本の感想
翌日、ロアさんがやって来た。貸していた本を持って。
「すまないな。お茶までご馳走になってしまって」
「いえいえ。お貸ししていた小説の感想を聞かせていただきたいですからね」
最近は少しだけ、わたしはロアさんに慣れてきたように思う。
たぶん軍人としてすごい人ではあるのだろうけれど、本人も言っていたように普通の人の感覚が分からなくてズレているから、なんだか抜けているところが多い気がして少し安心するのだ。以前彼が世話をしていたシシさんの件では、特にそれを強く感じた。
わたしなんかでも普通だと思ってくれるかも、って。この人なら少しくらい失敗しても気づかないのではないかなって。
家族や幼馴染みほどではないけれど、ちょっと精神的な負担が少ない相手。毎回吐くことはないくらいに。
そういう人はわたしにとっては貴重で、だからこそ今はちょっとだけ彼と話したかった。
今は一人だと、どうしてもカレンさんについて考えてしまうから。
……と、そうだ。カレンさんが頭をよぎったおかげで思い出した。彼女は、一人でここへ来たわけではない。
「そういえば、昨日はトルティナさんがお友達を連れて来ましたよ」
お客さんのことを軽々しく話すのは良くないことだけれど、トルティナについてだけは、ロアさんにだけは伝えておきたかった。
「そうか。中央区で入院していると聞いていたが、退院したのだな。元気そうだったか?」
目を合わせてくれませんでした。
「ええ、元気そうでした。体調については完治していそうですし、仲の良いお友達ができたみたいで精神の方も心配はなさそうです」
「それは良かった。順調に快復へ向かっていることは知っていたが、私もあれから会ってはいなかったからな。それが聞けて安心したよ」
本当に安心したのだろう。ロアさんの声と顔が少し穏やかになった気がした。
この人は他人の気配とかに敏感で、そういうスキルも持っている。だから昨日ロアさんが家にいたなら、トルティナが来たことには気づいていただろう。
もしかしたら彼が今日ここに来たのは、今の話を聞くためだったのかもしれない。そんなふうに思う。……たぶんロアさんは、心のどこかでトルティナのことを気にかけていただろうから。
うん、トルティナのことを思い出せて良かった。伝え忘れていたら数日後悔し続けたかも。
ただこれ以上は余計な顧客情報を口走りかねないので、早く話題を戻そう。部外者のロアさんにカレンさんの話まではしたくないし。
「それで、この二冊はどうでした? なるべくロアさんが楽しめそうなものを選んだつもりですが」
「ああ。一冊目は登場人物が多くて名前を覚え難かったがな」
もしかして、小説を読み慣れていない人って登場人物を覚えるのも難しいのだろうか。その辺りは考えてなかった。
「だが、レストランの有望な料理人の青年とその恋人、そして青年を気に入ったオーナーと、青年に恋するオーナーの娘という話はなかなか分かりやすかった。つまり恋愛結婚をとるか政略結婚をとるかという話だろう? そういった話はたまに聞くから理解しやすい。一般人でもそういう話はあるのだな」
おお、どうやらお気に召してくれたみたいだ。……褒めているのは想定外なとこなんだけど。
気立ての良い恋人と可愛いオーナーの娘の間で、主人公が葛藤するのが面白い話……だったよね? 最後には刃物出るけど。
「シシさんのとき料理を少しだけ教えさせていただきましたからね。料理人のお話なら興味を持っていただけるのではないかと思いまして。そういえば、どうでしょう? あれから料理はしていますか?」
「もちろんだとも。最近は肉屋のリレリアン殿から新しいレシピを教えてもらってな。干し肉を二きれと大量の野菜を鍋に入れて煮込むだけで、味付けの必要も無いほど上質なスープになるというものだ。あれはなかなか良かった。もしいつかシシが訪ねてくることがあったら振る舞おうと思う」
あの塩分の強すぎる干し肉の件をどう聞こうか悩んでいたのだけれど、ロアさんの方から教えてくれた! どうやらちゃんと料理用として使っているようでなによりだ。
調理法があまりにもリレリアンだけど。
「二冊目はさらに分かりやすかった。花屋の女性目当てに店へ通い詰める軍人が、事件に巻き込まれたその女性を助ける話。勝手にマルクと花屋のエレナさんを思い浮かべてしまったが、これはわざわざ私が理解しやすいものを選んでくれたのだろう?」
「ええ。ロアさんにも分かりやすい要素で構成されているかと思いまして」
「まああの一途で寡黙な男とマルクを比べてしまって、少し集中しづらかったところはあったが……性格は似ても似つかないのに、現役軍人としてアウトなラインを躊躇いなく、女のために踏み越えるところだけは似ている、とかな」
ああ、よく考えたらロアさんは本物の軍人さんだったか……。それもそういうのを罰する側の人だ。
「しかしこれは格闘や銃撃などが主の小説ではないか? 恋愛小説とは言えない気がするが」
「最初に読んだものは冒険活劇の部分は楽しめた、と言っていましたので。これはたしかにアクションが主となる話ですが、恋愛の要素も高い評価を受けているものです。悪者から逃亡しているうちに二人の間で育まれる感情などは繊細で良かったでしょう?」
最初は主人公をただの常連さんとしか思っていなかったヒロインが様々なピンチを経て、主人公を失いたくないと敵に銃を撃ったシーンは良かった。
もしかしたら人を殺してしまうかも、という恐怖でパニックになりかけながら引き金に指をかけるところは名場面だ。そのあと半狂乱になるところも含めて。
「協力しなければ生き残れない状況で行動を共にすることで親密になる、というのは戦友の概念だな。たしかに軍にも南部戦線を経て、軍人同士で結婚する者たちが何組かいたのを思い出した。ただ、助けるべき民間人を戦わせたあげく、精神病棟でケアすべき恐慌状態にまで追い込んでいるからな……正直、あの恋愛感情は錯乱や錯覚の類だと思う」
ああ、軍人さんだから馴染みやすいと思って勧めたのだけれど、逆に気になってしまうところが多くなってしまったらしい。
反省しないと。後で吐きながら。
「だが二冊とも私でも分かりやすくて、前に読んだものよりも確実に楽しめたよ。ありがとう」
まっすぐにお礼を言われて、少し固まってしまった。
ロアさんは二十代前半に見えるからわたしより歳上だと思うけれど、時折見せるこういう笑顔は同い年くらいに思えてしまう。
「それは良かったです。もしよろしければ、また別のものをお貸ししましょうか?」
「いいのか? それはぜひお願いしたい。アネッタ殿の選書なら間違いはないだろう」
本来ならその言葉は、メリアにいくはずだったと思うけれど。なんだか彼女が浮かれている間に掠め取ってしまったみたい。
ただ一人の小説好きとしてはちょっと嬉しかった。やっぱり今日は吐かなくていいかもしれない。
「それでは、どんな本がいいとか、また教えていただいてもよろしいですか?」
さあ、次の本はどれにしようか。