マルク、帰還
「で、尾行に失敗したあげくそのまま議員の集会へ行って肉を焼いてきたと?」
「イエス・サー。ソーロン王子は最高の王位継承権保持者であります!」
鳩尾に拳を埋めた。
「で、尾行に失敗したあげくそのまま議員の集会へ行って肉を焼いてきたと?」
「ごふ……ぐ……し、舌の肥えた議員たちを満足させてきました」
次兄殿の議員支持者は弱小だから、たぶん舌は肥えてないぞ。
はぁ……とため息を吐く。しっかり洗脳されて帰ってきたな。
まあマルクは双子のミクリとテレパシーのスキルがあるから、だいたいのことはすでに把握できている。小型無線機の電波が届かない場所でも連絡が取れるのは、やはり便利だな。
そして一応、この部下は次兄殿の動向を報告してきてはいたから任務は達成していた。元々一人では難しい任務だと思っていたし、尾行失敗は不問にしておくか。
「まあ、いい。つまり元々そういう予定があって、肉は手土産だったと」
「そ、そのようですね。けっこう前から集まることは決まってたようです」
次兄殿はあれからまっすぐにピペルパン通りを出て、議員たちの集会へ向かったらしい。
この辺りでなにかを起こすのではないか、という警戒は杞憂に終わったわけだ。……アネッタ殿に接触するために来た疑惑は消せないが。
「というかですね、そもそも集会の目的は、最近増えているらしい獣害について話すことのようだったんですよね」
「なに?」
初耳の情報だな。獣害が増えていることも含めて。
「自分が聞いた話では、どうも年々少しずつ畑を荒らす害獣が多くなってるみたいで。あのリレリアンさんのバーベキュー大会も元は、獣が普段よりも多く獲れたからじゃないですか。どうもけっこうな問題になってるみたいですよ」
「そういえば、郊外の農業区の被害は長兄殿も頭を悩ませていたな」
「王都だけの問題じゃないみたいです。王国領全体でも大なり小なり被害があるようですね」
野生の獣がいない場所などいないからな。そりゃあどこでも被害はあるだろうが……改善していかないといけない問題なのは間違いないか。
思っていたより真面目なことを話しているな。私の部下が来たから取り繕ったか? いや、あの次兄殿がマルクの存在くらいで行いを変えるとも思えない。
「特に今年は農家の獣害が多いみたいでしてね。麦畑がけっこうやられてて、そのせいで小麦が高騰するんじゃないかってくらいだそうで。それで、農産系に明るい議員たちと対策を立てる集まりだったようです」
「それで、だからその害獣の肉を焼いて食べさせたと?」
「そうですね。肉に利用価値があるなら、支援する方向に持って行きやすいらしくて」
害獣を減らすだけではなく、肉を利用できればか。私はあまり農産系の政治には明るくないが……というか、軍関係以外はあまり分からないが、そうした方がいいのだろうか。
ふむ。
獣害は今年限りのものではないから、年々増えているのならば恒常的な駆除が必要になるのだろう。それは駆除支援を継続しなければならないということである。
だが美味な食べ方を模索し、上手く広めて需要を確立すれば、支援がなくても害獣は狙って狩られることになるはず。国庫からの支援は短期ですむ。――という論説ができるな。
悪くはない。すんなり上手く行くとも思えないが。
「自分としては少しばかり意外なほどでした。ソーロン王子は悪い噂しか聞いてなかったので、ちゃんと王国のことを考えているのだなと」
スキルによる洗脳ではなかったのか、それとも殴った程度では解けない強力なスキルなのか、マルクは次兄殿にずいぶんと好感を抱いたようである。
……いや、やはりマルクはそんな人間じゃないな。軍の訓練は受けているから簡単に洗脳スキルなどにやられはしないし、政治になんか毛ほども興味ないし、次の王にも関心はないし、そして美形の男というだけで嫉妬し嫌悪する性質だ。
だからコイツは、次兄殿にだけは洗脳されたりしない。
「美人の議員の娘の秘書でも紹介してもらったか?」
「なっ……!」
図星か。
親指と中指をくっつける。力を入れて、親指を人差し指の方へ弾く。
シュッと音はしたのだけれど、パチンという小気味いい音は鳴らなかった。
「けっこう難しい……かも?」
買い物を終えて、家に帰って、店を開けたけれどお客さんは来なくって。
暇を持て余したわたしは、おもむろに指を鳴らす練習をしてみる。
普段なら暇な時間でも、掃除や庭の手入れをしたり、針仕事をしたり、本を読んだりとやることはある。けれど今日はソーロン王子が言っていた、指ぱっちんでピアノの音を出すスキルが気になっていた。
わたしもできたら面白いかなって。それだけなのだけれど、でもソーロン王子はきっとそれだけで習得したと思うから。
あんなふうに誰とでも気兼ねなく話せるような、みんなの中心で注目を集めても平気でいられるような、ソーロン王子の姿は……ああなりたいともなれるとも思わないけれど、わたしの目には眩しく映ったから。
少しだけ、マネをしてみたかったり。
「こう……? こうかな? うーん、こう?」
何回かやってみると、パチッと小さい音がして。おお、わたしにもできた、と嬉しくなる。
普通に鳴っただけだし、耳の近くでやらなかったら聞こえないくらい小さな音で、ピアノは遠い。ピアノソナタをやろうとしてたら、せめて両手でできるようにもしないといかないか。かなり訓練が必要だな
「数年がかりかぁ。ちょっと……いえ、かなり長いなぁ」
それだけ訓練すれば、ピアノみたいな音が出せるらしい。
たまに、いる。子供の一人遊びみたいなスキルを極めた、変なスキルを持つ人。
指でペンを高速で回したり、立てて置いたコインの上にもう一枚コインを乗せたり。たぶん、そういうスキルなのだろう。
でも、ふと疑問がよぎる。
「一国の王子様がなんで、そんなスキルを……?」
ソーロン様だから、で済ましていた。でも自分で指を鳴らしてみて、改めて気になった。
こんな地味な一人遊び、鳴らせるようになって満足してしまうものではないのか。少なくともわたしは音がしただけでもうけっこう満足だけど。
ピアノの音を出すなんて特殊なスキルを習得するまで、王子様がどうして? 王族なんて子供時代でも勉学とか行事とかで忙しいだろうし、遊ぶにしたってもっと楽しいことなんかいくらでもやれただろうに。
どうして。
パチ、ともう一度指を弾いてみる。
鳴った小さな音は、わたしの他に誰もいない、静かな部屋に少しだけ響いた。
「指、もう痛いな……」
呟く。この指先の痛みは過去のソーロン王子も経験したはず。
もしかしたら、ただの冗談だったのだろうか。わたしは実際にそのスキルを見たわけじゃないし、本当はそんなの持ってないのかも。
でももし、彼がそのスキルを持っていたら――わたしが要らないスキルを取れると知ったとき、なぜソーロン王子は、真っ先にこのスキルを除けるか聞いたのだろうか。