噂話
「し……死ぬかと思った……。頭蓋骨がミシミシと軋む音って本当に聞こえるんだね。この涙は本当は涙じゃなくて脳汁だったりしないかい?」
「冗談でも言っていいことと悪いことがある。少しは気をつけることです」
地面に座り込み、両手で頭骨がヘコんでいないか確かめる次兄を見下ろす。
王族が自国の戦争を誘発しただのと、嘘でも口走るものではない。王である我らの父が聞いていたら牢に蹴り入れられているところだ。
「たしかに冗談ではあるけれどね。でも君もそういう噂は聞いたことあるだろう? 南部で起こった戦争は僕のせいじゃないか、なんて荒唐無稽な根も葉もない噂。その話のとっかかりにしようと思ったんだよね」
ふむ?
「いや、聞いたことはないですが」
「あらら、本当に? 僕様はけっこう迷惑してるんだけどな。君に届いていないってことは、軍部ではマトモに取り合ってないんだね。少し安心したよ」
実際にそういう噂があるのか。まあ、そういうことをやっていてもおかしくないと、そう思いたくなる人物ではあるが……。
「ほら、南部戦線の開幕はペンドラ軍がいきなり王都の南区を奇襲だっただろ? セレスディアのおかげで対応できたから良かったものの、電撃作戦が決まっていればマズいことになっていたはずじゃん。――でもおかしいよね。王都の南には農村も町もたくさんあるのに、全部スルーして急に本丸を攻めて来たじゃないか。どうやって素通りできたのか、不可解だろ?」
「それはまあ、そうですね。軍部でも議論がされています」
急に王都に王宮を制圧できてもおかしくない大部隊がやって来たのは、たしかに不可解というか……凄まじい驚異だった。
当時はペンドラ側に、大部隊ごと空間移動させるような馬鹿げたSランクスキル所持者がいる、という前提で動いたものだ。
現在でもあの奇襲作戦の詳細は判明していない。……まあ、想定はいくつか立てているようだが。
「あれ、地方の貴族と仲の良い僕様が手引きしたんじゃないか、って一部で言われてるみたいなんだよね。僕様の口添えで、地方貴族たちがペンドラ軍を素通りさせたんだろうとかなんとか」
検討の余地は……ないだろうな。さすがにそんなことをしていれば、後々の軍の調査で判明する。
「ま、そんなわけだからさ。ぜひ軍部の調査で僕様が関わっていないと証明して、早く発表してくれよ。でないと南区と東区に遊びに行けないだろ?」
「仕事をしてください」
南区は戦場になった場所で、東区は避難民がもっとも多い場所だ。そんな噂があれば戦災者に命を狙われるかもしれないと、危機感を抱くのも分からなくはない。
つまり、それが本題か。私を通して軍部を動かし、自身の立場を悪くする噂がデマだと証明する。……だけじゃなく、出元の調査までやらせる気かもしれないな。誰かが意図的に流していると目している可能性も考えておくべきか。
まあ、彼はそういう噂を立てられても仕方がないと思うのだが。
「ところで、君はシシという女の子を知っているだろ? 君がハルロンドに紹介した、植物を育てる緑の手……じゃなくて、緑の足の子」
……動揺は、なんとか表に出さずに済んだと思う。
「この前久しぶりにハルロンドに会いに行ったらさ、隣に見たことのない子供がいるじゃないか。ずいぶんと賢いし、礼儀正しくてお淑やかな良い子だよね。どこで見つけて来たの?」
「……街の花屋で」
正確には、花屋の店の前で。
「へぇ、花が好きな子なんだね。緑の手を持ってるなら当然か」
元々シシの存在は大々的に公表するつもりである。長兄が手こずっていた薬草栽培が軌道に乗り次第だが、上手くいっているらしいからもうすぐだろう。
問題ない。次兄殿がなにかを企てようが大丈夫なように、シシには優秀な護衛を付けてある。
ただ……それはそれとして。シシが上手くやっているのは分かったが、逆に危機感を感じてしまうな。本性がバレたとき酷いことになりそうな気がする。
「知ってる? あの子、ハルロンドのお嫁さん候補なんだって。まだ子供なのに大変だよね」
咽せた。
「その気になってるのは兄貴じゃなくて周りだけどね。年齢はまだ足らないけれど、南の国から来た緑の手の聖女だしね。あと数年もすれば美しいレディになるだろうし、かつての伝説を踏襲しつつ戦争でできた両国のわだかまりを解消できる。ちょうどいい相手ってわけさ」
シシを聖女と呼ぶの違和感しかないんだが。
というか女子であることが未だに信じられてないんだが。
「家柄も足りない気がするが……」
「伝説の聖女も平民だったはずだろ? うちの王家は強力なスキル持ちを血統に取り込んで来た歴史があるし、政治的にも都合がいいから許されるんじゃないか?」
つまり、シシが次期王妃になるということか?
あの路地裏のスリが? 私を屋根から落としたアレが? 敬語すらもできなかったのに?
それはさすがに、私は責任を持たないぞ……。
「と、そんな感じで第一王子は足りない実績も嫁探しも同時にクリアしそうだし、盤石になってきてるんだよね。そして参戦して引っかき回してくれることを期待してた弟君はやる気がない。しかも僕様には悪意ある噂話までたっていて、このままだとさすがにお手上げなんだ。――だから、君と交渉しようと思って」
そのために、私を捜し出したと。
「というわけでロア。僕様が王になったら実権は全部やるから、手を組まないか?」
なぜ、この人はここまで軽薄に笑えるのだろうか。