スキル枠の隙間
好きな人ができました。
道に迷っていたところを助けていただいて、帰りも送っていただいて、とても親切にしていただきました。
たくましい身体は鋼のようで、穏やかな物腰が安心できて、優しそうな笑顔は陽だまりを思わせて。
胸がキュウっとして、心がほわほわして、ずっとその人のことを考えてしまって。
夜になっても眠れなくって、ベッドの天蓋を見つめながらあの御方の顔を思い浮かべます。
こうなると自分では歯止めが効かなくなってしまうって分かっているのに。
でも、サーチのスキルはもうありません。
恋しくて恋しくて恋しくて、恋しくて恋しくて恋しくて恋しくて恋しくて恋しくて、恋しくて恋しくて恋しくて恋しくて恋しくて恋しくて恋しくて恋しくて恋しいのに、あの御方が今どこにいるかすらほんの少しも分からないのです。
でも、それがふつう。この胸が締め付けられるような苦しい気持ちは耐えなければならないもの。これに耐えて、自分はやっとふつうの女の子になれるのです。
だから瞼を閉じて、お腹の上で手を組んで、あの御方のことを振り払って眠りへと落ちなければなりません。
ああ……けれど。
スキルを失った後は新しいスキルを得やすいという、あのスキル剥奪屋さんの言葉が、どうしようもなく耳に残っているのです――
「ご、ごめんくださーい……」
小さな声で呼びかけて、コンコン、とドアをノックする。
できれば聞き逃して出てこないでほしいな、そうすれば帰る言い訳になるのにな……って願ってしまうが、儚い願望だった。
この隣家の人は気づくだろう。初対面のときに外からやって来る危険人物――スキルの制御が効かなくって溶解液垂れ流しだったイーロおじさんの接近を感じて、ドアの横で待ち伏せた人だ。
あれはたぶん常時発動型スキルによる感知……だと思うけれど、でも彼はあのとき高ランクの威圧スキルを抑えるためにたくさんの封印具を重ねて身につけていたから、感知スキルも機能していなかった可能性もある。
つまりもしかしたら、スキルがなくてもスキル発動時くらいに気配を察せられるのかもしれなくって、軍人さんって本当にすごいんだなぁって。
カチャリと鍵が回る音がして、ドアが開く。
「おや、アネッタ殿じゃないか。おはよう。今日はどうしたのかね?」
玄関から顔を出したのはロアさんで、その元気そうな顔に少しだけホッとしながら、外用の表情を整えたわたしは営業用の声を出す。
「おはようございます。スキルの剥奪から少し時間がたちましたが、あれから変わりないかと思いまして」
これは建前で、本当は昨日トルティナを案内したときのことを聞きたいだけなのだけれど。
でもまあ、話のとっかかりとしては丁度いいだろう。
「ああその話か。大丈夫、調子を崩すようなことにはなっていないとも」
「それなら良かったです。ですがもうしばらくは注意していてくださいね」
サラサラと営業用の台詞を連ねる。……仕事の話はいい。雑談よりもずっとずっと気が楽だ。言うべきことを言っていれば良くて、自分をさらけ出す必要がない。
仮面を着けたまま仮面にしゃべらせているような感覚。
けれど、これで話を終わらすわけにはいかない。話を続けるために、用意していた次の話題へ。
「それでは、あれから新しいスキルの取得、あるいは既存スキルの強化については進展ありましたか?」
トルティナの精神世界とスキル群の異常さを目の当たりにし、その彼女がロアさんに好意を持つ様子を目撃してしまってから、すごく悩んだ。本当に悩んだ。どうしたものかと頭を抱えた。
そしてその結果、もしなんにも動かず大変なことになったらすごく後悔するだろうな、という結論に達してしまった。
人と関わるのが嫌なくせに、できれば山奥に隠居したいとか思っているくせに、こういうのを見て見ぬ振りできない自分に嫌気が差す。
――いや、そういう性分だからこそ、自分は人を避けているのだろう。視界に入らなければなにもしなくていいのだから。
「ん? ……ああ、そうか。そういえば引っ越し関連でバタバタしていて失念していたな。スキルの枠に隙間ができるのだったか」
よし。いや、忘れられていたことは良しではないのだけれど、話を続けられそうだ。あとは自然な流れでトルティナの話に繋げればいい。……もっとも、それがわたしにはすごく難題なのだけれど。
「それはいけません。ロアさんの威圧スキルは強力なものでしたから、もしハズレスキルを取得してしまったらそれも強力なものになってしまうと思います」
「そうか、たしかにな。……ふむ、もし時間があるなら我が家でお茶でも飲んでいかないか? スキルについて、専門家のアネッタ殿にぜひ相談させてほしい」
専門家って……まあスキル剥奪屋をやっているから普通よりの人よりは詳しいけれど、でもさすがに勘違いだ。わたしはイーロおじさんのように大学で教えられるほどの教養はない。
とはいえ、座ってじっくり話せるのは都合が良かった。昨日の少女の件についても、雑談として自然に切り出せるだろう。
だから勘違いは訂正しないでおく。
「はい。ではお言葉に甘えて、上がらせていただきますね」
……きっと帰ったらまた、自己嫌悪による胃痛で吐くだろうけれど。
でも、昨日の夜みたいにただ頭を抱えて過ごす方が嫌だから、わたしは丁寧にお辞儀をして隣家の玄関をくぐる。