではない。有用なスキルであることは間違いないし、スキルとは使用していくことで理解していくものだ」
ロアさんの声にはまるで、わたしが剥奪スキルについて知らないことは想定済み、みたいなニュアンスがあった。
イーロおじさんと話しているときもそうだったけれど、ロアさんはスキルについてかなり知識がありそうだ。
「しかし……やはり既存のスキルを伸ばすのは気が乗らんな。軍を離れてなお、戦うスキルを伸ばす意味がない」
「そうですか。では、新しいものを取得することになりますが……漠然としたものでもいいので、なにかこういうのがいい、というものはありますか?」
その質問にロアさんは瞼を伏せて、たっぷり二呼吸分考える。
静かな時間が過ぎて再び目を開けた彼は、一度口を開こうとして……閉じた。代わりにティーカップを手に取り、あの不味いお茶を飲み干す。
カチャリとカップを置いたときには、彼はニコリとした笑顔を見せていた。
「いや、やはり思いつかないな。しかたがないから、今回は既存スキルを伸ばすことにするとしよう」
嘘だ。
相手の心を読むとか、虚偽を聴き分けるとか、そんな便利なスキルは持ってないけれど、今のはハッキリとそう分かって。
でも、彼の笑顔は指摘も追及も拒絶しているような気がして、結局わたしはなにも言えなかった。