夕焼けの時計台
私の次兄ソーロン・エルドブリンクスは、噂に違わず王族としての仕事をせず遊び歩いている人物である。
不義の子であるという噂は眉唾だ。だが長子ではなく、ロイヤルスキルにも恵まれなかった彼を王宮の者たちは重要視しなかった。さらには妹であるセレスディアが生まれつき規格外のスキルを持っていたこともあり、彼は幼少期から目立たず話題に上ることもなく、重い責務を与えられることもなく王子として埋没した。
らしい。
私は早くから王宮を離れ士官学校に在籍したので、あまり詳しいことは知らない。だがまあ、実際に次兄が政治的に埋没する流れがあったとして……その程度で大人しくしているような人物ではないことは分かる。むしろその立場を利用して好き勝手やっている、というところだろう。
なんにしろ、警戒はしなければならない。他の誰よりも。
ソーロン・エルドブリンクスは明確に王座を狙っている、王位継承権第二位の人物なのだから。
「さて、兄上殿。本日ここにいる言い訳を聞いてもよろしいか?」
「人生は無情だね。なんで久しぶりに会った弟に叱られなきゃいけないんだろう? しかも一緒に遊んでたっていうのに」
バーベキューが終わって解散となり、日が傾いて空に赤が混じる中、兄と私は少し離れた高台へとやって来ていた。
街が一望できる……というほどではない。丘とも言えない高さで、それなりに長い石階段を上るだけ。一番上には立派な時計塔があるだけの、住人たちがたまに散歩コースにするくらいの場所。
見晴らしがいい。遮蔽物も少ない。人も少ない。だから時計塔から少し離れれば、盗み聞きされる心配はない。二人で話すにはちょうどいい。
「私はちゃんと予定を立ててあの場にいたのです」
まあ私にとっても、あの場に呼ばれたのはずいぶんと意外なことだったが。
私はあまり街の人々と交流できていない。だから呼ばれたこと自体が驚きだった。おそらくマルクやミクリのついでで呼ばれたのだろうが、リレリアン殿もそつがないものだ。
とにかく、私はあの場にいても問題ないからとやかく言われる筋合いはない。
「そういえば君、今は威圧の制御のために市井で暮らしてるんだっけ? あの場にいたのは、町の人との交流を円滑にするためにあのイベントにいたってことかな?」
「そんなところです」
「ふーん。ずいぶん楽しくやってるじゃん。僕様もロアのこと心配してたから安心したよ」
今、そういえばと言ったばかりでこの物言い。そもそも私が市井で暮らしていることすら忘れていたのであれば、心配だなんてしているはずがない。
この兄はこういう男だった。出された言葉を信じてはいけない。相手にとって都合や聞こえのいいことを選んで発しているだけで、一秒後には忘れている。
言葉に責任を持つ気がない人間。それがソーロン第二王子について深く知っている人間が、共通して抱く印象だ。
「まあここにいる言い訳をすると、実は今日は領地経営に苦しんでる貴族たちの集会に顔を出すつもりだったんだよね。小さな村しかない僻地とか、不作で困ってる地域とか、鉱物資源が枯れちゃったトコとかね」
そういう貴族の集会があるのは聞いたことがある。そして、あまり機能していないものだとも聞いている。
困窮していても矜持を優先し、弱みを隠すのが貴族というものだ。苦しいから助けてくれ、などと誰かに縋るくらいなら領地共々没落することを選ぶ者たちの集まりでは、実りある話し合いはできない。会合といっても座って向かい合うようなものではなく、パーティや狩りなどをしながらで、そのまま大したことは話さず終わるというものだろう。
「ほら、今は南部の後処理でそういうとこまで支援が回ってないだろ? で、僕様も王族としてできることがあるかもしれないと思って、参加表明してたんだけどね。ちょっといろいろあって人が集まらなかったみたいで会自体が流れちゃって。そしたら、なんか楽しそうなイベントやるって言うじゃん。王族の一員として、たまには民の様子を見るのもいいかなって」
「予定が流れたなら王宮に戻って仕事をすればいいでしょう」
「僕様は長子じゃないし、妹みたいに優秀でもないからね。大した仕事はないんだよ。それに君も一般的な生活を経験するのも必要だと思ってるから、この街にいるんだろ? 僕様も君のことを聞いて、市井に紛れるってのに興味あったんだよね」
はぁ、とため息を吐く。たしかにこの街に住み始めて、様々なことを学ぶことができた。だからこの兄の言葉を否定できないが。
そういう否定できない言葉を、この兄は選んでいるだけだ。
これが長兄ハルロンドの言葉なら本気だと信じるし、姉のセレスディアの言葉なら正気を疑うところだが、次兄ソーロンの言葉であればその奥にある真意を見通さねばならない。
「お久しぶりですね、ソーロン兄上」
私はあえて、ここで再会の挨拶をする。本来なら顔を見て最初に言うべき言葉。
「? そうだね。久しぶり、ロア」
「前に会ったのはたしか、私が父上から勲章をいただきに王宮へ出向いたときですから、一年近く前ですか」
「ハハハ。たしかにそれくらいかな。南部戦線からこっち君もずいぶん忙しそうだったし、やっと落ち着いたと思ったら行き先も告げずに市井へ隠れちゃうし――」
「あのころは戦場帰りで、私が威圧スキルをもっとも制御できていなかった時期でしたね」
ピリ、と空気が張り詰める。緊張が走る。
意識的に威圧を抑えようとしてもあまり効果がなく、持っていた封印具も少なかったころだ。王に注意されたのを覚えている。
夕焼け色に染まる、ピペルパン通りを見下ろす景色。時計台の針が一つ動いて、金の髪の青年は笑う。
「本当に私の現状を知らなかったのなら、印象が変わったな、くらいのことは言ってくれるものではないですか?」
あなたは最初から、ここに私がいることを知っていた。威圧がなくなっているのも分かっていたのでしょう……と。
暗にそう言って、私は兄へと向き直る。




