気が変わっちゃった。
ふぅー、と。長く息を吐く音が聞こえた。ソーロン王子はソファに座ったまま両手を組んで俯いて、床を見つめていた。
わたしはたぶん、この人にけっこう失礼なことを言っていると思う。後で絶対に後悔して吐くのだろう。
けれど、どうしてだろうか。ソーロン王子は怒るどころか、笑っていて。なんだか嬉しそうですらあった。
「本当はね、布石だったんだよ。これ」
「はい?」
また、意味の分からない話。
でも穏やかな声だ。
「ロアを焦らせてミスらせることができるんじゃないか、とかさ。誰か一人でも置いて行くなら向こうの処理能力が落ちるんじゃないか、みたいな狙いがあったりね。あんまり期待はしてないけれど、こういうのはダメだったらダメでいいやって割り切ったうえで、最善を尽くすのが肝心なんだ」
えっと……ロアさんの邪魔をしたくてここに来た、ということ?
なんでここに来ると邪魔になるんだろ?
「あとは、ここのことは兄や妹も父も知ってるから、僕様がここに来るということ自体にも意味があった。それだけで耳目を引けるからね」
今なんて言いました? 妹……セレスディア様はともかく、兄と父……第一王子様や王様もわたしのスキル剥奪屋を知ってる?
もしかしてセレスディア様がディナーの話題にでもしたのだろうか。あるいはやっぱり王宮を抜け出したことが問題になって、包み隠さず話すしかなかったとか?
あんな醜態を晒してたんだから、誰にも話さないでいてくれるんじゃないかと期待してたのに!
「ここに来る。それだけでいいんだよ。たまに来て、楽しくお喋りして帰るだけで十分だ。もちろんそれだけだと君に悪いから、客を連れて来るよ。僕様って顔が広いからね。スキルで困ってる人もけっこう心当たりがあるし」
いえ王族が通うようなお店じゃないんですけど。本当にやめてほしい。
「知ってるかい? 陰謀、謀略、奇計、奇襲。奇をてらった作戦は、弱い方がするものなんだ。十分な兵力を揃えて真正面から打ち勝てるなら、そんなことをする必要なんかないからさ」
「戦記ものの本とかだと、奇襲の掛け合いみたいな展開もありますけど……」
「戦力が拮抗してるときはそういうこともあるよ。でも、奇襲って失敗するとただの戦力の小出しにしかならないから、順当に勝てる戦いならやらない方が無難なんだ。名軍師気取って突飛な作戦指示して失敗して、無駄に戦力減らして責任問題……なんて馬鹿馬鹿しいだろ?」
それはそうかも。
小説だと華麗に奇襲を成功させて逆転みたいな展開多いけれど、たしかに少人数で動くのって察知されていたら返り討ちに遭ってしまうから、危険。
「だからね、僕様は陰謀みたいなことをしているなって思わせるだけでいいんだよ。二流三流の奴らを集めて勢力ごっこしてる第二王子がまたなにかやろうとしているな、小賢しいことをしてるな、って油断させられるからさ。そこにだけ注意しておけばいいって考えさせればいい。特にあの化け物たちは自分たちの力に自信があるから、そういう驕りがあるしね」
「陰謀みたいなこと、ですか。わたしと会うことがですか?」
「そうそう。僕様みたいな王族がこんな旧市街の片隅のお店に何度も通う。それだけでもなんか怪しいだろ? それに君は貴重で希少なスキルの持ち主だ。いったいなにをするつもりだ、って思うんじゃないかな?」
それはありそうだけれど、でもそれって結局なにもしてないんじゃないじゃ?
いえ、なにかされても困るんですけれど。
「そうしてここに注目させながら、別の場所で最後まで仕上げるつもりだったんだよ。……正攻法で次の王座を狙う仕上げをね。そのために十年以上も支持者集めに奔走してきたんだし」
………………はい?
「えっと、ソーロン様は次の王様になるんですか? ああいえ、先ほどから王座を狙うとか、不穏な話もしていましたけれど、冗談とかではなく? その仕上げって、もしかしてクー……」
いや、待った。これ聞いてはいけないやつだ。
聞いちゃったら引き返せなくなるやつ。
「まさか。正攻法って言っただろ? ちゃんと議会での話し合いと多数決でやるよ」
あ、良かった。物騒な話ではないみたい。
あれ? でもいいのかな? 第一王子様を降ろしてソーロン様が次の王になるのは変わりないけど。
「強い奴は弱い者たちを見下して舐めている。それが弱点だ」
うつけ者の仮面を脱ぎ捨てた王子は、語る。
「大貴族も有力議員も権力は強いけれど、たった一握りしかいないだろ? もちろん傘下を切り崩すのは簡単じゃなかったけれど、数は木っ端の方が圧倒的に多いんだ。地道にやってけばいずれは逆転するさ。でも、すでに逆転されたことにも気づかないんだよ。自分たちを強いと思ってるからね。……もうちょっとで準備が整う。あとは父や兄が気づいて対策する前に仕上げをしちゃえばいいんだ。こうしてロアでもおちょくってやりながらね」
ソーロン王子は笑う。
自分の家族たちを? それとも、見くびられている自分自身を?
それとも、己の行いをだろうか?
十年以上。……偽物の好意ほど唾棄すべきものはない、と言い切ったのに、みんなが求めているのは第二王子の仮面だけと分かっているのに、彼はそれだけの年月を偽物の好意の収集に費やした。
仮面を被って、うつけ者の振りまでして、おそらくは自分の悪い噂すら利用して。
「だから君とは、本当にお話をするだけのつもりだったんだよ。それだけで十分だった。――でも気が変わった」
ソーロンという青年はソファから立ち上がる。ニコニコしながら、右手を差し出してくる。
「君にぜひ頼みたいことがあるんだけどさ、ちょっとこれから僕様と一緒に、王宮に来てくれないか?」
駄菓子のモロッコフルーツヨーグルってあるじゃないですか。あれ美味しいですよね。子供のころを思い出す懐かしい甘さです。あれの八十個入りの箱がなぜか今、私の部屋にあります。中身は半分も減ってません。KAMEです。
さて、六章いかがでしたでしょうか。アネッタのスキル剥奪屋は街外れにあるにも関わらず、王族が突撃してくることが多いです。今回はついに第二王子までやって来ました。ロアのせいですね。
ソーロンはうつけ者の設定が決まったとき、パッと性格が思いついた不思議なキャラクターだったりします。二面性があるトリックスターいいですよね。
というわけで次章……ついにアネッタがピペルパン通りを出ます。お楽しみに。




