お茶の淹れ方
綺麗に片付いた家だった。元々は少し古めの空き家だったはずだけれど、よく掃除された屋内は傷んでいるようには見えない。揃えたばかりの新しい家具が新しい木の匂いを放っているせいか、新築のようにすら思える。
そういえば液状になったうちの玄関の扉は、ロアさんの知り合いの大工さんが直してくれたのだったか。もしかしたらリフォームもしているかもしれない。
「どうぞ。お茶を淹れるのは慣れていないから、口に合わなかったらすまないが」
「ありがとうございます。いただきますね」
大きな窓から日が差し込む明るい客間に通されて、勧められるまま椅子に座る。ロアさんは一度奥に引っ込んで、少ししたら真新しいティーカップを二つ持ってきた。
用意してくれたお茶にお礼を言って、ロアさんが対面に座るのを見届けてからカップを持ち上げる。
取っ手は指を通さず摘まんで、ちゃんと背筋は伸ばして、音をたてないようゆっくりカップを傾ける……お茶のマナーはこれで大丈夫だっただろうか、と不安になりながら、一口飲む。
そうしてわたしは、ハッと目を見開いた。
これ、不味い――
思わず真顔になってしまった。ちょっとビックリした。あれ? もしかして腐ってるのかな? って本気で思った。
香りは少し薄い気がする。でも嗅げば一応紅茶だった。味も、よく味わえば普通のお茶の片鱗がある。たぶんだけど茶葉自体は一般に出回っているもののような気がする。そして一瞬腐敗を疑いはしたが、腐ったもの特有の酸味や臭いはない。
だけど不味い。凄まじく渋くて、驚くほど苦みが主張していて、エグみがドロリと舌に纏わり付くような不快感があって、紅茶の味はするのにまるでお茶の美味しさを感じない。お茶のいいところを完全に排除して、悪いところの純度をひたすらに上げていったような味。その不味さは拒絶反応で胃が痛み出し、背筋に緊張感のある嫌な汗をかくほどだ。
なんだろう。まさか嫌がらせだろうか。もしかしてわたしはロアさんに嫌われるようなことをしていた?
でもスキル剥奪したときは本当に感謝してくれていたし、昨日も普通に話してくれてたし、そもそもそんなに関わっていないから違うと思いたいのだけど
「これは友人が選んでくれた茶葉でね。私は水分補給など水を飲んでいればいいと思っていたが、お茶を淹れるというのは工程による味の変化も含めて楽しむものなのだな。軍にいたころには気づかなかった、小さな発見の連続を経験しているよ」
違った。これってたぶん正しい淹れ方を知らないだけだ。
たぶんだけどこのお茶、茶葉が水面から顔を出すくらいすっごく多くして、ひたすら長時間煮詰めているのだと思う。そしてグツグツに濃いのにそんなに香りを感じないのは、沸騰させすぎて匂いを飛ばしているからな気がした。
単純にお茶の淹れ方を知らない。そして普段は水を飲めばいいと思っているくらい味に頓着がないから、よく調べもせず適当な方法で淹れている。お茶ってこんな不味くできるんだ。
でもこの不味さ、味で失敗って分かりそうなものだけれど……チラリとロアさんを見ると、彼はわたしのとまったく同じ色の液体を飲んで、満足げに頷いた。
ダメだ、完全に味オンチだ。戦場で舌だけ戦死してきたのだろうかこの人。
……どうしよう。こういうときって指摘するべきなのだろうか。
王宮にいるらしい紅茶専属メイドほどの知識はないけれど、普通の淹れ方なら教えられる。そんなに難しい話ではない。
でもそんなことをしたら、このお茶は不味いって文句を言うのと同じではないのか。
「それでロアさんわたしに相談したいのは、新しいスキルの取得についてですね?」
一口だけ飲んだティーカップをテーブルに置く。
お茶はしょせん、お茶だ。毒になるならともかく、味が悪いだけなら健康被害も起きないだろう。だから指摘はしない。それはスキル剥奪屋のお仕事ではない。これは逃げではなく今後のご近所付き合いを考えての選択だ。だからなんの問題もない。
……でも指摘しないのなら、別の問題が出てくるのではないか、とも思い当たる。つまり、せっかく出してもらったお茶を一口だけ飲んで残すのは失礼ではないのか、という懸念だ。つまりわたしは、この凄まじく濃くて渋くて苦くてエグいお茶を全部飲み干さないといけないのではないか。
「今は離れているが、私が軍人だったのは以前話したと思う。覚えているかな?」
「もちろん覚えています。鮮やかな格闘術も披露していただきましたし」
「あれはただ足払いで転ばせただけだが……まあ、とにかく。長く軍に関わって生きてきたため私のスキルはかなり偏っていてな。それでできれば新しいスキルは、戦闘に関係ない、普通の生活に役立つスキルが欲しいと思っている。剥奪屋として多くのスキルを見てきた君なら、オススメがあるのではないか?」
お茶を美味しく淹れるスキルとかどうでしょうか?
即答しかけて、慌てて笑顔で誤魔化す。今後のご近所付き合いのため指摘はしないと決めたのだから。
「普通の生活に役立つスキルですか、そうですね」
背筋を伸ばし、口元に手を当てて目を閉じて、真面目に考えているフリをする。実際は口の中に残るお茶の苦みに耐えているだけだけれど、ちゃんと演技できているだろうか。
「ロアさんの威圧はかなり強いスキルでした。それを失ってできたスキル枠の隙間はかなり大きいはずですので、新しく習得するスキルもかなり強力なものになると思います。一般生活に有用なものは基本、強力ではないけれど便利なスキルですから、あまり相性はよくありませんね。逆に強くなりすぎてしまって使い難くなる……ハズレスキル化することも十分あり得ます」
「そうか、ままならんな……」
本当に残念そうにうなだれるロアさん。普通の一般スキルよりも、軍人のスキルを高レベルで持ってることの方が誇れると思うのだけれど。
まあでも普通の生活に便利なスキルって、なくても普通に生活できるスキルだからなぁ。それこそお茶を淹れたりとか、料理やお掃除がすごく楽にできるとか、重いものを持つことができるとか。
それをあの威圧スキルレベルで取得するのはもったいないし、したらしたで変なことになりそうだ。
「一般スキルでしたら通常時でも努力すればとれますから、今回は別のものにするのが無難ですね。……それで提案ですけれど、ご趣味に関係したスキルを取るのはどうでしょうか?」
そんなに大したことではない、とても無難な案。趣味だったらこだわる人はすごくこだわるしイメージもしやすいだろうから、どれだけ強いスキルになっても方向性がブレることなく、ハズレスキル化しにくいのではないか。
そう思ってのわたしの言葉だったけれど――ロアさんの表情が、明らかに曇る。