無線のやりとり
それはなんか違くない?
「うぇぇ……うぷっ、おぇぇぇぇ……」
二人が帰って、自動車のエンジン音が遠ざかって、すぐにわたしはトイレに駆け込んだ。
吐く。胃の内の物を全部。
吐いてしまえば一旦は、体は楽になる。頭はまだグルグルと後悔と反省を続けるけど。
「ああ……もう。だからスキル輝石は、売り物になんかしたくないのに……うぷ」
胃酸で傷む喉でぼやいた。今回の吐き気はなかなか収まらない。
胃の中のものを全部戻して、それが終わったら胃液まで吐いて、血の気が引いてクラクラする頭を押さえキッチンで水を飲んで、またトイレに駆け込んでそれを吐いた。
……ちょっと無理。今日はもうお店を閉めてベッドに横になってしまおうか。そう思うくらいに無理。
吐き気が収まってもしばらくは動けなかった。トイレの扉の横に座って、胸を押さえながら息を整える。
営業用の心の仮面を付けているときは耐えられる。けれど一人になってそれを外すと、こうして一気にくるのだ。いつものことで覚悟はしていたとはいえ、慣れるものではない。
特に今日は酷い。
「……違う、気がするなぁ」
呟くように、ここにはいない人物へ異を唱える。わたしにはそれが間違っているように思えた。
言えなかったけれど。言えなかったから後悔してるのだけれど。
でも言っていたとしてもわたしは後悔したし、吐いていただろう。
たしかに……心が強くなるスキルの所持者をカレンさんが連れて来て、その人が同意していれば、わたしは剥奪するべきなのだろう。
だって断る理由がない。わたしはスキル剥奪屋なのだから、スキル剥奪を依頼されればそうするべきだ。個人的な感情を出すべきではない。
……そう、これはきっと感傷なのだろう。わたしのワガママと言ってもいい。
お金でスキルを買う。それはいい。もしカレンさんの所望するスキルが在庫にあれば、わたしだって売っていたと思うから。
けれど人が普通に持っているスキルを買い付ける、というのは、なんというか……やってはいけないことのように思えるのだ。
剥奪スキルを使うときに、あの精神世界に潜るからそう思うのだろうか。スキルはその人の人生に密接に関係するものだと知っているから。
だから軽々しいような、敬意がないような感じがしてしまうのだろう。
「はぁ……」
ゆっくりと立ち上がる。のろのろと動いて、とりあえず三人分のティーカップを片付ける。
トルティナは熱いうちに飲み干してしまって大丈夫かなと心配したけれど、カレンさんは一口も飲んでいなかった。それを見るだけで気分が重くなったけれど、もったいないからお茶は自分で飲む。荒れた食道に常温のお茶が染みる。
まだ足元がおぼつかなかったから、ティーカップは落とさないよう二回に分けて運んだ。食器を洗って棚に戻すだなんていつもの作業なのに、カップから手を離すときため息が出た。
お金持ちだから、庶民のお茶には食指が動かなかったのだろうか。そんな失礼な疑問が湧いてしまって、自己嫌悪してしまう。
初対面のわたしから見ても、カレンさんはちょっと様子がおかしかった。精神的に追い詰められていたようにも感じた。
たぶん意識がお茶に行ってなかっただけだろう。スキルをお金で買うという発想も、同じ理由のせいだと思いたい。
「どう言えば良かったんだろ」
カレンさんはまた来るだろう。
わたしはスキル剥奪屋なのだから、彼女の望むとおりに誰かから心を強くするスキルを剥奪し、スキル輝石を渡せばいい。もしカレンさんの望むとおりのスキルが発現しなくても、責任は取る必要がないことは聞いている。
なんにも難しいことはない。いつものように剥奪してしまえばいいのだ。
剥ぎ取るように。奪うように。
「嫌だなぁ……」
『やー、退院したんデスね、あの呪術の女の子……トルティナさんデスっけ? 報告あったデスかね?』
運転手と、黒いワンピースドレスの少女と、銀髪の女性。三人を乗せた自動車が去って、いつもの調子で無線で話しかけて来たのはミクリだった。
今日の監視は私の当番にしていた。どうせアネッタ殿に借りた本を読みながら過ごすつもりだったので、マルクとミクリには休みを与えていた。……が、家にいて珍しいエンジン音が聞こえれば、窓の外を覗くくらいはするだろう。
「そもそも監視対象にするほどの危険人物ではないだろう。順調に快方に向かっていることは確認したが、様子を追っていたのはそこまでだ」
読んでいた本を置き、無線のスイッチを押して話す。
なにか栞になるものを用意した方がいいだろうか。本に挟める薄いもの……軍用ナイフとか?
『一応、王族を害そうとした相手なんデスがね。しかし新型の自動車に運転手付きデスか。ずいぶんなお金持ち連れてきたデスねトルティナさん。作戦参謀に身元確認してもらうよう連絡しときます?』
「連絡は頼むが、身元確認はすでに分かっているから必要ない。悪人の類ではないから必要以上の警戒もしなくていい」
『おや、もしかしてお知り合いデス?』
「一応面識はあるが、まあほぼ知らない相手だな。知っているのは彼女の家柄の方だ」
あの女性に危険はないだろう。問題は、彼女のような人物にまでスキル剥奪屋が知られているということ。
今後が思いやられるな。
「彼女はホムルス公爵家のご息女だ。六人兄妹の末っ子で唯一の女子だからか甘やかされて育てられて、屋敷の外に出ることは滅多に無いという話だったが……ああして外出することもあるのだな」
『…………あのー、それってもしかして、元帥のお孫さんデス?』
「そういうことになるな」