スキル剥奪屋の領分
「あの……大丈夫なのですか?」
汗で前髪が額に貼り付いていた。疲労感がどっと襲ってくる。
目の前にはトルティナがいて、心配そうにわたしを覗き込んでいた。悲鳴をあげそうになるのを必死で我慢する。
戻って来た。
「……大丈夫です。集中が必要なスキルですので、たまにこうなります」
嘘だ。スキルを使っていてこんなふうになったことは一度も無い。だからこれはスキル行使の疲労ではなくて、もっと精神的なもの。
「問題なく剥奪できました。こちらがサーチのスキルになります」
握手していた手をそっと離して、手を開く。
黒水晶のような、薄く透き通っているけれど冷たいブラック。呪術系のスキルは初めて見たけれど、こういう色なのか。
「スキル剥奪ですが、そのスキルが体調や他のスキルの調整などの役割を持っていたりするものですと、いろいろと不具合が出る場合もあります。もしなにか問題が出た場合は、この輝石を持って念じていただければ戻すことができますので、こちらはお持ち帰りください」
「剥奪されたスキルはこんなふうになるのですね。そして戻すこともできるんですか……」
恐くて手に持っていたくなくて、テーブルの上に輝石を置いた。トルティナはまじまじと、自分の内から剥奪されたそれを見る。
「それとスキルを失った後は他のスキルを習得しやすくなったり、今あるスキルが強力になったりすることが多いです。ハズレスキルが出る可能性もありますので、なるべく早めに有用なスキルを取得することをオススメします」
言わなければならないことをつらつらと述べていく。いつも言っていることだから、脳を働かさなくても口から出る。
たぶんこの後、もしかしたら無意識にしゃべり過ぎて失礼なことを口走ってたのではないか、なんて考えてしまうと思うのだけれど、今は後のことなんて考えている余裕はなかった。
「そうなのですね。分かりました」
こくん、とトルティナは頷く。素直で礼儀正しい少女だ。とてもではないけれど、あんな呪術系のスキルを持っているようには見えない。
でも、だからこそ恐い。
彼女は好きな人がいたけれど、その人にずっとサーチを使ってしまっていて、それが気持ち悪いと言われたからサーチを剥奪に来たらしい。
たしかに覚えている。彼女は、好きな人がいた、と過去形で言っていた。そしてまた好きな人ができたときのために、サーチを除去しに来た。
では、その好きだった人はいったいどうなったのだろうか。気持ち悪いと言われて彼女の心が冷めてしまっただけなのか、それとも――
「ですがトルティナは、サーチのスキルはいりません。持っていると我慢できず戻してしまいそうなので、あなたにあげますね」
「え……?」
彼女は可愛いお財布からお金を出してテーブルの上に置くと、輝石には手を出さず立ち上がる。
その顔を見上げる。輝石を見つめて揺れつつも、決意の表情で目を伏せる。
トルティナは固い意思でスキルと決別していた。
……そうだ。彼女はそのためにここへ来た。
おそらく自分が日常的に使用している便利なスキルを捨ててでも、今後同じことを繰り返さないように。
それは気高い覚悟だと思う。
「ありがとうございました。それでは、失礼します」
深々とお辞儀して、トルティナは出口へ向かう。可愛らしい服を着たその背を目で追う。
わたしはスキル剥奪屋。だからお客さんが何者でも関係なく、スキルで困っている人の助けになればそれでいいのではないか。……なんて、普段の自分からは考えられないようなことも思ってしまって。
「あの!」
だから、声をかけた。
「もし、スキル関係でまたなにかあったら、遠慮なくここに来て下さいね」
言えたのはあんまりにも普通のことでしかなくて、もっと気の利いた言葉は出てこなかったのかと頭を抱えそうになったけれど、振り向いたトルティナはニコリと微笑んだ。
「はい。そのときはよろしくお願いします」
また深々とお辞儀して、彼女は玄関の扉から帰って行く。音をたてないようゆっくり丁寧に扉が閉まる。
「育ちが良さそう……」
感嘆の息を吐いて、閉まった扉を見つめる。
彼女の精神世界に入って、恐いと思った。あの光景やスキルに嘘はつけないから、あれがトルティナの内面で違いない。
でも、それでも、あれがトルティナのすべてであるとは思えなかった。
彼女は苦しんでいたから。
「あ、そういえば道……」
彼女はちゃんと帰り道が分かるだろうか。大通りまでの案内をした方がいいのでは、とか剥奪スキルを使う前は考えていたのに、そのまま帰してしまった。
まずい。さっきのやりとりの後で気まずいけれど、スキル剥奪後は思いがけないミスをすることもあるし追った方がいいだろう。玄関を出てすぐのところでオロオロしているだけならいいのだけれど。
まだ身体の芯に残る疲労をおして立ち上がる。慌てて外へ出る。
「おや、トルティナ殿。スキルの剥奪は終わったのかな?」
トルティナはまだそこにいて、隣家の庭にロアさんがいた。
「はい。サーチのスキルをとってもらいました。本当に、自分の中からなくなったのが分かります。不思議な感覚です」
「私もそうだったから分かるよ。大丈夫、すぐに慣れる」
ロアさんはたしか、散歩の途中で彼女に会ったのだったか。
あれからまた散歩して帰って来たのか、それとも自分の家の庭の手入れでもしていたか。なんにしろ鉢合わせたらしい。
「そうだ。行きは道に迷っていただろう。帰り道は分かるかね? 良かったら君が分かる場所まで送ろうか?」
「いいのですか? ご迷惑では?」
「迷惑なんてとんでもない。レディをエスコートするのは紳士の誉れだとも」
人の良い笑みを浮かべて道案内を買って出るロアさん。その彼を見上げて、ほわ、とトルティナの頬が赤らむ。潤んだ瞳がキラキラと輝いて、細く白い手がキュッと胸元で握られて。
「あ……それでは、どうかよろしく……お願いします」
そこまで見届けて、わたしはパタンと玄関の扉を閉めた。
……………………まあ、その。うん。
この件は、スキル剥奪屋の領分は越えている気がするし。
ロアさんには今度、なんにもなかったか聞くことにしよう。