人的資源の無駄
ブルーベリージャムを塗ったパンを囓る。ピペルパン通りの店で購入した柔らかいパンはかなり美味だった。お茶で飲み込みながら、二階の窓から外を眺める。今日も特に変化のない、平和な光景がそこにあった。
マルクとミクリが別の家に移って数日が過ぎた。
交代制の警護兼、監視は順調。平民に紛れる日々にもだいぶん慣れてきて余裕が出てきたところだ。
余裕がありすぎて暇だ。
「……午前十時七分。スキル剥奪屋には今日も動きの兆候は見られず」
先日出かけたとき、食糧を多めに買っていたのは確認している。そのせいかこの二日間、剥奪屋にはなんの動きもない。
ずっと家にいるのだ。なにをやっているのか知らないが、本当に動かない。そんな人間がいるのだろうか、というくらい動きがない。
客も少ない。王都とはいえこんな人の少ない場所で店を開いているせいか、あまり繁盛していないようだ。あれほどのスキルだが、まだこの辺りの人間にしか認知されていないらしい。……それはまあ、護衛と監視の立場としては都合が良いのだけれど。
つまりなんにもないのだ。
思えば王族として、軍人として、めまぐるしい日々を過ごしてきた。特に近年は戦場に出ていたこともあって、休息すら体力を保たせるための仕事でしかなかった。
もちろん、待機しつづけられる、というのも軍人には重要な資質である。何時間でも何日でも、場合によっては何ヶ月でも何年でも潜伏し時が来るまで待つ……そんな任務だってある。
しかし自分に長期間の潜伏任務経験はない。せいぜい狙撃のために二日ほど森の中で伏せていたくらいだ。
つまらん。……というのは本心だが。人的資源の無駄も感じている。
実際、どうだろう。仮に兄たちの手のものがやって来るとしても、まずは段階を踏むだろう。彼女のスキルの確認など事前に情報を集め、長兄であるなら遣いを出して交渉、次兄なら多少手荒なマネをするという感じだろうか。そして最近王都で勢力を拡大している裏組織ならば彼女を攫いに来るかもしれないが。
まあ、長兄以外ならすぐに乗り込んで壊滅させつつ助け出せばいいだけであるし、長兄だったらこんな張り込みはほとんど意味が無い。
「マルク。どうやら剥奪屋は現状、危険度は低そうだ。警戒レベルを下げるぞ。見張りは今後一人でいい」
『了解。いつ進言しようか迷っていました』
無線で別の家屋にいるマルクに伝えると、そんな呆れ声の返事がくる。
べつに軍の任務というワケでもない、今までになにか事件が起こったわけでもない、こんな平和な町並みの監視でここまでの緊張感は必要ない。そんなことにやっと気づいたのか……などと言いたそうだ。
まあ人的資源の無駄だったな。そもそも本来なら、自分一人でやろうと思っていたことだ。私なら寝ていたとしても隣家に動きがあれば察知できるのだし。
マルクとミクリがついてきたからだろうか。それとも単純に染み付いているだけか。どうにも軍の感覚で動いてしまうな。
『殿下、通りの東方向から人がやって来ました』
ふむ? と不意に入った無線からの連絡に耳を傾ける。ただの通行人にしては、マルクの声が固いような気がした。
『黒髪の若い女性が一人。歩き方からして従軍経験なし。挙動不審です』
どうやらただの通行人ではないらしい。……いや、どうだろうな。挙動不審な一般人は普通にいるから、ただの通行人かもしれないのか。
まあ人が少ない土地ではあるから、不審者は目立つだろう。とはいえそれだけだと危険なのかどうかも分からない。マルクの話し方も危急性が高いというよりは、困惑が強い気がする。
『ああ……双眼鏡で確認しました。どうやら手書きの地図のようなものと周囲を見比べているようです。道に迷っているようですね』
「なるほどな。剥奪屋の客かもしれん」
剥奪屋はどうも商売をする気が薄いようで、遠目でも分かるような大きな看板を掲げているわけではないし、周囲には道案内の立て札なども見当たらない。元々は空き家だっただろう家屋だから、見た目も普通の民家と変わらない。実に不親切な店構えとなっている。
おそらく、それでも客は来ると踏んでいるのだろう。剥奪スキルはそれだけ希少かつ有用なものであると自覚しているのだ。……マルクから報告が来たその女性が客であれば、その読みは当たっている。
『どうしますか、殿下』
無線からの声に、少し考える。
マルクが聞きたいのは、動くか見守るか、だ。
もちろん静観した方が無難だろう。しかしここまで剥奪屋の方に動きがないとなると、純粋にあの家の中でなにをしているのか気になってくるし、こちらから少しは動いてみてもいいのではないかと思えてくる。すでにどこかの勢力と結託し、自身のスキルを悪用してなにかやっている……なんてこともあるかもしれないのだ。ならば、探りの一つくらい入れてみるのもいいだろう。
「私が接触してみる。剥奪屋の客ならば道案内しよう」
『了解。俺は待機しておきます』