サーチ
今日も良い日だ。
窓から差し込む日の光が少し陰って、読んでいた本から視線を上げる。空に浮かぶ白雲が陽光を遮っていて、けれどそれもすぐに流される。
暑すぎず寒すぎず、涼やかな風が庭の花の匂いを運んでくるこんな日は、部屋に籠もってドロドロの愛憎渦巻く恋愛小説を読むのがいい。
絶対に外になんて出たくない。絶好の外出日よりなんて、みんな外に出ているに違いないのだから。
集中力が切れてしまって、けれど心地よい気分でページに栞を挟んだ。息を吐いて椅子の背もたれにもたれかかると、微睡みが忍び寄ってくるのを感じた。
店は開けているけれど、お客さんは来ない。お仕事中だけれど今日も暇だ。うん、ちょうどいい。暇をしているけれど、なんにもなさすぎて本なんか読んでしまっているけれど、店番をしているからわたしはちゃんと働いている。世間様に後ろめたいことはない。
こういうのが心地良い。まだお金には余裕があるし、もう少しこういう日が続くと嬉しいのだけれど。
……もしわたしの内心を真面目に働いている人が覗いたら怒るだろうか。そんな妄想に駆られて、やっぱり少し後ろめたくなって、自分の心をごまかすようにコップに手をのばす。すっかり冷めてしまったお茶を一口飲む。
「失礼する。アネッタ殿はいらっしゃるか?」
思わず顔をしかめたのは、淹れてからだいぶ時間がたって、お茶が渋くなってしまったからではなかった。
「おはようございます、ロアさん。どうですか? あれから不調などはありませんか?」
「おはよう、アネッタ殿。ああ、おかげさまですこぶる調子が良い。生まれ変わった気分だとも」
数日ぶりに会ったお隣さんは、以前よりも少し明るくなった気がした。
なんというか、笑顔に影がない。どこか吹っ切れたような様子すら見える。……あの威圧スキルは強力だったけれど、それ以上に重荷だったのだろう。
それがなくなった今、彼は首輪に繋がった鎖が千切れた大型犬のような気分なのではないか。
「アネッタ殿は変わりないか? 引っ越しした日に挨拶してから姿を見かけなかったので、少し心配だったのだが」
「気にかけていただいてたんですね。ここは一人でやっていますので、普段はなるべくお店にいるようにしているだけですから大丈夫ですよ」
まあ最初の二日は急にお隣さんが二人も増えたショックで、しばらくベッドで蓑虫になってウジウジしてはいた。けどお店にいたのは間違いないから嘘ではない。
「ところで、特に不調がないのなら今日はどうしてこちらに? もしかして新しく発現したスキルが都合のよくないものでしたか?」
「いや。ここに用があるのは私ではないのだ。実は散歩中に、道に迷っている淑女を見つけてな。困っているようだったから声を掛けたのだが、行き先はこの店のようだったので案内してきたのだよ」
ああ、剥奪スキルを人に使うようになってからもう何度か見てきた光景だ。人間とは単純なもので、制御できない力に振り回されて思い悩む時間がなくなった後は、まず以前できなかったことをやり始める。
……困っている人に声を掛けるとか、道案内をしてあげるとか、前はできなかったのでしょうね。恐がらせるだけだから。
「あ、あの……トルティナです」
玄関の扉の向こうにいた彼女は、すごくすごく可愛らしい少女だった。
歳は十代半ばくらい? ハッとするほど美しい艶のある黒髪をたくさんのリボンで飾って、驚くほど肌が白くって、レースをふんだんに使った黒いドレスを着て、まるでお人形さんみたいな姿だ。
こんな派手な服装はピペルパン通りで見かけないから、たぶん中央区の人だろう。
「お願いします。トルティナの、トルティナの、スキルを取り除いてほしいんです。できますか?」
幼い顔立ちだけれど、だからこそ紅を引いた唇が強烈に目を引く。必死に訴えかけてくる目がパッチリとしていて、睫毛にも手を入れているのが分かる。
あまりファッションとかに興味を持てないわたしには目に毒だ。同い年くらいなのに、こんなの自分にはできない。こんな奇抜な服はたぶん中央の子だと思うけれど、化粧もまともにできない自分は怠け者だと突きつけられているようで苦しい。
「ス、スキル剥奪のご依頼ですね。大丈夫です。ここはそういうお店ですから、もちろんできますよ。ちなみにですが、どのようなスキルでしょうか?」
「そ、その……サーチ、です」
そう聞いて、眉をひそめる。サーチ。つまり探査だろうか。
普通にいいスキルだと思うのだけれど……まあそれは話を聞いてみるとして。
わたしにはその少女の表情が驚くほど真剣で、思い詰めているように見えたのだ。