剥奪したスキル
軽々しく、嫌だと思った。
スキルは人生の証とも言えるものだと思う。心を強くするスキルなんて誇りにすらなり得るだろう。
そんなものを剥奪して、他人に移し替えるなんて。そんな誇りを弄ぶようなことをしていいのだろうか、と。ただの小娘が偉そうに。
けれど本当に必要としている人に対して、そんなことを言っていられるのか。
「カレンさんが精神病棟にいた理由は分かりますか?」
「いいえ。カレンさんは自分のことをあまり話したがらないので、詳しいことは分かりません。ですが心に大きな傷を負っていることは確かなのです」
わたしの問いに、トルティナは首を横に振る。
心の病だから話したくないこともあるに違いない。友人であるトルティナが知らないのなら、赤の他人のわたしが傷を開くように聞いていいことではない。
たとえ聞いたとしても、自殺防止の隔離施設にいたようなカレンさんの心持ちを理解することは、きっと難しい。
「分かりました」
問題はあった。懸念しかないし、やりたくないけれど。
けれどそれは、わたしのワガママだ。
「では、カレンさんがスキルを譲っていいという人を連れて来たましたら、そのときは剥奪して彼女に渡しましょう」
「ありがとうなのです」
トルティナは頭を下げる。
どう考えてもこれが正解。わたしはスキル剥奪屋として求められた仕事をし、それ以上深くは関わらない方がいい。……たぶん、わたしなんかじゃなにもできないから。
コク、と。喉をならす音が聞こえた。トルティナがお茶を飲む音。コク、コク、と一気に飲んでいく。
「ふぅ……ごちそうさまです」
そのまま飲み干して、ソーサーにカップを置いて、少女は立ち上がった。
「それでは、トルティナはこれでおいとまするのです。お邪魔しました、アネッタさん」
それはまるで、早くここから離れたいかのようで。
話すべきことは終わったと言うようで。
それが、どうしてか嫌だった。
「トルティナさんは大丈夫なんですか?」
引き留めるように、聞いていた。
わたしは人と話すのが苦手だけれど、早々に帰ってもらえるならその方がいいのだけれど。でも、会話を振らずにはいられなかった。
三日前も今日も、話したのはカレンさんのことばかりだ。トルティナのことはあまり聞けていない。
今はずいぶんと落ち着いている様子だけれど、彼女だってかなり危うい状態だったはず。早々に出られたと言ってはいたが、彼女はカレンさんと同じ自殺防止措置の病棟にいたのだ。それほどの状態だったのだろう。
……しかもそのきっかけとなった事件には、わたしも深く関わっていたのだ。気にならないハズはない。
あからさまに目を合わせてくれないし、きっと悪印象は持たれている。たぶん今日も友人であるカレンさんのために来ただけだろう。けれど――
「――ええ」
ニコリと笑って、トルティナはやっとこちらを見てくれた。
柔らかい、以前よりも少し大人びた笑顔。
「トルティナはもう大丈夫なのです」
彼女のその答えを聞いて、わたしは少しだけ安心して。
「だから、因果律操作のスキルを返してもらってもいいですか?」
…………それは。
少女の顔から視線が離せなくて、口は半開きのままなんにも言葉が出てきてくれなくて。
トルティナが微笑みを消して、また瞼を伏せて……でも声が出なくて、唇が震えるだけだった。
「冗談なのです。それでは、ごきげんよう」
吐いた。
トイレのドアの横で膝を抱えてうずくまった。なんにもする気が起きなくて、なんにもできる気がしなくて、ずっとそうしていた。
お腹は空なのにお腹は減らなくて、目には涙がにじんだけれど泣くのはおこがましくて、口の中は胃液で最悪の味がするのに水でゆすぐこともしたくなくて、喉の奥の嫌な感じが自分の本体のように感じた。
聞くべきではなかった。
いつもなら激しく後悔して、吐いて、グルグルグルグルと同じ場所を迷走するように反省する。
けれど今日は考えたくなかった。死体のようにぐったりとして、頭からすべてを追い出して廊下で縮こまっていたかった。
消え去りたかった。
「ああそっか……」
きっとあのときのトルティナはこんな、最低の気分だったのだろう。
それはダメだ。恨まれて当然だし嫌われるのが順当だ。
「自分がした失敗を、無かったことにするスキルかぁ……」
わたしが持っていたら今すぐ使うだろうスキル。わたしはその邪魔をした。
あれはトルティナを助けるための処置だったけれど、ああしなかったら彼女はそのまま消えてしまっていたけれど。……でも、それで彼女がわたしを嫌っていても、逆恨みだとは思わない。その点についてあの少女が悪いと思いたくない。
だって今もきっと、彼女は後悔を続けているはずだから。
わたしが聞くべきではなかった。
はっきりとそう思う。だってあのとき……トルティナが大丈夫だって言ったとき、わたしは安心したから。
その言葉を期待していたから。
わたしは自分が楽になるために、あの言葉を発したのだ。――本当に大丈夫だと信じたのなら、あのスキルを返しても問題ないはずなのに。
トルティナはきっと、そんなわたしを見透かした。
「お客さん、来ないかな……」
普段は絶対に言わない言葉が漏れ出る。誰でもいい。誰かと話したかった。
酷い顔だけれど、声も酷いだろうけれど、営業用の心の仮面を被れば動けるだろうから。
動いているときは、一旦は忘れられるから。
「……ロアさん、来ないかな」
一番来てくれそうな人の顔が浮かぶ。
けれど彼に貸した小説は、前回のよりも厚かったはずで。……結局、もう他の来客はなくって、わたしは日が落ちきるまで膝を抱えていた。