だからせめて
「わたくしは、ロア殿下に憧れていました。ロア殿下のことはお爺さまからよく聞いていましたから、わたくしは戦えませんが、武のホムルス公爵家の者として、軍に身を置き王国を護る王子のことをお慕いしていたのです」
シルバーブロンドの女性は瞼を閉じて、過去を偲ぶ。
慕われていた? 会ったこともなかったのに。……いや、最近読んだ小説でそういう登場人物はいたが。
「なので前回のお見合いは楽しみにしていました。……ですが、ロア殿下の威圧スキルは、強者たちばかりの軍でも余人を近寄らせないほどに強力なもの。わたくしのような小娘が耐えられるはずなんてなかった。あのときのわたくしは浅はかだったと、今なら分かります」
浅はかだった、とカレン・ホムルスは自身を評価した。
あれは彼女の希望による見合いだった、ということだろうか。いや……元帥の意向であってもそれを正直に言う必要はないか。
だが、彼女の表情に嘘の色は見られない。
「貴方様が市井に降りてスキル制御の訓練をしていると知って、罪悪感が拭えなかったのです。わたくしのワガママで大変な決断をさせてしまったのですから。だから……わたくしがロア殿下に会って倒れなければ、また王宮や軍へ戻られるのではないかと思って、もう一度だけお爺さまにお願いしてこの席を設けてもらったのです」
そのために精神強化のスキルを用意したと?
いや、意味がない。私が威圧スキルの制御訓練を本当にしていたとして、彼女が精神強化のスキルで耐性をつけて平気になったらなんだというのか。結局訓練は私が威圧を抑え込めるかどうかなのだから、彼女がどうだろうと関係ない。
だからそれは無意味……いや、違うか。見合いの席で相手を気絶させてしまったことのみに注目するならば、彼女が私の妻となる想定であれば正しいのかもしれない。つまり彼女は、私がいずれ結婚する相手のために訓練を始めたのだと思っている?
「王宮からも軍からも離れ市井に降りるだなんて、今までとはまったく違う生活ですとも。きっととても大変だったと思います」
私がそうしたのは自分の意思だ。勝手の違いはあったが、大変な思いなどしていない。
公爵家から顰蹙を買い、精神病棟へ入れられた君の方がよほど大変だっただろう。
「ですがもう戻れるのですよね? 本当によかった――」
純粋に喜んでくれる彼女の様子に、胸の奥深くにある汚れたなにかが疼く。
もしも……前回のお見合いで彼女が倒れず、滞りなく進んでいれば、私は彼女と結婚していたのだろう。私は乗り気ではなかったが、それも王族の勤めとして受け入れたはずだ。
そしてきっと今回の食事会が終われば、元帥から二度目の見合いの話が来るに違いない。もはや威圧スキルは問題ないことが分かったのだから、今度こそと。
「王宮にも、軍にも戻る気はありません」
私が彼女と結婚すれば王国が混乱することになりかねない。だから、結婚の話があっても断れると思った。――いや、断らなければいけない状況に喜んだ。
私はホッとしたのだ。
本当の理由は別にあるのに、それを口実にできるから。
……ああ、これがトルティナ殿のかけた呪いか。己の卑賤を刃にされて突きつけられているようだ。
「いくつか勘違いがあるようですので、訂正を。まず、私が市井に降りたことについてカレン嬢の責任はありません」
彼女が純粋に私へ好意を寄せてくれている、という想定はしていなかった。まあ私が彼女にしたことを考えれば慮外だったのは当然で、部下たちの前でそんな事を言っていれば散々笑い散らかされていただろうが。
とはいえ、一度は見合いまでした相手だ。嫌われていない場合、という程度のことは考えておいてもよかった。
それをしなかったのは、嫌われていてほしかったからだ。
「私の威圧はいずれ、どうにかしなければならないものでした。元より大きな問題だったのです。あなたを失神させたことはきっかけでしかありません」
スキル剥奪屋を訪ねた理由は、たしかにそれ。
しかし私はその件のあと、あまり時間をおかず威圧スキルを取り除いている。カレン嬢が気に病む必要は何一つない。
「そして――実は私が市井に降りたのは別の理由があり、スキル制御訓練のために、というのはただの口実でしかないのです」
「え……?」
「本当に申し訳ありません。あなたに心労をかけてしまうかもしれないと、そこまでの考えが及んでいなかった。謝罪させて下さい」
頭を下げる。本当に、私は思慮が足りなかった。
「……そ、そうなのですね。ああ、そうですよね。ロア殿下ほどの方ですから、なにかの任務、あるいは事情がある場合もありますよね」
任務はあった。明らかにSランク――王国にすら影響しかねないスキル保持者であるアネッタ殿を守るという、己に課した任務が。
情勢があった。私が表舞台にいれば国が混乱するかもしれないという、一見して馬鹿げた懸念は十分にあり得る未来として横たわっており、それを回避する必要はあった。
だが、見合い相手を威圧スキルで昏倒させてしまったから、という文脈を言い訳に使うべきではなかったのだろう。私はカレン嬢を軽んじすぎていた。
「市井での生活は苦しいものではなく、むしろ楽しいものでした」
ホムルス公爵家に野心がない、というわけではないだろう。
だが、カレン嬢はカレン嬢である。ホムルス家の意向だけで動いているわけではない。
「王宮でも、軍でも知ることがなかった多くのことに気づけた日々でした。先の戦争で護ったものの価値を目の当たりにしたようでした」
だからせめて、誠実であろうと思う。
「そしてそこで、心から尊敬できる女性に――恋をしました」
窓から陽光が差し込む。
まだ弱く雨は降り続いているが、雲に切れ間ができていた。